第18話 ふたたび領城へ
翌朝。
私は『木漏れ日の唄』の客室で目を覚ました。
布を重ねた、柔らかなベッドから体を起こし、軽く体を伸ばす。
ベッドから降りて客室の雨戸を開けると、窓越しに見える領都コーダの街並み。
「……今日もいい天気」
窓を開けて、外の空気を吸い込んだ。すこし涼しい朝の空気が、体を目覚めさせてくれる。
昨日は、セシリア様と話をすると伝えたが、面会自体は翌日に行う事となった。つまり、今日お会いして話をするのだ。
お城の客間を用意すると言われてかなり焦った。とてもじゃないけど、緊張して余計に疲れてしまうと思って断りたかったんだけど、辺境伯様のご厚意を断っていいのかわからなくて……。
そんな私の様子に気付いたアレクが丁寧に断ってくれて、この宿まで戻ってこれたのだ。本当にアレクには感謝だね。
服を着替え、かるく身嗜みを整えてから食堂に向かう。
香ばしく焼いたパンの香りと香草の香りが漂ってきて、お腹が鳴りそうだ。
「おはよう、アリア」
先に来ていたアレクが、私に気付いて挨拶をしてくれる。
「おはようございます」
「おう、よく眠れたか?」
アレクが爽やかに笑う。
「はい、おかげさまで、ぐっすり寝れましたよ」
「それは良かった。今日は大事な日だからな」
そう言って、アレクは私の分の席を引いてくれる。
「アリアも朝食を注文してくるといい。俺はもう頼んである」
アレクに言われて、注文口の看板を見てみると、いくつかの朝食メニューが書かれている。
ん〜……。エッグトーストセットがおいしそうだけど、ハムトマトサンドも捨てがたいなぁ……どちらも2エコー(銅貨)だ。
「アレクさんは何を頼んだんですか?」
「俺か?俺はエッグトーストセットとチキンサンドだな」
おお!アレクがエッグトーストセットを注文していた!これは一口食べさせてもらおうかな。
「アレクさん。私、エッグトーストセットとハムトマトサンドのどっちにするか悩んでるんですよ」
「ん、それで?」
「私はハムトマトサンドを頼むんで、アレクさんのエッグトーストを、一口食べさせてくださいよ」
「え?嫌だ」
「いいじゃないですか一口くらい。代わりに、ハムトマトサンドを一口あげますから」
「断る。食べたかったら自分で頼め。それに、俺はトマトが嫌いだ」
あら意外。食べ物の好き嫌いを初めて聞いた。
「わかりましたよ……。アレクさんって、こういう時はケチくさいですね」
「なんとでも言え。俺は自分の食事を守るだけだ」
口を尖らせて文句を言ってもどこ吹く風な態度に、あきらめて注文をしに行く。
しばらくして運ばれてきた朝食を食べながら、アレクが今日の予定を確認してくる。
「今日は、セシリア嬢との面会だったな。エドワード殿が予定を取っておいてくれる手筈だが、お前は大丈夫か?」
昨日の私の様子を思い出しているんだろう、心配な表情で聞いてくる。
「大丈夫だとは言えません……。緊張しますし、怖いです。けど、辺境伯様とセシリア様をお助けしたいと決心したので、逃げません」
そう。昨日抱いた決意は、揺らぐことなく私の中にある。
今日は、しっかりセシリア様とお話しをして、お二人の心を繋げる手伝いが出来るようにしなければならないのだ。
「そうか。なら、頑張れ。俺はお前の事を信じている。何人も救ってきたお前なら、きっと出来るさ」
アレクは私の決意を見て、目を細めて信じると言ってくれた。
ならば、私は私の出来ることを全力でやるだけだ。
朝食を食べてから部屋に戻り、しっかりと身嗜みを整えた。
――鏡に映る自分を見る。
昨日見た、セシリア様のような服じゃない。髪の毛もあんなに艶やかじゃないし、肌も荒れている。
あんな綺麗なお姫様の前に、ただの平民の私が立って話していいものか……と、また気持ちが塞ぎかけてしまうが、頭を振って良くない感情を追い払う。
「大丈夫、私はやれる」
鏡の中の自分に向けて語りかける。
相手は領主とその娘。私とは住む世界の違う存在だ。
でも、父親に認めてもらいたい娘としての気持ちも、娘を心の底から愛する気持ちも、私達平民と何ら変わりは無かった。
そこには、お互いを思いやりながらもすれ違う、よくある親子の姿だけがあった。
貴族といっても一人の人間で、私達と変わりない感情があった。
――なら、大丈夫。私にも出来る。
もう一度気持ちを込めて頷き、視線を外に向けて、こちらに向かって進んでくる立派な馬車を窓越しに眺めた。
領城へと向かう馬車の中、私は窓の外を見ていた。
「緊張しているな」
隣に座るアレクが、私の表情を見て言ってくる。
「……はい」と、正直に答える。
「セシリア様と、ちゃんとお話しできるか…やっぱりまだ不安で」
「大丈夫だ」
アレクが私の手を取って、優しく握る。
「お前は何人も救って来た。今回もきっと上手くいくさ」
私も彼の手を握り返す。
その手のぬくもりに、勇気をもらう。
「……ありがとうございます」
——そうだ。私は、二人を助ける為に行くんだ。
でも、まだちょっと不安だから…。
このまま、しばらく手をつないでいてもいいよね?
