第2章 似てない二人

 数日後。

 広瀬の手がけた講演会が、いよいよその日を迎えた。


 全校生徒が整列する体育館に、講師として沢城さやかが登壇すると、大きな拍手に混じってざわめきが起きた。

「誰?」

「知らないの?プロレスラーだよ」

「すっげ。え?この学校から?」

「うおお!かわいー!」

「チャンピオンなの?すごくない?」

 さやかを知っている生徒もいたようで、その注目度は予想以上だった。

 新聞社とテレビ局の取材も入り、広瀬はこれまでの苦労が報われたようで、講演前からすでに満足げな表情を浮かべていた。


 壇上のさやかは、自身の高校時代を振り返りながら話を進め、ときに笑いを誘い、時には真剣な表情で生徒に語りかけた。

 試合映像が体育館のスクリーンに映し出されると、生徒たちの目が一斉にそちらに向いた。リング上で闘うさやかの姿は、まさにプロだった。


「広瀬ちゃん」

「は、なんですか。部長」

「彼女、さすがだね」

 ステージ横でさやかの講話を見ていた部長が、そっとささやいた。


 広瀬は部長の言葉にうなずき、堂々とスピーチを続けるさやかを見つめた。

 広瀬の目には、先日打ち合わせをしたときのさやかとは別人のように見える。

(沢城さんって会うたびに違う印象になるな。やっぱり不思議な人だ。…本当の彼女って、どんな感じなんだろう)

 そして、生徒たちに目を向けると、みんなさやかの話に引き込まれ、その視線が壇上に集まっていた。その表現力やしゃべり方にも、純粋に感心をした。

(やっぱり他人から見られる職業って、人を引きつけるオーラがあるんだな。あれがカリスマっていうのか)


 広瀬は、つかみ所がないさやかに興味がわいていた。しかし、どれほどさやかのプロフィールを読み、講演を端で聞いていても、広瀬にとって、さやかがプロレスラーでチャンピオンである実感が湧かなった。

(だけど、どうして僕にはプロレスラーっぽく見えないんだ?)

