002:亮(Ryo)について

       ••✼••

 

 扉は二つ。

 一つは外に通じているが、常に外から施錠されている。

 もう一つはユニットバスの扉。浴室には窓がなく、外の気配に触れられるのは施錠された扉の小さな窓だけだ。その窓は、十センチ角ほどで、歪んだガラス越しに白い光が漏れている。

 今起きている八人は、日本人もいるが、リョウ以外は無口だ。

 絶望に飼い慣らされ、諦めている。


 昼の班は八人。
夜の班が交代でベッドに潜り込む前に渡される、ノート。

 それが、引き継ぎされる。
ノートの表紙には、こう書かれている。


「寝るな! Don’t Sleep! 」


 ここで生き残るための、掟だ。誰かが寝ると天井の監視カメラが赤く点く。居眠りはとみなされ、ペナルティで食料が減る。連帯責任だ。

 そんなの、日本じゃありえない。



 壁には、模造紙が貼られている。


 そこに、日本人ターゲットのリストが並んでいる。手書きの人の名前、
雑な似顔絵が描かれている。男か女かわかる程度の落書きだった。俺がこの場所に来る前に、誰かが描いた。


「Hanako: F 50 看、映=天気の子、ヨン、ジブリ today:bag、cafe」

「Yamada :  M 60 社、night fishing、努力、独」


「aoi: F 50 社、watching movies、youtube」

 それぞれの人生の断片が、Excelのマス目みたいに並んでいるんだ。

 その横には、ライターのリョウが書き足した走り書き、記号。さらにいろんな言語の翻訳が、細いペンで書き込まれている。

「ラーメン、映画、ジム、孫、猫、犬、花、茶、⚪︎、◎、△」


 それとは別に、A4の紙。壁に貼られて、土で擦られたような汚れがある。

 そこに書かれているのは、ノートと同じ、「寝るな! Don’t Sleep! 」。

 大きな日本語と英語でプリントされた周りに、小さく読みにくい手書きの字が並んでいる。それは、ここにいろんな人種がいることをあらわしている。


       ••✼••

 

「言葉。全部言葉やねん。俺らは人の心を設計してる。誘導しろ。文字を彩れ、種をまけ」
リョウが、両手を広げて繰り返した。

 
メイは声で誘惑する。


 チャンはコードで、アカウントを量産する。

 
俺は翻訳を、やる。
日本語を中国語に、中国語をまた日本語に戻す。
意味の誤差を消し、整える。そして通信手段のシステムの脆弱をついて、こちらが進めたい方向へ誘導するのが仕事だ。最終的に、リョウが確認し、ターゲットにしかるべき伝達手段で連絡する。


       ••✼••

 

 五日目の朝。

 ノートに、奇妙な書き込みを見つけた。英語で並んだ文字列。

 書かれていたのは、インド映画のおすすめリストの欄だった。

 縦に読むと、「たすけて」。 その瞬間、背中を冷たいものが走った。誰が書いたのか、どこへ向けたものなのかは、わからない。 

 俺は慌てて、そのうちの二行を黒ペンで消し、代わりに別の映画名を検索して書き足した。筆跡からは、夜勤チームの誰かだと推測できるが、誰のものかは特定できない。

 

 この部屋で、自由を売って、飯を食う。それが始まったのは、五日前。

 高額な海外バイトの話に惹かれ、こぎれいなビルの一室に集まった俺たちだったが、配られたペットボトルの中身を飲み干し、起きたら別の国にいた。恐るべき時間の旅だった。

 膀胱が悲鳴を上げ、現地のひどいトイレ事情にさらに悲鳴をあげた。トイレットペーパーはなく、手桶と水があった。こんなトイレは、日本には、ない。

 俺は、ここでは新人だ。


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