第3章 ヴァルグラント火山帯・地獄温泉郷

第1話 湯けむりの再会

 ヴァルグラント火山帯に広がる温泉郷。――通称、地獄温泉郷。


 その名に反して、最初に目に入るのは穏やかな湯けむりだった。

 だが、よく見ればどこかおかしい。


 露天風呂の縁に腰掛けているのは角の生えた鬼族。

 湯の中では全身が溶けかけたスライムが「今日は少しぬるいですね」と世間話をしている。

 少し離れた場所では、ドラゴンが頭だけを湯船に突っ込み、満足そうに鼻から湯気を噴いていた。


 ここでは、どんな種族であろうと争いは御法度だ。

 普段なら血で血を洗う間柄であっても、湯に浸かれば同じ「客」になる。


 そんな不思議な掟と、長い歴史に支えられた温泉地。

 それが、この地獄温泉郷だった。


  §


「先生! いよいよ着きましたよ」


 入口に立ち、目を輝かせながらルピナが声を上げる。


「ルピナ君。あくまで目的は取材だからね。温泉に入るのは、そのついでだよ」


「わかってますよ……。でも、ついでを楽しむのも取材の一部じゃないですか」


 釘を刺され、むっとしながらもルピナはカメラを構えた。

 今回の取材テーマは、伝統温泉地のドキュメンタリー。

 派手さよりも、歴史と文化を丁寧に映すのが目的だ。


「しかし、本当に古い建物が多いですね」


「歴史があるのだ。多くの人に、長く愛されてきた歴史がね」


「確かに、ここまで多様な種族が入りに来ている温泉は初めて見ました」


 行き交う人を見るだけでも、ルピナはその多様性を強く感じられた。


「火山帯の地熱と魔法を組み合わせ、あらゆる種族に対応してきた結果だよ。今じゃ温泉の種類は数百とも数千とも言われている。文化的価値は非常に高い」


「文化はよくわかりませんが、いろいろ入ってみたいですね」


「それと、一度来た者は二度、二度来た者は三度来ずにいられなくなるという話もあってね……」


「依存性の強い温泉というのも、初耳なんですが?」


「ははは。まあ、安心したまえルピナ君。今回のテーマは『健全な温泉文化』だ」


「テーマが良ければ安心できるという理屈が既にわかりませんよ!」


 そんなやり取りをしていた時だった。


「……カット! 照明、光量が足りないわよ。湯気の濃度、計算に入れてる?」


 湯けむりの向こうから凛とした、だが艶のある声が響く。

 風魔法で一瞬にして視界が開けると、そこには驚きの光景が広がっていた。


 浮遊する複数の魔導カメラ。最新式のレフ板を持つスタッフたち。

 その中心で、一人の女性が堂々と指示して回っている。


(えっ! 嘘、あれって……)


