山手通り

沙凪シオン

山手通りから帰る彼氏、カレーと一緒に待つ彼女

「今、みんなと別れて山手通りを歩いている」


ケンタからテキストメッセージが入った。時間は23:15。思っていたよりも早い。


今朝、『中目黒で大学時代の友達と飲み会だから、そのあと寄るね』と言われていた。


「え、一人で歩いてるの?今、どのあたり?」


返事がない。いつものように酔いながらフラフラと歩いているのだろう。


少しして、またメッセージが来た。


「正覚寺前。バスで帰る」


ん?バスでどこまで行くつもりだ?


「恵比寿までバスで行くの?」


「いや、大井町」


え、大井町?急いでネットで調べる。あ、これか。渋谷から大井町まで路線バスが通っている。でも正覚寺前の大井町方面最終は22:10だ。もうとっくに終わっている。


それを書こうとしたらケンタからまたメッセージが入った。


「バス無かった。タクシーで帰る」


普通に中目黒から電車に乗れば良かったのに、と一瞬思ったが、乗り過ごしてとんでもないところで気が付き、そこからタクシーで帰ってくるよりはましか。


あの辺りでタクシーに乗るとここまで20分もかからないだろう。キッチンへ行き、カレーの鍋を弱火で温め始める。帰ってきたらきっと『カレーが食べたい』と言うに違いないから。


タクシーの中で寝てしまっただろうなと思っていたところにまたメッセージが来た。


「会社の前に着いた。これからチャリで帰ります」


「えっ、ねえ大丈夫なの?酔っているんじゃないの?」


「んー、ダイジョブ。大体60%くらいだから」


彼の60%はそこそこ酔っている。


「もうテキストは良いから、スマホしまってちゃんと乗って帰ってきて」


「はーい」


ふう。着くまで少し時間がかかりそうだから一旦鍋の火を落とす。


ケンタと出会ったのは近くのイタリアンだ。カウンターとテーブル席が3つの小さな店だが、その時は私一人でカウンターでワインを飲んでいた。ラストオーダー間際にやってきた彼は「まだ、大丈夫?」と聞きながら、一席空けてカウンターの横隣りに座ってきた。


カウンターの目の前がキッチンになっていて、調理担当のイズミくんに「トマトソース系でなんか適当にパスタ作ってよ」とオーダーしている。「はいはいー」と言いながら、イズミくんは冷蔵庫の中を物色し始めた。


その人は常連さんらしく、ワイン片手にイズミくんに気軽に話しかけている。最近あった仮想通貨の流出事件の話から、ちょっと変わった別の常連さんの話まで色々。イズミくんもフライパンを持つ手を休めることなく、その話に乗ってきている。


このお店には私もそこそこ来ていて、イズミくんとも話をするようにはなったが、ここまで親密な関係ではない。ちょっと羨ましいなと思いながらその二人のやり取りをそれとなく眺めていたら、いつの間にか二人の会話に巻き込まれ、3人で話をしていた。


パスタが出来上がり、少し会話が止まる。あまりジロジロ見たら悪いなと思いつつ、彼が美味しそうにパスタを食べる様に目が行ってしまう。モリモリ食べているのに、食べ方がとても綺麗で見とれてしまった。


それ以来、何度かお店で会い、連絡先の交換をしてメッセージでもやり取りをするようになった。


他の店で二人で待ち合わせてご飯を食べたり、そのうち、うちにも来て泊まるようになった。彼の家は隣の駅の二世帯住宅だが、仕事時間が不規則で深夜勤務とかもたまにあるので、泊まりになってもそれほど不審がられることもないという。


今日もそんな感じで、飲み会のあとにこちらに来て泊まり、また明日ここから出社するつもりらしい。


その時、またメッセージが入ってきた。


「今、伊藤小学校の前。結構良いペースで来てるよね」


「そうだけど、気をつけてね」


返事はなく、また走り始めたみたいだ。


しばらくして、またメッセージが入る。今度はどこからだろう。場所をお知らせしてくれるのは良いけど、それよりも早く帰ってきて欲しい。顔が見たい。


「マミの美味しい枯れ〜を食べ4#あj」


「え、何?」


返事がない。やはり、結構酔っているのだろう。


「カレー作ってあるから、気をつけて早く帰っておいで」


既読にならない。スマホをしまってまた走り始めたのだろう。


そろそろ着くだろうという時刻から10分以上過ぎて少し心配になってきたところでまたメッセージが入った。


「ゴメン、急用ができた。今日は家に帰る」


「ん、わかった」


残念な気持ちを押し隠してすぐに返事を書く。


「ゴメンね」


「うん、大丈夫。気をつけて帰ってね」


彼の家までまだもう少しあるはずだ。


キッチンに立ってカレーを冷凍するための準備をする。鍋を氷水を張った大きめの桶に入れてかき混ぜながら冷ましていく。あら熱が取れたところで、ジップロックに小分けにして、空気が入らないように封をしたら平らにしていく。


手慣れた一連の作業をしながら彼のことを考えている。責任ある仕事があり、家族があって、誰とでもすぐに親しくなり、誰からも慕われる。時にハメを外したり、酔っ払って次の日に自分のしたことを覚えていなかったりとかはあるけど、普段はとても常識人だ。


そんな彼がなぜ私のところに来たりするのかな。彼の言葉を思い出したり、彼のしぐさを思い出しながら、そんな事をとりとめもなく考えていた。


ふと、ケンタの気配がして部屋の方を見る。もちろん誰も居ない。代わりにハンガーに彼がこの前置いていったジャケットがかかっているのが見えた。逢いたい。今日、逢いたかった。今日、逢っておかなきゃだった。急に心が苦しくなった。


