第19話 北原翔吾2

 今まで北原は目立たない存在に見えた。ビリヤードの特異性でもないがこのゲームの推移を通じて意外性のある特色が見えて来た。柳沢も同じ思いに浸っている。柳沢の表情を見る限りこの変化は此処だけなのか判断が付きにくい。

「北原君は柳沢君からビリヤードは下手なのか解らないと聞いた。調子のいいときと悪いときの見境が着かないそうだが、それはローテーションの時で、エイトボールになれば確実に球をコーナーや中央のポケットに入れると聞いた。今日のはローテーションなのに冴えてるな」

「自分でも良く解らない。それでも打った手球が狙った球のポイントに寸分も狂わずに当たってくれる。手球を打つ瞬間が乱れないからでしょう」

「今日はどうしてか、ハッキリ解らないのか」

「山上さん、それほど微妙ってことですよ。ぼくもそんなときが有ります」

 柳沢も同感のようだ。

 自分でも良く解らないって事は制御出来ないってことか。自覚症状もなく、勝手に脳から手首の筋肉に信号が流れてしまう。これを何度も繰り返し視覚からの刺激と直結出来るまでに鍛えれば、つまり日常化出来ればハスラー。プロってことか。北原はそこまでの域どころか足元にも及ばないのに神経回路だけは通って、これはヤバい。誰かが言った神の手か。あれも勝手に動いたのならそうかも知れないが、意識的なら真面な神経じゃない、神を冒涜する神経だ。健全な北原にはそこまでの野心はない。これこそが山上の求める無意識の深層心理を読み解く鍵になるんだ。今日のゲームはビールロング缶六本では計り知れない収穫があるかも知れない。

 北原の打つ球は次々とヒットして、台上のポケットに次々と入ってゆく。これではチーム編成を間違えた。同じ二対一でも山上と柳沢対北原の対決にしなければならない。柳沢に切なく目許に眉を寄せとて話が違うと訴えかけた。台上で打ちかける北原の後ろで、柳沢は困惑して虚ろな目を返してきた。

「どうして今日はそんなに調子がいいんだ」

「あれ? 山上さんとはビリヤードは初めてなのに?」

 さっきまでの北原らしくなく、ニヤけた顔になっている。

「柳沢君からばらつきがあると聴いたんだ。それにしても今日は冴えてるんだなあ」

「まあね。それは打ってみないと解りません。最初の一打で見事に球が四方に上手く散らばって、今日はその感覚が持続してるんですよ」

「そうか? 柳沢君、北原君は徐々に調子を上げるタイプでなく最初の一打でその日の調子が決まる方なのか」

「その辺は良く知りませんが、その日のコンデションの出来不出来に二通りのタイプがあるんですか」

 柳沢君に聞き返された。

「人それぞれだが。北原君の調子の悪い時を知らないから何とも言えんよ。悪いときはどうなんだ」

「まず最初の一打は、今日みたいにバラバラに散らずに、団子状態で残ります。それをばらすのに随分と二人で交互に無駄打ちしてやりにくいです。それにビリヤードは時間貸しですからちょっと苛つきますね」

 一ゲーム目はほとんど北原が球を入れてしまった。今日の勝負はそこで着いた。次は北原と柳沢の二人でエイトボールさせて山上は観戦する方に廻った。エイトボールは散らばりすぎると今度はどちらもやり易いが、相手の持ち球と自分の入れる球が適度に固まるとオウンゴールになりやすく、相手の球を避けながら打つ所にテクニックがいる。つまり手球を直接自分の球には当てられず、台上のクッションを利用してバウンスさせて狙うしかない。ローテーションは一番から順に直接打てるが、エイトボールは相手の球を避けて、手球を自分の球に当てるためにバウンスを多く使う。北原はバウンスさせる角度の見極めが鋭かった。

「北原君は直接打てない自分の球を台上の短クッションを使ってバウンスさせて当てるには白の手球の何処を狙えば良いかを見極めるのが上手いなあ」

 球の一点を真剣に狙って打ってるだけだと北原は返事に窮していた

「彼はいつもこうなのか、柳沢君」

 さあどうだろうという間に北原は打ち損ねた。やっと柳沢の打つ番が回ってきた。北原はキューを持ったまま山上の隣に座った。

「なんであんな簡単な所にある球を外すなんて、さっきのローテーションを見ていたら考えられんミスやなあ」

「ちょっと調子に乗りすぎた」

 北原は苦笑いした。

「そんなこと有るんか」

「絵筆と違って球はどう動くか解らんですよ」

「エッ、それじゃあ何も考えんと打ってるのか」

「こんなん、どう考えるんです」

「球のどこを打てばどう転がるか、角度を考えながら打ってないんか」

「そんなん計算しても解らんもんは解らん。だから当てずっぽうで打ってるんです」

 これには参った。勘が当たれば次々とヒットするが、外れるとメロメロになってしまうのか。

「さっきのローテーションは球が上手く全体に散らばったが、あれが良かったのは何なのだろう?」

「どやろう、自分でもよくわからんです」

 此のあと北原は打ち損じが増えて、山上と二人で柳沢を観戦する時間が多くなった

「どうしたんだ」

「山上さんに言われて考えて打ち出すとこうなったんです」

「俺の所為せいか」

 言われて彼は沈黙してしまった。

「やあー、悪い、要らんこと言った」

「気にしてませんよ」

 あれ? 今までと違ってさっぱりした顔をするようになってきた。

「急に柳沢君は調子を上げてきたなあ」

「そうでもないですよ、柳沢はいつものマイペースで、ぼくが調子に乗りすぎただけ」

「じゃあ、勝敗は君の勘しだいで決まるのか」

 へええと嗤いながら面白くないですかと聞かれた。

「どうだろう。でも柳沢君はそれでも月に一回は誘ってくれるんだろう。どういう友達なんだ」

「どうだろう」

 と北原に同じように返された。

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