ただいまと呼べる時間

蒼機 純

ただいま、と呼べる時間

 ガチャ、と玄関のドアを開ける。室内の電気をつけて、ソファーに体を預ける。車の鍵も、スマホも投げ出すほどに疲弊していた。

「疲れた。本当に」

 今日で六日間連続勤務が終わった。毎日三時間ほどの残業が発生し、部下からの相談を聞き、上司には小言を言われる。

 チ、チ、チ、と静寂に包まれた室内で時計の音が大きく聞こえる。

 休日に何をするわけでもない。予定もない。

「ーーーー飯にするか」

 独り言を言いながら立ち上がった時だ。スマホが震えて、LINEが来たことに気づく。

 それは母からだった。

『寒くなってきたからちゃんと温かくして過ごすんだよ!』

 毎月、月末にLINEが母から届く。一人暮らしを初めて五年。毎月、そのLINEに俺は『大丈夫』とか、『心配しすぎ』とか返す。

 ただ、どうしてか。今日は返信しようとした指が重たい。

 ・・・・・・暫く会ってないな。それに来月は母の誕生日だ。

 時計を見て、俺は車の鍵を再びポケットに突っ込んだ。

 再び部屋を出て、俺は車に乗り込む。

 今から向かえば恐らく実家に着くのは日付が変わっているだろう。でも構わない。明日からは久しぶりの連休だ。

 俺はLINEから母に電話を掛ける。

 二回コールして出てきた母の声は変わらない。だからこそ、なんか苦笑いを浮かべてしまう。

「何もないよ。ああ、ただなんか顔を見たくてね。別にご馳走とかいいから。うん。じゃあ、寝てていいからさ」

 俺はアクセルを踏み、近所のケーキ屋に向かう。買うのはプリン。それに妹が好きなモンブラン。あとは親父に珈琲ゼリーか。

 そして、実家に向かうために高速に入る。

 予想していたとおり、実家についた頃には日付が回っていた。そして、深夜だというのに電気がついている。

 玄関の鍵をあけ、俺を出迎えてくれた顔を見て、歳を取ったなぁと思う。

「おかえり。あんた、痩せたんじゃない? ちゃんと食べてるの?」

「ただいま。食べてるよ、勿論」

「本当に? ほら、ご飯温めるから、お風呂入ってきなさい」

 このやりとりをあと、何回できるのだろう。俺は何回、ただいまと言えるだろう。 

 大人びた妹に、白髪が増えた親父。

 顔を見て、どこかほっとする。この時間。この空間。

 今度はもう少し長めに顔を見にこよう。俺は温めてくれた実家飯を食べながらそう、決意した。

 

 

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ただいまと呼べる時間 蒼機 純 @nazonohito1215

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