第3話 色をわかち合う日
今日は陶芸体験教室がない、自分の制作に打ち込める日だ。工房についた蓮は、まずいつもの“儀式”をこなす。掃除、今日の作業工程の確認、そして——窓辺の鉢に水をあげること。海の花屋で買ったハーデンベルギアは、工房の新しい住人になってから、もうすぐ2週間が経つ。けれど、数日前から少し様子が違った。ツルの先が少し乾き、葉の色がほんのわずかに褪せている。気のせいだろうかと思いながらも、水を替え、日当たりを調整し、何日か様子を見た。しかし、やはり元気が戻る気配はない。
「……どうしたんだろう」
つぶやいた声が工房の静けさに吸い込まれていく。調べても答えが出ない。結局、スマホを開いて、海の連絡先を見つめたまま、指が止まった。花束の予約でもないのに、直接連絡していいものだろうか。そう悩む蓮の手元のスマホ画面には、連絡先を交換した日に送ったやり取りのみ。でも『お花、きっと綺麗に咲きますよ。』という海からの言葉を見て、よしっと指を画面に滑らせた。
――色をわかち合う日
『おはようございます。朝早くにすみません。ハーデンベルギアの元気がなくて、数日いろいろと調べて様子を見てみたのですが戻りません。もしよければ、何かわかれば教えてください。』
そのメッセージと共に、元気のない花の写真も送る。メッセージはなんとなく苦手だ。あまり愛想の良くない自分がより浮き彫りになるような気がするし、だからと言って好感のもてるだろう文面も自分らしくなくむず痒くなる。そして、返事がくるまでの時間もどこか落ち着かないからだ。
土と向き合ってる間、蓮は時間を忘れて没頭する。しかし今日は、何度も窓際の花に意識が向いた。海の店で購入した時は、所々開花していたがまだ蕾が多かった。工房に移ってから徐々に紫の花が咲き始め、毎日の楽しみになっていた。自分がまさか花を愛でる日がくるとは、となんだかおかしい気持ちにもなっていた。
ブブッと作業台に置いていたスマホがメッセージの受信を知らせる。ろくろの前から腰を上げ、スマホを手に取ると『夏川海』の名前。
『お返事遅くなってごめんなさい!』
その一文から始まった、丁寧な花の手入れについての説明。花にも環境の変化でストレスがかかることがあること、土が乾いていたら底から水が流れてくるまでたっぷりと水をあげること、水はけは良くしておくこと、日光に当たる場所に置くこと…。仕事の合間に申し訳なかったなと思いながらも、頑張っての花のスタンプに安心感を覚えた。さっそく、花の様子をもう一度見に行き、説明してもらったように状態を確認し手入れをした。鉢の下に受け皿を置いていたが、これが水はけを悪くしていたかもしれないと思い、海の店で見たときのように窓側に吊り下げた。
「はやく元気になれよ」
ちょんっと紫の小さな花を人差し指でつついて、蓮は微笑んだ。
翌日朝一で花の様子を見に行くと、ここ数日間とは違い、葉も花もピンッとしており、頭を持ち上げていた。
「…よかった。元気になったんだな」
蓮は安堵のため息をつき、海に報告の連絡をした。今度は迷いのない、スムーズな指先の動き。太陽の光に照らされた花の写真も送った。今日はすぐに返事が来た。
『よかった…!冬木さん、お世話上手ですね。とっても綺麗に咲いてます!』
海からも安堵の様子と温かさが伝わってくる。そして、1枚の写真が送られていることに気づく。
(あ、これ…。この前レジの横にあった花だ)
前に花束を買いに行ったとき、海が陶芸体験で作ったコップに生けられていた花。そういえば、あのときこの花の名前を聞けなかったんだった。
『実は、陶芸体験で作ったコップをとお店に置いているんです。お花はその時々で変えてます。今はこのお花たちです!なにか分かりますか?』
最後にちょっと意地悪そうな顔の絵文字。海とは2回しか会っていないし、メッセージも数えられる程度。だけど、その絵文字から海のコロコロ変わる表情が見えるみたいだった。
『ひとつは、ハーデンベルギア。もうひとつは…アサガオ?』
『ハーデンベルギア、正解です!アサガオ…惜しい!これはヒルガオと言います。アサガオと似てますよね。』
『ヒルガオ、初めて聞きました。花の名前、またひとつ覚えました。』
蓮は、埴輪のありがとう!のスタンプを押して、スマホを作業台に置いた。この日から、時々、お互いに写真を送り合うようになった。海からは生ける花が変わったときや珍しい花が入荷したとき。蓮からは、ハーデンベルギアの成長や新しい釉薬を試したときに送っていた。誰かとメッセージのやりとりが自然と続いていることになんだか不思議で、でも全然嫌な気はしなかった。
*
海は入口の札をCLOSEにして、お昼休憩をとっていた。今日はコンビニで買ったおにぎり2つとミニサラダ、お茶。午後の仕事中に飲む用のコーヒー。バランスは気にしつつも、どうしても好きな物に手が伸びてしまうのが密かな悩み。自炊はしたりしなかったりで、料理は得意とは言えない。食べてくれる人がいれば作るのにが口癖だ。
