第二十頁  遭遇

 クウヤとビゼーの二人が競馬場の外に出ると辺りは真っ暗になっていた。

 トボトボと帰り路を歩いているとクウヤに衝撃が走った。

 前方から知っている声が二つ聞こえてきたのだ。


「クウヤ!この声!」


 ビゼーも声に気付いた。

 何を言っているかまでは不明だが知っている声がする。


「行くぞ!」


 ビゼーは行く気満々だ。

 しかしクウヤは一歩を躊躇っていた。


「何してんだ?行くぞ!」


「えっ?あっ、オレも行かなきゃダメ?」


「うん?いや、ダメじゃねぇけど二人で行った方が良くねぇか?」


「そ、そっか。うん、そうだよな。そりゃそうだ!ははは……」


 クウヤは感情を留守にした笑いを溢し、歩き出した。

 彼らは話し込んでいる二人に近づいていった。


「……んだろう?お前がさっきまで……について教えろ!」


 ビゼーが知らない声が聞こえた。

 距離が遠く、所々聞こえない箇所がある。

 クウヤはこちらの声の主も知っていたが、ビゼーは分かっていない。

 彼が反応したのはもう一つの声だった。

 ビゼーが知らない声に、彼が知っている声が返答した。


「あの!私本当に急いでいるので!」


 その声はかなりひっくり返っている。怯えているのだろうか。

 その会話にビゼーが割り込む。


「お話中すみません」


 会話中の二人はビゼーの方を見た。

 一方はハッとした表情を、他方は無表情だった。


「なんだ?」


 知らない声の主はかなり大柄な男だった。


「そちらの方に用がありまして」


 ビゼーは大柄の男と話す。


「今じゃなきゃダメか?コイツに聞きたい事があるんだけどよ」


 ビゼーは大柄な男と話していた人物の方を見た。

 予想通り。先ほどまで行動を共にしていた協力者だった。

 ビゼーは知らない方の男と会話を続ける。


「なるべく早く解決したくて」


「どんな用だ?」


「金銭トラブルとでも言いましょうか」


「ほ〜。それは早く済ませないとな。俺の用事よりよっぽど大事そうだ。譲ってやるよ。だがこっちも急いでるんでな。さっさと済ませろよ」


「ありがとうございます!」


「わ、私こんな奴ら知りません!」


 元協力者は白を切って逃げようとした。


「おい、逃げんなよ!俺らの金返してもらうぞ!」


 ビゼーは彼を追おうとする。

 そんな二人の腕を大柄な男がそれぞれ掴んだ。

 かなり強い力だ。


「おいおい。逃げんなよ。俺の話がまだ終わってねぇんだからよ。それまではここにいてもらうぞ。それより兄ちゃん。『ら』って何だ?」


「ら?」


 ビゼーには何のことか分からなかった。

 平仮名の「ら」が脳内にぼんやりと浮かぶ。

 大柄な男はビゼーの腕だけ離した。


「さっき『俺ら』っつってたろ?俺にはここに兄ちゃんしか見えねぇからよ」


「いや、ここに……」


 ビゼーは後ろを向いた。


「あれ?さっきまでいたのに……」


 辺りを見回す。

 どこを見てもクウヤがいない。

 ビゼーがキョロキョロしていると大男は質問をした。


「連れが居たのか?」


「はい、本当にさっきまでいたのに。クウヤ、どこ行ったんだろ?」


 ビゼーが言葉をこぼした瞬間、男は獲物を捕捉した獅子が如く目を見開き、口角を上げた。

 ビゼーは男に背を向けて辺りを見回していたため表情の変化に気づかなかった。

 男は何事もなかったかのように元の表情に戻し、ビゼーにトラブルについて聞き始めた。


「いねぇもんは仕方ねぇな。で、コイツがお前らの金を返さねぇって言ったか?」


「はい」


「いくらだ?」


「その、具体的な金額は計算してみないと分からなくて。だいたいは分かるんですけど」


「そりゃ馬券か?」


「はい」


「ダメじゃねぇか。人のもん盗ったらよ」


 男は元協力者に優しい口調で語りかける。


「はい、すみません!」


 相変わらず、ひっくり返った情けない声だった。


「そんでお前、嘘ついたな?」


「へっ?いや……」


 協力者は萎縮した。


「こんな奴『ら』知らねぇっていったよな?コイツ一人しかいねぇのに、よく連れがいたって知ってたな?」


「そ、それは……さっき、一瞬だけいたのが見えて……」


「ああっ?」


「ひっ、す、すみません!」


 睨みつけられてすぐに謝罪した。


「嘘はいけねぇよなぁ」


「わ、分かりました。話します!話しますから!」


「そうか。じゃあ後でじっくり聞かせてもらおうじゃねぇか」


「何か、聞きたいことがあるんですか?」


 内容が気になったビゼーは尋ねた。


「兄ちゃんが気にすることじゃねぇよ。そんなことより金だ。おい!もう換金してあんのか?」


 男は元協力者に問う。

 元協力者は首を小刻みに何度も首を縦に振り、最後に、はい、と小声で言った。


「じゃあ、渡せ」


 命令を聞くと、元協力者は素直にスーツケースを差し出した。

 大柄な男と話していた時からずっと大切に握っていたらしい。


「この中か?」


「はい!」


 男はスーツケースを開いた。


「ものすげぇ量だな!」


 男の予想をも遥かに凌ぐ数の一万円札が入っていた。


「いくらある?」


