第20話 北原翔吾3

 北原は高校時代からを総括しても何の躊躇ためらいもなく「どうだろう」という曖昧な返事を繰り返していたのだろう。今見せた顔付きからも実感が籠もっている。深くなく浅くなくほどよい付き合を実践して残ったのが柳沢だったのだろう。

 この日はいつも得意なエイトボールを柳沢に負けてしまっても、特に気落ちしてないのがほどよい付き合いを証明していた。

 三人はビリヤード店を出て北大路通まで歩いた。土曜の夜だけに此処も河原町ほどでもないが賑わっている。

 ローテーションでは北原が圧勝しても、次のエイトボールでは柳沢が勝つ余韻残したままでは、深泥池の暗がりの中にある家には足は向かない。灯りを求めて自然と逆方向に歩いた。ビリヤードの余韻に浸るように居酒屋にこれまた自然と吸い込まれた。三人は空いた四人掛けのテーブル席に座った。シェアハウスでは乾き物ばかりの所為せいか三人はチューハイに焼き物と煮ものを注文した。

 ローテーションはいつも二人交代で打つのに、三人で打つのは久し振りらしく、今日の北原の一人勝ちはまぐれとは言わず、そんな変化に順応した所為せいだと話を落ち着かせた。お陰でチューハイが進んだ。適度のほろ酔いでさっきまでのビリヤード論争も下火になり、いよいよシェアハウスに話が飛んだ。もちろん冴木が選んだ五人にどう言う共通点があるのかと山上が話題を持ち出した。特に芸大の三人はともかく、社会人の二人は冴木さんの入居者基準としては、少しズレていると珍しく北原が反応してくれた。これには柳沢が驚いている。これが「どうだろう」という、なあなあな関係を維持してきた二人と最近一緒になったばかりの山上には目新しい話題だった。こちらから提供しなくても向こうから冴木の内面に入ってくれたのは有り難く喝采したい。

「どうズレているんだ」

 俄然と山上は張り切りだした。

「だって学生と社会人では、生活基盤が全然違うでしょう」

 もっともな意見だ。学生の出欠簿と会社員のタイムカードでは、直ぐに生活に響く点に於いてまったく相容れないものだ。当然多少遅刻しても欠席扱いにはならない学生と給料に響く北原たちとは日々の気分にも現れる。

「冴木先生はそこをどう捉えているのか。たんに問題を起こさない入居者なら誰でもいいんだろうか」

 北原の告白は更にエスカレートしている。

「オイ北原、お前は批判するその学生の美由紀に推薦してもらったのだろう」

「そう言う柳沢君は北原君の口添えだろう」

 此処で話に乗ってきた北原の出鼻を山上はくじくたくない。

「まあそうですが」

「しかし結果的には冴木さんは柳沢君を重宝してるんだろう」

 それでも柳沢も立ててやらないと話が頓挫すれば山上が困る。

「柳沢は車の運転が出来るからなあ、その所為せいか美紗和さんの負担を軽くしたいと買って出てるが、俺には此の家で順繰りの当番以外は何もすることがないんだ」

「それじゃあ柳沢君は車が運転できるから決めたわけでもないだろう。現にぼくも来たし賄いのおばさんもあさってから来てくれて、これで冴木さんも一応はみんなを平均に見られて、我々住人に対する考え方も変化するんだろう」

 此処で北原を悲観さす訳にはいかない。

「山上さんは来たばかりなのになんでそんな心配するんです」

 柳沢が言った。

「いや、今日までの君たちを見ているとどうなんだろう。あのシェアハウスには不満はないだろうが、ただ美紗和さんへの気苦労だけが今まで募っていたんだろう」

「まあ言われてみればそうですが、どうして山上さんはまたそう思うんです」

 柳沢は気になるようだ。

「それはあそこまで冴木さんのためにしている美紗和さんへの配慮かなあ」

 此の前来たばかりのこの男が何故、美紗和に関心を寄せるのが、二年近く居る柳沢にはせない。

 北原に比べて膝を交えると案外と、柳沢は神経質になると始めて気付いた。それでも呑みだすといっときを忘れる所が学生たちとは違った。四六時中自由な学生と労働に因る束縛感の解放を彼らは酒で味わって、つかの間の自由ほど彼らに貴い時間はないのだ。この違いは梨沙と接して、切実さが今の彼らから伝わってくる。

「柳沢君の仕事は順調なのか」

「そうは言い切れませんよ。毎日パソコン画面から離れられない辛さはどう形容しても伝わらないですよ」

「そうか、俺も似たような仕事だ。その点、北原君は無機質なパソコン画面と違って、織り上げた真っ白な生地に最初の一筆を描き下ろす爽快感は我々の比ではないだろう」

「その分、手や服が汚れますよ」

「どうして」

「筆を代えるときは、タオルで拭き取るのが面倒くさいほど目の前の絵柄に集中してついズボンに拭いて、描き終わって汚れた服に気が付き後悔してまう。それほど目の前の絵を描く作業に没頭出来るのも、仕上がった着物を着てもらう女性の気持ちに添えながら描くからです」

 北原はこう言う場になると急に饒舌になる。それだけ普段黙々と一心不乱に着物の柄と取り組んでいるようだ。

「そうだなあ。美紗和さんのような人がこの着物に袖を通してもらえれば、それだけ絵に集中した甲斐があったというもんか。そこに行くと柳沢君も俺も、ただ単にパソコン上のちょとした動作だけで、後はソフトがそのように動くから、すべて手で描き上げる北原君の場合の感動には及ばないのが唯一の不満かもしれんなあ」

 なんだかんだと言っても、学生たちは売れる商品価値より、自己評価して世間の価値判断をある程度無視して押し切れる。しかも評価は教授やその道の専門家がする。一方我々の仕事は庶民がお金を出して始めて評価される。この取り組みの違いを冴木さんがどう捉えているか、まだ残っている後二人の小野田と岸部を調べれば良い。

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