第十九頁  金縛

 レースの幕が閉じた。

 レース前とは対照的にコース上が騒がしく、観客席は静まり返っていた。

 このレース終了前十数秒。この時間に一体何が起きたのか。状況を正確に整理できていた者は一人もいなかった。皆が皆、呆気に取られている。

 クウヤもレースが終了した時点では目の前の光景を現実として認識できていなかった。


 確定が出て我に帰る。

 心の奥底からジワジワと愉悦が湧出してきた。


「よぉぉぉぉっっっしゃ〜〜〜〜〜‼︎当たった〜〜〜〜!当たったぞ、ビゼー!」


 立ち上がりビゼーとハイタッチを交わそうとした。

 しかしクウヤの腕が虚空を裂いただけだった。


「あれっ?」


 クウヤの目線の高さにビゼーの姿がない。

 目線を少し下げた。

 戦慄した。

 座ったまま大量の汗を垂らしながら呼吸を乱しているビゼーの姿がそこにあった。

 両太ももの上に両腕を乗せ、背中を丸め、首を下げ、自身の靴を呆然と視界に入れている。荒い呼吸で腹部は動いているもののその他の部位は凍てついたが如く動かない。


「——ビゼー!」


「……」


 応答がない。


(なんで⁈ビゼーはなにもしてないのに!)


 状況が飲み込めず、クウヤはプチパニックに陥った。


「たのむ!ビゼー!なんか言ってくれ!おい!」


「……」


 相変わらず応答はない。

 ここでクウヤは協力者がいたことを思い出した。

 そちらの方を見る。

 しかしそちらはそちらで遠くの方を呆然と見つめてしまっている。


「あの。あのー!」


 返事がない。


「くそっ!つかえねーな!おい!」


 クウヤは協力者の肩を掴んで前後に揺らしながら声をかけた。


「あの!」


「何だ?」


 ようやく反応した。その声はずいぶん間抜けであった。

 クウヤはキレながら言う。


「なんだじゃねーよ!ビゼーが!」


 協力者はクウヤの指差す方を見た。

 ビゼーの普通でない様子にようやく気付いた。


「おい!大丈夫か?」


 ビゼーの体をゆすって問いかける。

 当然反応はない。


「ふん、大勝ちして気絶でもしてんじゃねーか?」


 鼻で笑いながら言った。


「じょうだん言ってるばあいじゃねー!なんとかしないと!」


 協力者はクウヤのあまりの剣幕にたじろいだ。


「お、おう。と、とりあえず涼しい場所に運ぶか。コイツ、俺の背中に乗せて!」


 クウヤは言われた通りにした。

 ビゼーの体を支えていてクウヤは感じた。ビゼーの体に全く力が入っていないのだ。

 目は開きっぱなし。

 しかし呼吸はできている——乱れてはいるが——。

 それにもかかわらず体が動かない。

 原因が分からず適切な対処ができない。

 クウヤは必死にビゼーの名を呼び続けた。


 ビゼーを屋根のある涼しい場所に運ぶと、競馬場の職員を呼ぶために協力者は一度二人の元を離れた。

 ビゼーは背もたれのある椅子に座らせられた。首が据わっていないので顔は天井を向いている。


「だいじょうぶか、ビゼー?」


 そう問いかけたクウヤは直後、心底安堵した。

 ビゼーの眼球がクウヤの方を向いたのだ。目の中央に固定されていた眼球が定位置から動いた。

 返事はなかったが、意識があることを確認できたことがクウヤにとって非常に嬉しかった。

 その後、ビゼーは救護室に運ばれた。


 救護室に運ばれてからのビゼーは回復傾向であった。

 途中救急車を呼ばれそうになった。

 その時ビゼーは「呼ぶな、呼ばせるな」と目と顔で訴えるので、クウヤは上手く(?)誤魔化した。

 一時間も休むとなんとか動けるくらいまでには回復していた。

 ビゼーも元気になり、異常もないとのことで救護室から帰らせてもらえることになった。


「よかったよ、ビゼー。元気になって」


 クウヤは安堵の表情を見せている。


「前もこのやりとりしたな。前より心配かけたな。ごめん」


「ほんとだよ!もうギャンブルはやんねーからな!」


「そうだな。あんな思いは二度とごめんだ」


「マジでびっくりしたよ。よんでもなにも言わないから」


「あぁ、それなんだけどお前の声はずっと聞こえてた。ただ……返答できなかった。頭もスッキリしてて体も軽かったのに、全く体が動かせねぇんだ。磔にされたみたいに。体だけじゃねぇ。顔も動かせなかった。体の真芯から手足の指先、頭の天辺まで、ちゃんと神経通ってるのも分かるのに全く動かなかった。喋ることすらもできなかった。意識はあったのに。口が縫われて声帯が糊付けされてるみたいだった。おかげで呼びかけてくれるお前の方を向いて、聞こえてるって伝えることもできなかった。意識はあるって安心させてやることさえできなかった。とにかくもどかしかったよ」


「そうだったのか。マジでふつうじゃなかったからさ。こんどこそ死んじゃうんじゃないかってマジで思ったんだからな。ちゃんとなおってよかった!」


 クウヤは目をウルウルさせている。


「勝手に殺すなよ」


 口元を緩めて優しくツッコんだ。

 続けて真剣な表情に戻って言った。


「レースも当たったし、これで俺は魔人だって証明されたって言っていいだろ。これからは魔人方面のことも気をつけないとな」


「一回もかったことない馬、かたせちゃったもんな。おまえもまじんか〜。オレはすごいと思うけどさ」


「それはサンキュー。でも俺の意思を通して発動しないのが怖い。制御できないのはリスクでしかねぇ」


「きたえればいいんじゃね?」


「鍛え方が分かってたら苦労しねぇよ!それはそうとお前が派手に怒ったのも意外だったな」


「あいかわらず話メチャクチャだな」


「悪かったな!」


 ビゼーは不機嫌な表情をして言った。

 クウヤはそれをサラッと受け流して答えた。


「母ちゃんが動物すきでさ。母ちゃんのことでおぼえてるのってそのくらいで。母ちゃん、よく言ってたんだ。『動物のいのちは大切にしろ』って。それでオレも動物のことバカにするのゆるせなくて」


「そうだったのか。お前にとってはご両親の些細な情報も貴重な思い出だもんな。そりゃあの人にあんな言い方されたら怒るわな……」


 ここまで話してビゼーはとても重要なことを思い出した。


「そういやクウヤ、あの人どうした?」


「えっ?あれっ?おまえを運んだ時まではいたんだけどな」


「馬券は?」


「あの人がもってる……あっ!ごめん!ビゼー!」


 クウヤはビゼーに何度も何度も頭を下げた。


「マジか。けっこう痛いな……」


「ほんとごめんっ!」


「いいよ。俺にも落ち度はあるし」


「いや、オレがちゃんと見てなかったから」


「俺も色々しっかり管理できてればこうはならなかったんだ。金を受け取るのはどうせアイツだし、と思って油断してた。俺も悪い」


「けいさつに言うか」


「俺達が、ギャンブルの金盗まれました、って言ったら面倒なことになる。警察には言えない」


「あっ、そうか……」


「幸いお前の百万は残ってるしそれでなんとかするしかねぇな」


「なービゼー。さっきのレースいくらもらえたんだ?」


「三十億ぐらい」


「——はっ!マジでごめん!」


「もういいよ。あんま言うな。堪えるから」


 クウヤのテンションがダメダメになった。

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