 女性と目が合うルピナ。


「あら? もしかして……ルピナ?」


 長い黒髪に小さな角、背中から伸びる翼。

 サキュバス特有の妖艶さを隠そうともせず、湯けむりすら自分の演出に取り込んでいるような女性。

 その彼女が声をかけてきた。


 ルピナの顔が嫌そうに引き攣る。


「……ヴェルナ?」


「やっぱり。久しぶりね」


 ヴェルナは楽しげに微笑み、ルピナを頭から足先までゆっくりと見回す。


「元気そうじゃない。……少しは年、取った?」


「どういう意味ですか」


「言葉のまんま。昔と全然変わってないじゃない。若くて羨ましいこと」


 まったく羨ましそうではない声色だ。


「嫌味ですか?」


「事実を言っただけよ。子供みたいで、可愛らしいって」


 ぐうの音も出ない。

 年の割に、一般的な高校生程度の体型。

 それをこうも的確に突かれると、何も言い返せなくなる。


「知り合いかい?」


 気まずい空気を破ったのはローデンだった。


「あ、先生……。高校の同期なんです」


「ほう」


「私、ヴェルナと申しますわ」


 ヴェルナはいつの間にかローデンの前に立ち、淀みない動作で名刺を差し出す。


「これはご丁寧に。おや、これは……魔導映像制作会社『ギガ・ビジョン』?」


「えっ、大手じゃないですか! じゃあ、その撮影スタッフって?」


 ルピナが思わず声を上げる。


「えぇ、ウチのチームよ。今回は温泉特集の取材なの」


 挑発的な視線を向けてヴェルナは続ける。


「あなたも、随分と年季の入ったカメラを持ってるみたいだけど、何をお撮りに?」


「伝統温泉地の……ドキュメンタリーを……少し」


「ふーん。地味」


「うるさいですね!」


 その様子を見て、ローデンが楽しそうに手を叩いた。


「これは面白い偶然だ。この沢山の世界の中でなかなかあることじゃないよ」


「先生、場所を変えましょう。あんな大手と一緒に居ても、引き立て役にしかなりませんよ」


 圧倒的な資本力の差に、ルピナはすっかり弱気だ。

 だが、ローデンは逆に楽しそうに顎を撫でた。


「いやいや、これは好機じゃないか。ここはひとつ、それぞれの視点と技術で、この温泉郷を撮ってみるというのはどうだい?」


「はっ!? 先生、何を言い出すんですか!」


「なに、やる事はいつもと同じさ。ただ、相手を意識し競い合うつもりでやることよって、自ずと学ぶことがありそうじゃないか」


「い、いきなりそう言われましても……」


 想定外過ぎる展開に、ルピナはあたふただ。


「我々は『伝統』。向こうは『魅力』。異なる切り口で同じ場所を見る。文化的にも、映像的にも価値が高い」


「……先生、完全に楽しんでません?」


「少しだけね」


 少しという割に、結構ニコニコのローデンに気が付き、睨みつけるルピナ。


 一方のヴェルナは、ほんの一瞬だけルピナの顔を見つめた。

 そして、すぐにいつもの余裕の笑みを浮かべる。


「いいわよ。やることは変わらないもの」


 さらりと答える。

 黙っていろと言わんばかりに今度はヴェルナを睨みつけるルピナだが、当人はどこ吹く風だ。


「それにね、ちょっと比べてみたかったの」


「な、何をですか?」


「安心しなさいな。別に胸とかじゃないから」


「うるさい! わかってるわよ!」


 くすくす笑うヴェルナに、怒りのルピナ。

 完全にヴェルナのペースに嵌っている。


「比べたいのは、今のあなたと、今の私」


 その一言に、ルピナの胸が小さく疼いた。


 成績表で、いつも並んでいた名前。

 追い越したかと思えば、またすぐ追い抜かれて。

 成績なんて気にしてなかったのに、何故か負けたくなかった存在。


「……負けません」


「その顔、いいじゃない」


 ヴェルナは満足そうに笑う。


「じゃあ、決まりね。お互いしっかりお仕事しましょ」


 ヴェルナはそう言って、湯けむりの中へと消えていった。


「何だか複雑な仲みたいだね」


 いつまでも見つめ続けるルピナに、ローデンが声をかける。


「そういうわけでもないんです。ただ、彼女とは成績を争った仲で……」


「なるほど、確かに彼女も優秀そうだ。ルピナ君とはトップを争う間柄だったんだね」


「いえ、最下位争いです」


「……そうなの?」


 ローデンは少し驚いた顔をする。


「でも、それなら助け合ったり?」


「最下位争いって、トップ争い以上に熾烈になることもあるんですよ!」


「そ、そうなんだ……」


 ルピナの力説に、ローデンは曖昧に頷くしかなかった。


 こうして、伝統 vs 魅力。

 因縁のある二人が火花を散らす。

 地獄温泉郷での少し熱すぎる取材合戦が幕を開けたのだった。

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