①雨を集める家②忘れられた約束 125min

『己を正し、雨を集めて雲を晴らせ』

 雨の降る田舎の街外れ。まだ十かそこらの小娘は森の只中で妙な石碑を見つけた。

 かくれんぼの最中におもしろいものを見つけてしまったと、浮足立って石碑をぐるりと見渡す。すると苔むしたその台座に一匹のカエルが鎮座していた。

 わ、と脅かして反応を伺うも……まるで反応はない。つついたりくすぐったりしても、じっと虚を見つめるカエルに少女はすっかり虜になった。

「見て見て、変なカエル見つけた!」

「なにそのカエル? きもちわるい」

 そう言って身体に付いた泥を払う、少女の友人。かくれんぼの途中で転びでもしたのだろうか。腕や足に赤々としたあざをたたえている。

 触ってみない、と少女がカエルを友人に寄せる。

「やめて! あたし……もう帰るから。バイバイ!」

 そう言って友人が少女ごとカエルを突き放そうと手を伸ばす。———刹那、カエルから伸びた舌が友人の左胸のあたりに触れた。

「え? だ……大丈夫?」

 友人が岩のように動かない。いや、それ以前にカエルから自分の腕ほどの長い舌が伸びたのも少女にとってやはり怪異だった。

 そしてしばしの静寂のあと。

「あ~楽しかった! またかくれんぼやろうね!」

 友人がさぞ愉快そうに笑う。屈託のない笑顔は先ほどまでの暗い表情とは打って変わって、不幸など最初から存在しないかのように真っ白だった。

 結局その日は圧倒されるようにして、少女と友人は雨の中、傘も差さずに帰って行った。


「あんたはまた傘も差さずに帰ってきて! 何度言ったら分かるの!」

 帰宅すると、すかさず母が怒号を飛ばす。それを「まあまあ」と後ろから宥める父。ごめんなさいと少女が頭を下げると、今度はすかさず父が怒りの射程に入った。

「あんたの稼ぎが悪いのも問題なんだよ! こんな雨ばっかり降る村で傘も満足に買えやしない。この子が風邪を拗らせて学校に通えなくなったら責任取れるのかい!」

 父もまた、ごめんと頭を下げる。少女にとって雨よりも見慣れた光景は、雲よりも厚いもやを心に掛ける。

「いっそ両親から金を工面してきたらどうなんだい。……まあ、あの両親じゃ大したお金は出せないだろうがね」

「それは言い過ぎだろう。だいだいお前だって家に居ながら———」

 始まった夫婦喧嘩。少女が無関係にやり過ごそうと脇を抜けようとした瞬間。

 カエルの舌が伸びた。それも———一秒も経たずに二回。

 それぞれ父と母の胸に触れ、少女がまずいと顔をしかめる。こんな喧嘩の最中にちょっかいを出せばどんな未来が待っているかは小さい体でも十分理解できた。

 ……だが。

「お腹が空いたわ、ご飯にしましょう! ……雨っていいわよね。動かないからお腹も空かなくて!」

「そうだな。今日は銅貨三枚も貰ったんだ、少ないけどいっぱい食べよう!」

 銅貨一枚がパン一斤に相当する村で、たった三枚の亭主の稼ぎが喜びに直結することは考えづらい。少なくとも少女の家庭はそうであった。

 そこで少女は思い返した。今日の森での出来事を。友人の胸にカエルの舌が触れ、そして悩みが概念ごと晴れたような笑顔を。

 今笑顔で踊るように部屋を行き交う両親もきっとそうだ。

 少女はカエルを見据え、ぽつりと呟く。

「雨を———食べたんだ」


 それから少女はカエルと共に街に出向き、落ち込んだ人を見かけてはカエルを差し出した。そうすればカエルが全て解決してくれると、雨を食べて雲を払ってくれると信じていた。

 そして村に笑顔が溢れ、少女は一躍人気者になった。幸いカエルに舐められると記憶に多少の改変が入るらしく、カエルに関する直接的なトラブルは起きなかった。だが、少女の胸が満たされるのに反してカエルの腹は膨れ上がって行く。

 そんな折、村で犯罪に関する対策会議が開かれた。最近になって村の犯罪率が二十倍にも跳ね上がったとのことで、喫緊な対策が必須なのは明白だった。

「知っての通り、咎人が村の牢を圧迫している。自警団も手に負えぬ状態が続いているのだ」

 長老の発言が終わると同時に、ざわざわと沸く会場。それが収まるのを見計らうように、長老は厳粛に呟く。

「よって、本日を以て……咎人はその罪科の軽重に依らず一律に死罪とする」

 一瞬の静寂。

 やがて———歓声に包まれる場内。

 静粛に、という長老の喝も搔き消されるほどの熱気に呑まれ———会議は一晩の間、祭りのように続いた。

 

 朝日と共に少女が目覚め、おはようと両親に投げる。……が、返事がない。

 いつも通り寝起きが悪いのだろうと、寝室をもぞもぞと抜け居間に向かった。

 そうしていつも通り戸棚のパンに手を伸ばしたところで———鳥肌が立つほどの違和感が表皮を駆け抜ける。

 振り返ると、玄関の扉がない。

 いや、扉はしっかりある。だが……見るも無残に破壊されていたのだ。

 まるで猛獣が突き破ったかのような乱雑な始末。

「お父さん! お母さん!」

 慌てて寝室の扉を押しのける———その手が、紅く染まっていた。

 雷に打たれたような衝撃に全身が竦む。怖い。その扉の先に待ち受ける現実が恐ろしい。

 だが、逃げるわけにはいかない。意を決して扉を開け、仄暗い寝室を手探りで歩く。

 そして両親———否。両親だったものを見つけ、少女は崩れ落ちた。

「……カエル。そうだ、カエルなら———」

 玄関脇に置いていたカエルの元へ駆ける。血で滑って倒れようが、頭を打とうが関係ない。少女にとって現実を受け入れることだけが何よりも恐ろしかった。

「———ぁ」

 カエルは死んでいた。玄関の脇で踏みつぶされたように転がっていた物体は、なお虚を見つめるように佇んでいる。少女はそれを撫でるように確かめ、一日中泣き腫らした。

 そうして大都市から派兵された憲兵隊が力づくで保護するまで、少女は決してそこを動くことはなかった。


 それから三十年の月日が流れた。

 大都市では百年来の王政が打破され、新政権が樹立。圧政に苦しんできた民にとって、新たな政権の誕生は遍く期待と希望に満ちたものだった。

「なあ、新しい王は女王サマだってよ」

「らしいな。それに元は近くの田舎の出だって? ……えらい大出世じゃないか。たしか名は———」

 〝蛇の女王〟

 その決意を知る者は、二人として居ない。

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