「はい、二十九億九千百六十二万です」


 元協力者はハキハキと答えた。


「この額で合ってんのか?」


 男は若干引き気味にビゼーに尋ねた。


「俺がもらうのはその八割です。えぇと……二十三億九千三百二十九万六千円です」


 ビゼーは携帯アプリの電卓で計算しながら答えた。


「兄ちゃん、とんでもない馬券当てたんだな」


「どうやらそうみたいで」


「逃げられなくてよかったな」


「はい。あなたには感謝してもしきれません!ありがとうございました!よかったら謝礼として持っていってください。お好きな分だけ」


「お、おう。そしたらもらってくかな、一割とか」


「どうぞ!」


 ビゼーは男に二億九千九百十六万二千円譲った。

 これでもビゼーらの取り分はまだ二十一億円弱は残っている。


「とんでもねぇ臨時収入だな。こりゃ……」


 規格外の金銭授受に男は呆気にとられた。


「税金とか大丈夫か?」


「えっ?」


 男に言われてビゼーは思い出した。しかし何の問題もないのだ。


「買ったの俺じゃないので大丈夫です」


「兄ちゃん、恐ろしくヤベぇやつじゃねぇの。コイツの生活と引き換えに一生分、いや、それ以上の大金手に入れちまったってか!おまけに慈悲の心もねぇときた」


「人の金全部泥棒しようとした奴に慈悲なんかあるわけないじゃないですか。そんな奴の生活がどうなろうと俺の知ったことじゃありませんよ」


「ハハハ。面白ぇ。最高だ。兄ちゃん、悪魔だな。ハハハ」


 男は腹を抱えて笑っている。

 青ざめた顔をしていたのは元協力者だった。

 彼であろうとなかろうと、目の前でこんな生々しい話を聞かされたら恐怖に襲われるのが人間である。


「あ、あの、今の話は?俺はどうなるんですか?」


「死ぬんじゃねぇか?社会的に」


 男は訪れるであろう未来を突き付けた。

 元協力者は土下座して助けを乞うた。


「ど、どうかそれだけは!助けてください!妻も子供も居るんです。どうか!」


「最低だな」


 ビゼーは吐いた。


「お前、兄ちゃんの話聞いてたか?慈悲の心なんてねぇんだよ。よっぽど恨んでんぞ、こりゃ。俺はあんたを破産させたいわけじゃあないんだけどよ。助ける理由もねぇんだわ」


 ここまで言って男は元協力者の耳元で何か囁いた。

 元協力者は激しく頷いた。

 すると男はビゼーに交渉を持ちかけた。


「兄ちゃん、コイツを大変お恨みになってるとこ申し訳ねぇんだけどよ。もう十億施してやってくんねぇか?」


「どうしてです?」


「兄ちゃん、二十億もの大金どう保管するつもりだ?銀行に預けるったって一気にこんなに預けたら調査が入るだろ?かと言って現金のまま持ち歩くのも骨が折れる。現金がお荷物になるくらいなら国庫に返してやったほうがいいと思わないか?幸い兄ちゃんの取り分はまだ十億ある。それだけあれば兄ちゃんの目的も達成できるんじゃねぇか?」


 ビゼーは冷静になった。男の言う通りだ。詭弁でもない。それに男がいなければ今手元にあるお金は幻になっていたのだ。恩人とも言うべき人の的確な忠告を無碍にするのも心苦しい。

 予定外の出費にクウヤの許可をもらいたかったが、そのクウヤが姿を消してしまっている。

 クウヤの金には一切手をつけていないから大丈夫だろうと、独断で十億を元協力者に譲った。

 結果的に払戻金の半分以上を元協力者に取られたことになったが、彼がいなければ馬券を買うこともできなかったと思うことにして、海容した。

 十億を恵んだ代わりに先ほどまで約三十億円を入れていたスーツケースを貰うことになった。


「んじゃあこれでトラブルは解決だな。金ありがとな、兄ちゃん。盗賊には気をつけろよ」


「こちらこそありがとうございました!」


「大したことはしてねぇよ。連れにもよろしく言っといてくれ。オメェも謝っとけ、もう一回!」


 男は元協力者に謝罪を促した。

 小さな声の謝罪を自らの耳介に感じ取ったビゼーは、男に改めて感謝を伝え、別れた。

 現金十億円を入れたスーツケースは予想以上に重く、引いて移動することが極めて困難だったため押して帰ることにした。


 ビゼーが大人たちから離れると、どこからともなくクウヤが姿を現した。


「お前っ!どこ行ってたんだよ⁈」


「えっ?あ、えっと、トイレ!」


 何とも歯切れの悪い回答だ。おそらく嘘なのだろう。

 しかしビゼーはそれ以上追求せず、起きた事実を簡潔に報告した。


「お前がいなくなってる間に金は取り返したぞ」


「マジ⁈すげ〜!あ、それでそのバッグ」


「あぁ。こん中に十億入ってる」


「十おく⁈すげ〜!そんだけあったらバリバリくんなんこ買えるかな?」


 バリバリくんとは大人から子供まで幅広い世代に大人気の氷菓である。夏の定番といえば?と言う問いを投げ掛ければ、多くの人が三番以内に挙げると言っても過言ではない。


「何でバリバリくん換算なんだよ!でもなんかそれ聞いたらバリバリくん食いたくなってきた」


「コンビニよろうぜー」


 二人は途中コンビニに寄って目当てのものを購入し、食べ歩きながらホテルに帰った。

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