第十二章:指先の温度
――桜 side――
遥斗さんの部屋で一夜を過ごした次の日。
私たちがようやく未来への確かな一歩を踏み出した、幸福感に満ちた朝。
「今日は午前中から仕事だから、夕方には戻る!」
遥斗さんは、私の額にキスをして、少し後ろ髪を引かれるように部屋を出ていった。
私は、この数年で初めて感じる、満たされた気持ちで朝食を準備していた。
昼過ぎ、転勤先で任されていた仕事の報告で会社行くことにした。
その途中の横断歩道。
ぼんやりと、遥斗さんの穏やかな笑顔を思い出していたその瞬間――。
「危ない!」
甲高いクラクションの音とともに、強い衝撃が私を襲った。
全身に激しい痛みが走り、視界が白く飛んだ。
次に意識が戻ったとき、聞こえてきたのはサイレンの音と、誰かの焦った声。
私の視界はぼやけていたが、頭の中で繰り返されるのは、昨夜、遥斗さんが言った「これからは、俺の隣にいて」という言葉だけだった。
(遥斗さん……ごめんなさい。やっと、戻ってきたのに)
――遥斗 side――
その日の夜、俺は予定通り夕方には店を閉めて部屋に戻った。
「ただいま、桜――」
部屋は静まり返っていた。
「桜…?」
(おかしい。もう戻っている時間だ)
俺は、スマホを手に取り、桜に何度も電話をかけたが、コール音は鳴り続けるだけだった。
嫌な予感が全身を支配する。
夜九時、十時……深夜になっても、桜は帰ってこなかった。
(また、俺が傷つけてしまったのか? いや、違う。昨日、あんなに幸せそうに「ただいま」と言ってくれたのに……)
**転勤から帰ってきたばかりで疲れて、自分の家で寝ちゃったんだろう。**と無理矢理思い込もうとした。朝改めて連絡することにしよう。
焦燥と不安を無理に押さえつけ、俺は一人、静まり返った部屋で夜を明かした。
一夜が明け、俺はすぐにでも桜に連絡を入れようとスマホを手に取った。
その瞬間、スマホが震えた。画面には**「非通知」**と表示されている。
(非通知…? )
昨晩から桜と全く連絡が取れていない状況だったため、俺は切羽詰まった気持ちで通話ボタンを押した。知らない番号からの連絡は、不安をさらに煽った。
「もしもし」
聞こえてきたのは、女性の、泣きじゃくるような、聞き覚えのある声だった。
「…あの、遥斗さんですか?」
俺は、相手が誰かすぐには判別できなかったが、尋常ではない状況であることだけは理解した。
「はい、遥斗ですが…どちら様ですか?」
「私、桜の友達の、真帆です」
その名前を聞いて、俺は数年前に高校生だった桜と一緒に店に来ていた、女の子のことを思い出した。桜から何度も話を聞いていた、親友だ。
「真帆さん? 急にどうしたの?そんなに泣いて…」
俺は、尋ねた。桜と連絡が繋がらないこのタイミングで、その親友から連絡が来たことが、最悪の事態を予感させた。
俺の問いに、真帆は嗚咽混じりに状況を伝えてきた。
「遥斗さん…ごめんなさい、急に。桜が、事故に遭ったの。今、病院で…」
俺は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「…真帆さん。桜の状況は…? 桜は、大丈夫ですか?」
俺の声は、冷静を装ってはいたが、恐怖で震えていた。
俺の問いに、真帆は嗚咽混じりに答えた。
「まだ、わからないの…。頭を強く打ったみたいで…。」
俺の目の前が真っ暗になった。
「…教えてくれて、ありがとう。でも、どうして俺に連絡を…?」
俺は、桜の容態の深刻さに打ちのめされながらも、真帆の行動の理由を尋ねた。
真帆は、涙声で説明した。
「私、桜のお母さんから連絡もらってすぐに遥斗さんに知らせなきゃって思ったんです。桜から、転勤から帰ってきたって連絡あってその時に『やっと遥斗さんから連絡きたの!』って、すごく嬉しそうに話してたから…」
遥斗は息を飲んだ。桜が、自分の未来を懸けて、昨夜の話し合いに臨んでいたことを改めて知る。
「…それで、どうして俺の番号が分かったんですか?」 俺は、絞り出すように尋ねた。
真帆は、声をつまらせながら続けた。
「遥斗さんの番号が書いてある紙が挟んであったの。携帯ケースの裏に。『大切な人の連絡先はここに挟んでおく』って、高校の時、桜が言ってたことを思い出して…。それで、今、公衆電話からかけてるの!」
俺は、全てを理解した。桜が5年間も、そして半年間の遠距離の間も、最も大切な人として俺の番号を、誰にも見つからない場所に、肌身離さず持っていたこと。
遥斗は息を飲んだ。
桜が、自分の未来を懸けて、昨夜の話し合いに臨んでいたことを改めて知る。
「…それで、どうして俺の番号が分かったんですか?」
俺は、絞り出すように尋ねた。
真帆は、声をつまらせながら続けた。
「遥斗さんの番号が書いてある紙が挟んであったの。携帯ケースの裏に。『大切な人の連絡先はここに挟んでおく』って、高校の時、桜が言ってたことを思い出して急いで連絡したんです。」
俺は、桜が5年間も、そして半年間の遠距離の間も、最も大切な人として俺の番号を、誰にも見つからない場所に、肌身離さず持っていたこと。
(自分が情けない。俺は何を臆病になっていたんだ。こんなにも一途に想ってくれていたのに...!)
胸が張り裂けそうで、同時にどうしようもないほどの幸福感が襲う。こんなことなら、もっと早く、半年前に、いや、五年前にもっと早くこの手を取っていれば……
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