①時計の針が逆に動き始める②名前を忘れた恋人 80min

 いつも通りの川沿いの遊歩道。車椅子に乗る君の歓声が響く。

「ねぇねぇ、あの花名前なんて言うの?」

 子どものような邪気のない笑顔が、振り向く。

「あれはロベリアだよ」

「ロベリア……? 変わった名前! ええと、藍色の石にそっくりで綺麗だね」

「ラピスラズリだね」

 そうそう、と君の声がはじける。そして授かった物知りという称号と花びら。

 膨れ上がった胸ポケットにそれを仕舞い、今日も君の背を押す日常が始まる。

「こんにちは! 今日もお二人、元気そうだね」

 ジョギング中のおじさんと挨拶を交わすと、君は少し奇怪そうに振り向く。

「あのおじさん、知り合い?」

 うん、と応じるも……どこか納得がいかない様子。

「毎日ここのジョギングを日課にしている人だよ。趣味は釣りで、顔を見ないときはだいたい釣りに出掛けてるらしい」

「そうなんだ! 今どき、あそこまで日焼けしてる人って珍しいよね」

 うんうん、と頭を振る君がはたと動きを止める。

「日焼けサロンにも通ってるらしい」

 えっ、と鳩が豆鉄砲を食ったような声が上がる。

「どうして私が言いたいこと分かったの? すごい、エスパーだね!」

 振り向いた君の眼は、川面の反射光よりも輝いている。

 そうして僕は君の前に立ち、頭を差し出した。

「いい子いい子~。老後はマジシャンでも食べていけそうだね」

 ひとしきり撫で回した後、満足したようにポンポンと頭を優しく叩かれる。

「飴、見てて」

 解放された頭を上げ、僕はそのままカバンからぶとうの飴を取り出した。

 そして開いた自分の右手に乗せ、両手に仕掛けがないことを開示した後……拳を握り素早く振る。

 そして、開いた。

「わ、飴……どこに行ったの?」

 既に両手に飴は無い。そしてそのまま空の右手で君の頭を撫でる。

 ちょっと、と照れ臭そうにはにかむ君の髪から……飴を取り出す。そして湧き立つ君に飴を手渡し、再び遊歩道を歩き出した。

 そして二十分十秒きっかり歩いたところで、君が止めてと告げる。

 そこは見渡す限りのシロツメクサ、俗にいうクローバーが群生する土手だ。

「君には言ってないと思うけど、私……お花の農家さんになるのが夢だったんだ」

 でも、と告げて君は失った両足をさする。口調は重々しく、先ほどまでとは打って変わって別人のようなオーラを纏っている。

「知ってるよ。君のことは全部」

「君、エスパーどころかもしかして宇宙人? なんだか全部お見通し~って感じでヤだ!」

 わざとらしく舌を出す愛嬌のある顔も、やがて一面の花々へ澄んだ表情を見せる。

「花ならシロツメクサが一番好き。派手さはないけど……どこにでも咲いていて、だれにでも笑いかける優しさがあるから」

 ほら、と車椅子から手を伸ばし……一輪の花と葉を手渡された。

「四葉のクローバー。ね、やっぱり……君みたいな優しい人をちゃんと見守ってくれてる」

 お礼を言って、鞄の膨れ上がったパックにしっかり収める。

 それから、来た道を引き返す。陽はすっかり紅く染まっており、僕らの背から頬までを染め上げている。

「そうだ、私……あなたの名前訊いてない」

「———僕はね」


 そうして今日も、僕は何度の初恋をする。

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