 広瀬にも、それは不思議なことだと感じていた。


 講演が終わり、体育館から出てくる生徒たちは口々に「沢城さん、すごいね!」と興奮気味に感想を交わしていた。

 中にはサインをもらおうと、校内を走り回る生徒もいる。さやかがまだ校内にいるはずだと、目を輝かせて探していた。


 広瀬は、さやかとマスコミ関係者を用務員室の一角に設けた臨時の応接スペースに案内し、取材の時間を設けた。

 一通りの取材が終わると、さやかを同窓会室に戻し、ソファに座ってもらった。ようやく一息つける空気が流れる。

「いやあ、本当に良かったです。生徒たち、めちゃくちゃ喜んでましたよ」

「いえいえ……私は、やるべきことをやっただけですから」

 広瀬がやや興奮気味に話す一方で、さやかは落ち着いた様子だった。


 ふと、さやかが部屋の中をぐるりと見渡しながら口を開く。

「この部屋って、同窓会室なんですよね? 私、こんな部屋があったの全然覚えてないなあ」

 さやかは講演も取材も終え、すっかり素の表情に戻っていた。


「そうなんです。この部屋、用務員室のすぐ隣にあるんで、なんとなく存在感が薄いんですよ。でも、そのぶん来賓の控え室にはぴったりでして」

「同窓会室ってことは……」さやかが隣の書棚に目を向ける。

「あ、卒業アルバムですね? ありますよー」

 広瀬は立ち上がって棚の方へ向かおうとするが、その途中で「ゴンッ!」と鈍い音を立てて事務机に腹をぶつけた。

「・・・・・っ!」

 その場にうずくまり、しばらく痛みに震える広瀬。さやかは一瞬心配そうに見つめながらも、吹き出すのを我慢しているのか、プルプルと震えている。 


 さやかのプロフィールから卒業年度を割り出し、二人は卒業アルバムを開いた。

 さやかは、久しぶりに目にする母校の思い出に、懐かしさを隠せない様子だった。

「高校を卒業して12年かぁ……懐かしいなあ」

 アルバムをめくる指先は、どこかくすぐったそうだ。


「……ところで、広瀬さんって何歳なんですか?」

 さやかの突然の問いに、広瀬は「え?」と軽く固まった。

 だが、自分ばかりが彼女の年齢を知っているのも不公平な気がして、素直に答えた。

「ふふ……僕、36歳です。もうすぐ37。沢城さんの7つ上ですね」

「えー? 若く見えますよ」

 さやかは笑いながら言い、自然と空気が和らぐ。

「でも沢城さんも、アルバムとぜんぜん変わってませんね」

「えっ、そうですか?」

「はい。当時からすごくきれいなんですねぇ。……僕なんかもう、完全にオジサンですよ」

 広瀬はアルバムに載る彼女の姿を眺めながらつぶやいた。

 他意はなかった。ただ純粋に自分がオジサンであることを嘆いただけだった。

「……ありがとうございます……」

 さやかは、ほんの少しだけ顔を赤くすると、再びアルバムに視線を戻した。


「あ、この子…」ふと、さやかのアルバムをめくる指先が止まった。「そうだ。私、野球部のキャプテンと付き合ってたんですよ。……そんなこともあったなぁ」小さくつぶやいたさやかは、目を細めて微笑みを浮かべた。

「ふふ。青春って感じですね」

 さやかの表情にくすぐられ、広瀬も思わず笑みがこぼれた。


 さやかが顔を上げると、広瀬と目が合った。ふと、首を傾け――

「ちょっと広瀬さんに似てませんか?」

「えっ?」意外な一言に、思わず広瀬が声を上げた。「は?似てる?は?」広瀬はさやかが言っている意味が分からない。

「ほら、このアルバムの写真と広瀬さんの笑った雰囲気って、私、似てると思いますよ」

 さやかの声には嫌みが感じられなかった。その分、広瀬にとってはさらに受け入れがたい。

「いやいや!この子の方がずっと凛々しいし、顔立ちもいいですよ!そんな、僕と似てるなんて……あり得ないから!」

「ふふっ……」

 取り乱す広瀬がおかしかったのか、さやかは口元を隠しながら笑った。すっかりと緊張がほぐれた様子だった。


 その笑顔を見つめながら、広瀬は思った。

 ——自分は、彼女に勝手なイメージを抱いていた。女子プロレスのチャンピオン。粗雑で無骨で、気が強くて……。

 だが、今こうして目の前にいる彼女は、それとはまるで別の姿だった。


 さやかはしばらく高校時代の話をした。

 当時流行っていた音楽や映画、テレビ番組で盛り上がり、意外にも二人が同じロックバンドのファンだったことがわかると、さらに話が弾んだ。


 やがて話題は卒業後のことへと移り、互いに引き込まれるように話し続ける。

 だが、先に我に返ったのは広瀬の方だった。

(……まだ、話していたいな)

