第17話 ピアニッシモ辺境伯2

「お父様!」


 甲高い声を響かせて、一人の少女が応接間に乗り込んできた。


 私と同じ年頃の美しい少女だった。


 その少女は心の音のコルネットを力いっぱいに吹いて、それでも足りないのか、怒りに任せてティンパニを激しく打ち鳴らしている。

 癖のある金の髪を後ろで留め、少し吊り目がちで勝気そうな青い瞳。

 華奢な体つきで立ち姿が優美で気品を放っている。


 ……あれ、中庭で見えた後ろ姿の女性と同じ服装だ。

 辺境伯様を「お父様」と呼んでいるという事は、この人がセシリア様?

 

 ――――なんという事でしょう!本物のお姫様が、目の前に!


 小さい頃に憧れていたお姫様を間近に見られるなんて。これは、興奮するのは仕方ないと思う。


 ああ、肌が綺麗!

 髪も輝いて見える!

 お顔が本当に小さいのに、目があんなに大きい!

 お人形さんみたい!

 あと、いい匂いがする!


 心の中で拍手喝采していたけど、そのお姫様の様子が尋常じゃなかった。

 


「お父様!また勝手に社交パーティーの参加を決めたでしょう!?参加のお礼状が届いていたわよ!何度も言ってるわよね、勝手に私の予定を決めないで!絵を描く時間が無くなっちゃうでしょう!」

 

 怒り心頭といった様子の少女が、きれいな顔を怒りで歪めながら辺境伯様に詰め寄る。

 


「セシリア、今は客人が来ているのに……」


「そんなこと知りません!私は何度もお父様に言いましたよね!?社交パーティーなんかに興味は無いって!」

 

 セシリア様の迫力に、何も言い返せなくなっている辺境伯様。

 さっきまでの余裕と威厳は、どこへ行ったんだろう?

 娘に弱い、普通の父親の顔だ。


 ……貴族の人たちも、こんな風に親子喧嘩をするんだと驚いた。

 どこか、貴族の人たちと私たちは違うと思っていたのかもしれない。

 でも……同じなんだね。ちょっと親近感が湧くかも。

 


「だがセシリア、社交もまた大切な貴族の……」


「何が大切なのかは私が決めます!お父様は従順な娘でいて欲しいだけでしょう?私には社交より絵を描く時間の方が大切なんです!」

 

 セシリア様のコルネットがますます激しくなって、怒りのティンパニもさらに力強く打ち鳴らしている。

 うわぁ……すっごい怒っている……けど、その奥に小さなフルートの音が聴こえている。

 切なく響く音色は、父親への愛情だろうか。

 理解して欲しい。認めて欲しい。信じて欲しい……。

 そんな切なる願いが込められているみたい。

 

 辺境伯様が黙り込んでしまったためか、セシリア様が周りを見渡した時、ふと私と目が合った。


 

「あら、貴女は最近噂になっている方ですね?エドワードから聞いています。遠くから父が呼び寄せてしまってごめんなさいね」

 

 セシリア様から話しかけられて、私は慌ててソファから立ち上がって挨拶をする。

 


「は、はい。アリア・カンタービレと申します。初めまして、セシリア様」


「アリアというのね。同い年くらいなのかしら?」


「今年で17歳になりました。あ、あの、セシリア様って、本物のお姫様ですよね!?私、小さい頃はお姫様にとても憧れていて………。お目にかかれて光栄です!」

 

 自分でも何を言ってるのかよくわからなかったけど、とにかくお姫様であるセシリア様に会えて嬉しいと伝えたかった。

 


「あ、ありがとう?お姫様なんていっても、そんなにいいものじゃないわ。憧れてくれていて申し訳ないけどね」

 

 そう言うと、セシリア様は少し寂しげな顔をした後に、アレクにも話しかける。

 


「貴方にも迷惑をかけたわね……あら、貴方は貴族の子息かしら?」


「そうです。はじめまして、セシリア様。私はアレクサンダー・フォン・ヴァレンタインと申します。どうぞお見知りおきを」

 

 そう言うと、アレクは優雅に一礼してみせた。

 


「丁寧な挨拶をありがとう。私はセシリア・ロイ・ピアニッシモですわ」

 

 セシリア様は挨拶に合わせてスカートを少し摘み上げて、腰を落として軽く頭を下げた。

 その優雅な振る舞いに心の中で興奮してしまう。村にある童話の本に書いてあった通りだった。

 

 姿勢を戻したセシリア様は、私の方を見てため息交じりに話しだした。


 

「アリア……といったかしら。私は貴女が羨ましいわ」


「え?」

 

 羨ましい?

 セシリア様が?

 ……私を?