梅のおにぎりを1口口に入れたとき、パソコンの横に置いていたスマホ画面が光った。『冬木蓮』その名前を見て、すぐに手を伸ばした。ここ2週間ほど、蓮との写真の送り合いが何となく続いている。海は元々、メッセージのやりとりやマメに連絡を取ることは苦ではない性格だが、蓮にはマメな連絡は苦手そうなイメージを勝手に抱いていたので、あまり自分からは送らないようにしていた。そんなとき、蓮が購入してくれたハーデンベルギアの元気がないと相談のメッセージが来た。頼ってくれたことが嬉しくて、いろいろと長文で送ってしまい少し後悔していたが、その翌日も元気になったお花の写真と共に報告の連絡が来て安堵したのだ。そしてまた調子に乗って、今度は自分からお花の名前を知ってるか?なんて写真付きで送ってしまった。それからだ。お互いに些細なことをやり取りするようになったのは。写真があると感想も送りやすく、それもあってかゆったりなペースで続いている。
『初めて作った、猫の花瓶。一輪挿しとかには使えそうな大きさです。』
その文面と一緒に送られてきた縦型の猫の形をした陶器。体には模様も入っていて、細やかな丁寧さを感じる。
(か、かわいい〜!!冬木さん、こういう作品も作るんだ…。ていうか、陶芸ってシンプルな形ばかりだと思ってたけど、こんな細かいことも出来るんだ…すごいなぁ)
蓮からは、ハーデンベルギアの成長した姿や、陶芸作品の写真、完成途中の写真が送られてくることが多い。自分の仕入れたお花が綺麗に育ってるのを見れるのも嬉しいが、こうして、陶芸という自分とは縁のなかった世界を覗き見させてもえるのも贅沢な瞬間だと海は思っている。
(冬木さんの作品、全部きれいで丁寧で…人を表してるって感じ。……また、会いたいなぁ)
海は自然とそう思っていた。でも、会いに行く理由もない。そして会いに来てもらう理由もない。大人になってから友だちと呼べる間柄になった人はあまりいない。
(どうやって友だちになるんだっけ…自然となってるものなんだろうけど。)
ご飯に誘うか、でも連絡先を聞いたのも海からで、ちょっと距離を詰めすぎだろうかと思い悩む。もっと蓮の世界観や穏やかな内面に触れたいだけなのに、なぜこんなにも慎重になっているのか、海にも分からなかった。とりあえず、蓮からのメッセージに素直な感想を返し、残りのおにぎりを頬張りながら今日の閉店後の配達場所を確認する。配達は、営業中であればすぐに戻ってこれる徒歩圏内、車の距離であれば閉店後に受けている。今日は閉店後に2件、配達の予定が入っていた。
(ん…?ここって、冬木さんの工房の近くじゃない?)
スマホのMAPアプリに住所を入力し拡大して場所を確認していると、目的地の近くに『蓮ノ葉工房』の表示が目に入った。海は瞬時に頭を働かせる。ちょうど会いたいと思っていたところにこの偶然。行かなくてどうする、でも何を理由に?うんうんと悩んでいると、蓮からメッセージの返信通知がスマホの画面上部に表示された。
『ハーデンベルギア、花が終わりを迎えてます。これって来年も咲くのでしょうか?』
その文章と共に恒例となったハーデンベルギアの写真。海の頭の中で、これだ!と光が点灯した。ちょうどツルが伸びてきているし、剪定に…ということにしてお邪魔しようか。ちょっと無理やりすぎる?いやいや、本当に伸びてるから気になったのだし…と誰に言い訳しているのか、声にならない言葉が海の中で飛び交う。
(ええい、悩んでないで送ってみるんだ!断られたらそれはそれで…次の機会に)
そう決意した海は、スマホの画面を操作し、震える指で送信のアイコンをタップした。
『このあともお世話していたら、来年もちゃんと咲きますよ!少しツルが伸びてきていますね。今日、冬木さんの工房の近くまで配達があるので、もしよければ剪定しに伺ってもいいですか?ご予定などあれば、剪定方法お伝えします!』
送った文章を見返して、我ながら保険に保険をかけた文章に思わず苦笑が漏れた。怪しまれないかな、大丈夫かな、そう不安になりつつも、おにぎりの最後の一口を口に放り込み、お茶で流し込んだ。テーブルにスマホを置いたまま、入口の札をOPENに戻す。そわそわした気持ちを誤魔化すように、乱れてもない鉢植えの並びを整える。店内に戻ると、画面が光っているスマホ。駆け寄って見ると蓮からの返信だった。
『実際に剪定しているのを見せてもらいたいので、お願いしたいです。仕事終わりにすみません。よろしくお願いします。』
海はにまにまと口角が上がるのを左手で隠しながら『とんでもないです!20時頃、伺います!』と打ち込み、午後からの仕事に気合いを入れた。
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