静かな画面の底で

侘山 寂(Wabiyama Sabi)

静かな画面の底で

 この世界は、生まれたときから平面だった。

 立体を知らない僕らは、指先で滑らかなガラスをなぞりながらその中にすべての現実を見てきた。

 笑いも怒りも涙も、液晶の中で完結していた。

 そこに映るものこそが「人間」だと、疑いもしなかった。


 その感情を、スタンプ一つで返せば足りると思っていた。

 それが「共感」だと信じていた。


 ある日、タイムラインにひとつの投稿が流れてきた。

 白い画面に、ただ一行——「つらい」。

 写真も動画も、何もなかった。


 なぜだか、目が離せなかった。

 特別な言葉でもないのに、その平らな文字列がどこか真っ黒に沈んで見えた。

 静かな闇が、画面の奥でかすかに揺れていた。


 その文字を、僕は食い入るように見つめた。

 すると、この世界に穴が開いたような気がした。


 しばらくして、「つらい」と書いた本人に再会した。

 彼はまったく元気そうに笑い、何事もなかったように平坦な声で話していた。

 けれどその声の奥に、とても深く、見上げるような絶望が隠れていることを、今の僕にははっきりと感じ取れた。


 その日から、世界が少しずつ立体に見え始めた。

 ある人の、平坦で感情のこもらない声の奥に、とてつもない激しさを秘めた山ほどの想いがあることを知った。

 踏み込みすぎれば思わず足を取られ、そのまま突き進めば谷底へ落ちてしまうような——そんな距離があることも。

 どんなに気づいても、届かないもの、越えられないものがある。

 それが、現実の“奥行き”というやつだった。


 ようやくこの立体の世界に慣れてきた、と思っていた。

 だが最近、また少し違和感がある。

 前に通った感情が、今ではもう違って見える。

 どうやら、この世界には「時間」という軸もあるらしい。

 過去と未来、そのわずかな継ぎ目の中で、僕らはようやく三次元の形を保っているにすぎない。


 結局のところ、世界はいつも奥行き不足だ。

 でもまあ、平面で笑っていた頃よりは、ずっとましだ。

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