第十四章:届かなかった手紙、真実の温度

​――遥斗 side――

​俺が書いた手紙を枕元に置いてから、また時間が過ぎた。一体、何日経ったのだろう。

時間の感覚はとうに失せていた。


​その夜も、俺は眠れずに桜のベッドサイドに座っていた。身なりこそ整えていたが、目の下には濃い隈が刻まれ、顔つきは少しやつれていた。それでも、彼女から目を離すことができなかった。


​(桜。頼む。目を覚ましてくれ…。君の手で受け取ってくれ)

​その時、握っていた桜の指が、わずかに、しかし確かな力で、俺の指を握り返した。


​「…桜?」


​俺が声をかけると、彼女の閉じていた瞳が、ゆっくりと、わずかに揺らめきながら開いた。


​「…は、る…と、さん…?」


​声はほとんど聞こえないほどの掠れた音だったが、その焦点は俺を捉えていた。


​「桜!…よかった……!」


​安堵と喜び、そして長年の重荷から解放された感覚で、俺の涙腺は決壊した。俺は声を殺しながら、ナースコールを押した。



​――桜 side――

​白い天井。聞こえるのは、微かな機器の音と、嗚咽にも似た遥斗さんの声。

​意識が戻ると同時に、脳裏に浮かんだのは、朝、別れ際に額にキスをしてくれた遥斗さんの穏やかな笑顔だった。


​(私は...どこに? 何があったんだろう)


​状況が理解できず混乱している私の視界に、目の前で顔をくしゃくしゃにして泣いている遥斗さんの姿が飛び込んできた。彼は私が手を握り返したのを見て、安堵しているようだった。


​「…は、る…と、さん…?」


​私がかろうじて発した声は、空気中に微かに震えただけだった。それでも彼は、強く握った手を離さない。


​意識がはっきりしてくると、視線が枕元のサイドテーブルに留まった。そこには、白い封筒が置かれている。自分のために用意されたもののようだった。

​私は微かに頷き、空いている方の手で、その手紙を指し示した。


​「…これ、は…?」


​私が答えを求めると、遥斗さんの表情が一瞬強張ったように見えた。彼はすぐに私の意図を察し、何か答えようと口を開きかけたが、すぐにそれをやめた。

​彼は素早くその白い封筒を手に取り、そっと自分のポケットに滑り込ませた。


​(...なんで、隠したんだろう?)


​私がそれを不思議に思った、その時だった。

​ガラリ、と病室のドアが勢いよく開き、数人の人影が飛び込んできた。


​「桜!……」


​それは、泣き崩れたお母さんと、その肩を支えるお父さん、そして安堵に目を潤ませる妹の姿だった。


​「…お母さん...」


​私が呟くより早く、お母さんがベッドに駆け寄り、嗚咽を漏らしながら私の手を握りしめる。


​遥斗さんは、私の家族が私に駆け寄るのを見て、すぐにベッドサイドから離れた。

彼は静かに一歩、二歩と後ずさり、家族にその場所を譲った。


​「...遠野です。今回は桜さんの側にいさせていただき、ありがとうごさいました。ひとまず、目が覚めてよかったです」


​遥斗さんは、深く頭を下げ、静かに挨拶をした。父は彼に一度深く頷き返し、母は感謝の気持ちで彼に微笑みかけた。遥斗さんは、私が家族に包まれているのを確認すると、静かに病室を後にした。



​――遥斗 side――

​俺は、桜が手紙を指し示した瞬間、反射的にそれをポケットに入れた。

その手紙に綴った「愛している」という言葉は、意識のない桜に捧げたものだ。

​目を覚ました今、俺の口から改めて伝えなければならない。

今まで逃げていたから今度こそ自分の想いを桜からじゃなく俺から伝えよう。


​家族の安堵と歓喜に満ちた姿を見届け、俺は静かに病室を後にした。


​(目覚めてくれてありがとう。長い間、待っていてくれてありがとう、桜。)


​俺はポケットの中の白い封筒をそっと握りしめた。

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