ベッドに入ってメッセージを確認すると、


「今、交番のところ」


「環七越えたよ」


と来て、最後に


「家着いた。じゃね」


というメッセージが入っていた。アイコンはすでにオフラインだけど無事に着いたようで良かった。



翌日の朝、ベッドで目が覚めてすぐにスマホを手に取る。ケンタからのメッセージは入っていない。メッセージは自動的に消去する設定にしているので昨日のやり取りも残っていない。画面の上に彼のニックネームとあとは空白の領域。


昨日遅かったこともあり、少し寝坊をしてしまっていた。慌てて準備をして会社に出かける。途中で何度か確認したけど、彼はオフラインのままだ。もしかしてスマホのバッテリーが切れてしまっているのかも知れない。モバイルバッテリーを持ち歩くように言っても「うん、考えておく」と言っておきながら全然持とうとしない。会社関係の連絡はガラケーの会社携帯を持たされているのでスマホの方は切れてもなんとかなると思っているのかも知れない。


ちょっと不機嫌な午前中を過ごし、ランチを買いに外に出た時にスマホが鳴った。番号を見ると知らない番号。末尾が 0110。ん、警察?


「はい」


「あー、白石さんのお電話でよろしかったでしょうか?」


「あ、はい」


「大井警察署の者ですが、ちょっとお時間よろしいでしょうか?」


急に緊張で体が硬くなり、心臓の鼓動が速くなる。


「あの、昨晩、篠塚健太さんと、SNSって言うんですか、なんかメールみたいなもんでやりとりとか、されてましたでしょうか?」


「え、あ、はい。」


「あー、そうですか。では、ちょっとお手数なのですが、少しお話伺いたいので、署の方に来ていただくことは出来ますでしょうか?」


「え、どういうことですか?ケンタ、あ、篠塚さんになにかあったんですか?」


「いやまあ、そういうことも含めて、署の方で」


きっと何かあったに違いない。


頭がぼうっとする。気がつくと電話は切れていた。行かなきゃ。


大井警察署に出向いてすぐに昨晩あった事を説明された。伊藤小学校過ぎて線路を越えてすぐのところでケンタは車と出会い頭の衝突をしていた。すぐに救急車が呼ばれたが、頭を強く打っていて到着時には既に心肺停止していたとのこと。救命処置がされたが蘇生することはなかった。


原因は車の側の前方不注意、速度超過、一時停止無視が疑われるが、ケンタがスマホを手にもっていたことが問題となっていた。自転車に乗りながらスマホを操作していたのであれば、ある程度の過失がケンタ側にもあることになる。警察はテキストメッセージのサービスを提供している会社に問い合わせて、私が最後にやり取りしていた人間であることを突き止めていた。


「あの、どんな事をお話されていたんですかね?メッセージを送った形跡はあるんですが、中身まではわからないらしいんですよ」


とっさに嘘をついた。


「あ、あの、転職のことで少し相談させてもらっていて、篠塚さんは私が行きたい業界に知り合いがいるから紹介するよって言われていて」


まったくの嘘ではなかった。実際、ケンタに転職の相談はしていて、彼にもずいぶんと励まされていた。


「あー、そうなんですか。それで、なんか乗りながらスマホいじったりとか、そんな感じだったんですかね?」


「それは絶対ないと思います。彼、歩きスマホとかしている人に対してもいつも怒っていましたから」


しまった。私はそれを知っているほど親しい間柄ではないことになっている。でも、担当の刑事さんはそれには気を止めず、次の質問をしてきた。


「あー、そうですか。じゃ、23時50分くらいになにか来ませんでしたか?」


なんだろ。


あ、あの私のカレーが、どうこう、っていうメッセージだ。


あれが、私に向けて書いてくれた最後のメッセージなんだ。


「いや、なんか意味不明のが来ていましたが、酔っ払っているんだろうと思って無視しちゃいました。内容もよく覚えていません」


「んー、そうですか。まあそういうことであれば仕方ないですね。きっとあれですね、ご家族になにか送ろうとして、間違ってあなたの方に送っちゃったとか、そういうことですかね」


違う。と思いながら「はい」と答えた。


え、ちょっと待って。あの、カレー云々のメッセージのあとにも彼からのメッセージは来ていたはず。あれは誰が送ってきたの? と思ったが、メッセージはすべて消えていて証明のしようがない。SNSベンダーの記録では23:50が最終なのでそのあとのは私が単に妄想をしていただけなのか、あるいは彼が私にそれを見させたのか。いずれにしても闇の中だ。


その後、ドライブレコーダーの映像から彼がスマホを操作していたわけではないことが証明された。懸命に自転車をこぎ、結構なスピードが出ていたところに、一時停止違反の車が飛び出し、彼はコンクリートの壁に叩きつけられていた。その瀕死の状態でスマホを取り出しなにかメッセージを送ったのもしっかりと写っていた。



告別式で見た彼の顔は驚くほど綺麗だった。傷一つなく、少し白いのを除けばいつもと変わらない。何度も見ている彼の寝顔。


でも、もう二度と起きることはないのだ。目を開けて私を見たり、その口で私に話しかけることはもう無いのだ。その手で私に触れることも。あっけなかった。もう二度と元には戻らない。


これから何年も私は苦しむことになるのだろう。あの時、なぜタクシーでそのまま帰っておいでと言えなかったのか。言ったとしても「大丈夫だよ、心配しすぎないで」って言うに決まっている。でも、あの時にやり取りをしていて、彼に話しかけられて、彼の行動を変えられたのは私しかいなかった。私だけができたこと。それをやらずに彼を死なせてしまった。永遠に失ってしまった。


部屋にかけられているジャケットに袖を通す人ももういない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山手通り 沙凪シオン @sandie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