再びピアニッシモ辺境伯家の領城にやってきた、私とアレク。
2度目となる圧巻の城塞を見上げながら進むと、またエドワードさんと、昨日のメイドさん達が迎えてくれた。
今日も皆さん素敵です。と、心の中でお姉さん達に拍手を贈っていると、エドワードさんが挨拶をしてくれる。
「アレクサンダー様、アリア様。おはようございます。昨日はよくお休みになられましたか?」
ピシッと隙のない立ち姿で、柔和な笑顔で聞いてくれる。
「おはようございます。おかげさまで良い宿を取らせて貰いましたので、ゆっくり休めましたよ」
アレクが爽やかに挨拶を返した。
「おはようございます、エドワードさん。私もぐっすり寝て、元気いっぱいです。今日もよろしくお願いしますね」
私も軽く挨拶を交わして、お城の中を進んでいく。
昨日と同じく、エドワードさんが先導して、メイドさん達が私達の後ろに控えながら進んでいく。
周りを眺めながら歩いていると、メイドさんの一人がスッと顔を近づけてきた。
ひゃあ!綺麗なお顔が近い!?いい匂いもする!?
「アリア様。このお話を受けていただきまして、ありがとうございます。ピアニッシモ辺境伯家臣下一同、感謝申し上げます」
突然の行動に動揺していたのに加えて、感謝をされたものだから、びっくりしてしまう。
今日、お二人のすれ違いを解消したいと思って来ているけど、まだ何もしていないですよ?
「そんな、まだ何もしていません。全力でお手伝いをするつもりですが、どこまで出来るかは、やってみないと分かりませんから……」
「いいえ。アリア様が帰られた後、辺境伯様とセシリア様のご様子がいつもと違いました。お二人共、良い方向に考えが変わったように感じられたのです。これは、私共では出来なかった事。本日の話の結果がどうであれ、感謝申し上げます」
そう言ってスッと頭を下げられた。
昨日は話を聞いただけで何もしていない。こんな風に感謝されると思わず、どうすればいいのか分からず困惑してしまう。
「その感謝は素直に受け取っておけ。それが、相手のためでもある」
アレクがそっと助言をしてくれたので、その感謝を素直に受け取ってみた。
「ありがとうございます。そう言ってくれて嬉しいです。でも、そうなると……今日はますます頑張らなきゃいけないですね!」
私が鼻息荒くそう言って、腕で力こぶをつくると、メイドさんは一瞬きょとんとした顔をした後に、華やかに微笑んでくれた。
「ふふ。よろしくお願いいたしますね」
その後も、メイドさん達と軽くおしゃべりをしながら進んでいると、昨日とは違う建物に入っている事に気づいた。
石造りの無骨な壁から、木貼りの温かみのある空間へと変わっている。
「この棟は、主に辺境伯家の皆様のプライベートエリアとなっています。寝室やアトリエなどもこちらの棟にございます」
私が辺りを見回していたのに気付いて説明してくれた。
いつの間にか城の奥の方まで来ていたようだった。
「セシリア様がお使いになられているアトリエも、この棟の中にあります。もう少しで着きますよ」
もうすぐ着いてしまうらしい。
覚悟を決めてきたが、いざとなると緊張してしまう。身体が小刻みに震え、自分でもわかるくらいに視界が狭まっていく。
強張った顔に気付いたアレクが、緊張でガチガチに固まっている私に、声を掛けてくれる。
「大丈夫か?」
「はい……緊張はしていますが、大丈夫です」
「そうか。相手は貴族だが、お前と同じ一人の人間だ。今まで救ってきた人達と何も変わらない、同じ感情を持つ人間だ」
アレクは私を勇気づけるように、力強い眼差しで語りかけてくる。
「だから、自信を持て。お前なら出来ると信じている」
彼の言葉が本心だと、彼のチェロの音色が教えてくれる。
「はい……!」
力強い励ましを受けて、勇気をもらった。
身体の震えが止まり、狭まっていた視界が広がった。今なら、出来そうな気がする。
そして、先導していたエドワードさんが、赤く塗られた扉の前で止まった。
エドワードさんが扉を軽くノックすると、すぐに少しだけ扉が開いた。開いた扉の隙間に向かって小声で話しているが、内容までは聞き取れない。
「お待たせしました。こちらでセシリア様がお待ちです。どうぞ、お入りください」
確認が終わったのだろう。エドワードさんが扉を開けて振り返り、中に入るよう促してくる。
彼の心から、温かなホルンと、小刻みに震えるティンパニの音が聞こえてくる。
とても温かで包み込むような調べは、セシリア様への想いだろうか。娘を見守る父親のような、温かな愛情を感じられる。
部屋に入ろうと扉に近づいていく私に、「セシリア様の事、よろしくお願いいたします」と、静かに頭を下げながら伝えてきた。
「精一杯、頑張ります」
そう返して、部屋の中に一歩踏み込んだ。
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