 先日事務所に訪れたときも、広瀬は不思議とさやかともう少し話がしたいと感じていた。

 そんなことを思いだし、広瀬は思い切って口を開く。


「沢城さん、あのぅ。このあとお時間って、ありませんか?」

「え? あ、はい……特に予定はないですけど……」

「もしよろしければ、夕食ご一緒しませんか?」

「え?……でも……」

「僕、もう少し沢城さんとお話ししたくなりました」


 自分でも驚くほど積極的になっていた。それほど、さやかとの掛け合いが心地よかったのだ。

 さやかは驚いた表情を見せ、少し考え込むそぶりを見せる。広瀬は黙って返事を待った。


 しかし──


「やっぱり、今日は無理ですね。せっかくのお誘いですけど」

「あ、そうですか……」承諾を期待していただけに、落胆は大きかった。

「ごめんなさい。今日はお迎えがあるし……それに、私、こう見えて有名人なんですよ?」

「あ!」

 広瀬は忘れていた。目の前の女性は現役の女子プロレスラーだ。

「そうですよね!すみません、気がつかなくて。お迎えも……お車が待ってましたね!こんな時間まで引き止めてしまって、本当にごめんなさい」

 恥ずかしさから、何度も頭を下げる広瀬。顔は真っ赤だ。

「でも……」

 さやかは微笑むと、「スケジュール次第ですけど、プライベートでなら……」と続けた。

「え?」

 頭を抱えたまま、広瀬は固まる。

「私も広瀬さんと、もう少しお話ししたいと思いましたから。お食事、楽しみにしています」

 さやかの表情は柔らかかった。

「え、え?あ!はい。ありがとうございます!」

 広瀬はその返事に驚きつつも、(落ち着け、落ち着け……)と必死に自分をなだめる。

「じゃあ広瀬さん。もしよかったら、アドレスの交換をしませんか?」

「いいんですか?」

「だって、お食事、誘っていただけるんでしょう?」

「そ、そ、そ、そうですよね!」

 広瀬は狐につままれたように大きく目を開いたまま、アドレスを交換した。


「では、そろそろ?」

「はい。ではお車までご案内しますね」

二人は席を立った。


と、またしてもそのとき。


「ガターン!」──今度はかかとをソファにぶつける広瀬。


 広瀬がうんざりした顔でドアノブに手をかけた、そのとき──さやかが不意に顔を覗き込み、笑顔で念を押した。

「本当に誘ってくださいね? 絶対ですよ?」

 その可愛らしい仕草に、広瀬の胸がどきりと跳ねる。動揺しながら、気づけば口が勝手に動いていた。

「はいー!よろこんでー!」

 おかしな返事にさやかがまた吹き出して笑った。


 ***


 さやかは広瀬に見送られながら、ブレイズが用意した送迎車に乗り込んだ。

「お待たせしてすみません」

 運転席の男性は短くうなずき、ルームミラー越しに目を合わせた。

「大丈夫、予定どおりですよ」

 後部座席にもたれ、さやかは小さく「ふふ」と笑った。

「広瀬さん……か」

 ぽつりとこぼしたその声は、自分に向けた独り言だった。

「本当に誘ってくださいね?」──あの言葉は、冗談ではなかった。

 さやかは広瀬との会話が心地よかったし、もっと話してみたいと思っていた。

 彼が自分を“女子プロレスラー”としてではなく、一人の女性として接してくれたことも、好感の理由だった。

 ただ少しだけ、思う。

「知名度がないって、こういうことなのかな……」

 ほんのわずかに、気持ちが曇った。


 それでも——

 “さやか”として誘ってくれた広瀬のやさしさが、今は素直にうれしかった。


 ふいに、高校時代の記憶がよみがえる。

 野球部のエースと付き合い始めた頃のこと──。

「恋愛ねぇ……忘れてたなぁ」

 そうつぶやいて、さやかは窓の外に視線を流した。


 ――そして広瀬。


 さやかを見送ったあと、誰もいない同窓会室に戻った広瀬は、ひとり頭を抱えていた。

「トップレスラーだってこと忘れて夕食に誘うなんて……恥知らずもいいとこだ。それも七つも年下なのに……!」

 嘆きながら、またもや事務机に「ガツン!」と体をぶつけてしまう。

「あいたぁ!……現実を見ろぉ、悠一郎ぉ」

 その姿はアザラシが鳴いているようでもあった。


 ひとしきり取り乱したあと、ぶつけた箇所をさすりながらソファにどかっと腰を下ろす。

 自責の念は消えない。それでも、さやかの「本当に誘って下さいね? 絶対ですよ?」というかわいらしい仕草が頭から離れず、その言葉が耳に残り続けていた。

 あれは冗談だったのか、それとも──。


 そんなことを考えながら、交換したばかりのアドレスをぼんやりと眺めていた。

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