 

「あ、あの……何か勘違いしていらっしゃるんじゃないでしょうか……私なんて、羨ましがられるところなんかひとつも無いですよ?」


「あるじゃない。自由が」

 

 彼女の心の音が、自由へのあこがれと現実への不満を吹き鳴らす。


 

「貴女は貴族ではないからわからないでしょうね。責任と義務に縛られたこの息苦しさが……」


「セシリア……!」

 

 立ち上がった辺境伯様がセシリア様を見て何か言いかけたけど、それ以上言葉が続かなかった。

 彼女はそんな父親を一瞥して、ふいと顔を背けた。


 

「お邪魔したわね、私は失礼させてもらうわ。アトリエに戻って作業の続きをしなきゃ」

 

 そう言うと、彼女は踵を返して扉の方へと歩いていく。

 でも「あ、そうだ」と何かに気付いたようにふと立ち止まって、私の方に顔を向けてきた。

 

「アリア、時間があったら私のアトリエにいらっしゃい。お茶をしながら貴女の活躍を聞きたいわ」

 

 そう言って柔らかく微笑んでくれた。

 その笑顔はとても素敵で、彼女本来の優しさが表れているようだった。

 

 そのまま返事を待たずに部屋を出て行ってしまう。

 

 メイドさんが静かに扉を閉める音が部屋に響く。

 静寂に沈む室内で、辺境伯様のため息が聞こえた。

 


「恥ずかしい限りだが、見ての通りだ」

 

 辺境伯様が深いため息を吐きながら、ソファにゆっくりと腰を落とした。

 


「今のままでは良くないことはわかっているんだ……。情けない限りだが、嫌われるのが怖くて、娘に強く言えないのだよ」

 

 辺境伯様の眉間に深いしわが寄る。

 頭の痛みを追い払うように、彼は小さく首を振った。


 

「セシリアも貴族の娘としての責任と義務がある。そして、それから逃れられないのであれば、貴族の娘として早いうちに社交界に出て、良縁を得ることが彼女の幸せに繋がると……私は信じていた」

 

 アレクがなんとも言えない表情で辺境伯様を見ている。

 イライラしている彼のチェロは、何度も何度も同じ音の繰り返しているから、辺境伯様の態度に想うところがあるんだろう。

 だけど、彼は静かに辺境伯様の言葉を聞いていた。


 

「だが、セシリアは芸術を心から愛している。その情熱を、私が潰してしまっていいものなのか……」

 

 頭を押さえながら絞り出すように、懺悔するように語っている。

 


「もう……どうしたらいいのか、わからないんだ……」

 

 辺境伯様の心から、いくつもの違うリズムが同時に聴こえてくる。

 貴族の義務と娘への愛情。2つの想いがぶつかり合っている。

 深い葛藤と苦しみの音色。

 

 私は彼の心の奥の音を聴こうと集中する。

 周りの音が消え、彼が出すヴィオラの音だけが聴こえてくる。

 彼の葛藤と苦悩を表すように、幾重にも重なった音階とリズム。それを丁寧に聴いていく。

 


 深く、さらに深く――。


 

 心の奥底にある本当の願いを聴くために、絡まった糸を解きほぐすようにひとつひとつ、ヴィオラの音色を聴いていく……。

 

 やがて、心の奥底に隠されていた音が聴こえてきた。

 それは、切なく胸を締め付けるような悲しみの音色。そして、その中心に強く深く揺るぎない愛情の音が、毅然と音色を響かせている。


 

 何かとても悲しい事があったんだろう。私が母を喪った時のような悲しさが響いてくる。

 そして、その悲しみの中にはっきりと強い愛情を感じる。父としての愛情が。

 セシリア様の幸せを切に願う気持ちが聴こえてくる。

 

 やはりこの方は、心の底からセシリア様を愛しておられる。

 ただ、どうしたらいいのか、どう伝えればいいのかがわからないだけ。


 なら、伝えてあげればいい。

 


 「辺境伯様……」


 私は、勇気を振り絞って言葉に出す。



「セシリア様と、お話しをしてみてもいいですか?」


 本当は、怖い。

 失敗したらどうしよう。怒らせてしまったらと考えると、膝が震えてくる。

 でも――。

 

 辺境伯様が、希望の光を宿した表情で私を見た。

 


「頼む……。私の言葉では……もうあの子の心には届かない……。アリア嬢ならあの子と同じ年頃だ。何か変わるきっかけになってくれるかもしれない」

 

 そう言って、辺境伯様は私に期待を込めた視線を向けてくる。


 私は、決意を込めて頷いた。

 

 セシリア様とお話をして、心の音をちゃんと聴いてみよう。

 そして、このお優しい辺境伯様とセシリア様の心を、繋げてあげたいと強く思った。



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