第2話 繋がるのは、花の蔓から





夏川海が経営する花屋『こもれびとしずく』は、さまざまな工夫がされている。

お客さんが来たときは、入り口上部と裏のパソコンスペースに取り付けられているライトがチカチカと点滅する。ホームページと入り口の立て看板には、耳が聞こえないこととスマホやタブレットで会話することを書いており、お客さんに理解してもらってから入店してもらう。首からは仕事用のスマホを下げて、花を選びながらでも会話ができるように。作業カウンターにはタブレットを置き、お客さんとの意思疎通がすれ違わないようお互いが見える場所に置いている。他にも、ラッピングの包み紙やリボン等をお客さんと海が見えるところに配置し、指差しでもやり取りできるようにしている。花束の大きさと値段をそれぞれ写真に撮った表や、花束・アレンジメント・ブーケの違いを写真にして店内に貼ったりと、とにかく接客をスムーズにできるように試行錯誤してきたのだ。海1人での経営のため、無理はしないようにしている。花束・アレンジメント・ブーケは、基本的には予約のみ受け付けており、入り口の扉に今日の店頭での受付が可能かどうかの記載もしている。


(今日はのんびりだなぁ…)


お昼休憩を終えて、13時。今日はもう予約分の花束等を作り終えているので、まったりと過ごせるのだ。春の暖かい日差しが店内の花をより一層輝かせているのを見ると、なんだか眠気に誘われる。


(いけないいけない…!動いて目を覚そう)


睡魔を振り切るように、店内の花の水切りをし始める。明日は仕入れの日なので、花の数は少なくなってきているが今日はまだ綺麗なものが残っている。まとめられる花はまとめて、バケツをいくつか空けていく。



ーチカチカッチカチカッ



店内に白い光が点滅したことに気づいた海は、入り口に背を向けてバケツに入った花の向きを整えていた手を止めて、笑顔で振り返った。しかし、【こんにちは】と手を動かそうとしたとき、来店したお客さんの姿を見て目を見開いた。






――繋がるのは、花の蔓から






(え、なんで…?)


「…こんにちは。夏川さんのお店だったんですね。」


そう口を動かしたのは、先月陶芸体験に行った『蓮ノ葉工房』の冬木蓮だった。海は驚いた顔を慌てて笑顔に変えて、【こんにちは!】とやっと手を動かした。首から下げているスマホに『蓮ノ葉工房の冬木さんですよね?』と緊張しながら打ってみせると「はい、覚えててくれたんですね。」と少し照れた様子を見せた。


『その節はありがとうございました!今日は…偶然、ですか?』

「こちらこそありがとうございました。はい、この近くで知り合いが個展を開いていて、そのお祝いに花束をと思って花屋さんを調べていたら、ここを見つけて。ホームページに『耳が聞こえないので、スマホで会話します』と書かれていたので、もしかしたら…と思っていたのですが、本当に夏川さんだったのは驚きました。」

『そうだったんですね。来店ありがとうございます、嬉しいです。この前とは逆ですね』


海がおかしそうに笑って言うと、蓮は力が抜けたようにふっと微笑んだ。海は蓮に花束のイメージを聞き、手早く束ねて包んでいく。蓮はその姿に、この前の陶芸体験とは違う器用な海の手捌きに見入っていた。ものの数十分で花束を作り終え、会計に移ったとき、レジの横に見たことのある陶器を見つけた。海が体験で作ったコップだ。そこに数本のお花が生けられていたが、蓮にはその名前がわからない。名前を聞こうかと思ったところで、完成した花束を渡され、そちらに意識が向けられてしまう。


「すごい…綺麗に作っていただいて。【ありがとうございます】」

『イメージにあったならよかったです!【ありがとうございます】』


そう言葉を交わし店の外に出ると、見たことのない鉢植えが軒先テントに吊るされていた。思わず立ち止まった蓮に、海は後ろから肩を叩き『どうしましたか?』と 聞く。


「これ…ツルみたいですね。」

『ハーデンベルギアっていうお花で、冬木さんの言うとおりツル性の植物ですよ。まだ蕾ですけど、もう少ししたら小さな花がたくさん咲きます』

「へえ…花、育てたことあまりないんですが、育てやすいですかね」

『はい!初心者でもおすすめのお花ですよ』

「…じゃあ、これも一つ、お願いします。」


蓮は、なぜだかその鉢から垂れ下がるツルから目が離せず、育てたことのない花を育ててみたい、花が咲くところを見てみたいと思った。海は鉢を軒先テントから取ると、店内に戻った。


『今から個展に行くんですよね?そしたら荷物になってしまうので、よかったら帰りまで置いておくこともできますが、どうしますか?』

「お気遣いありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて、お願いします。帰りは16時ごろになると思います。」

『わかりました。お預かりしますね』


蓮のメールアドレスを控えると、今度こそ見送った。






午後16時すぎ、裏の小スペースで明日の予約の確認をしていた海は、来客を知らせる光が点滅していることに気がつき、表へと出る。そこには、数時間前に顔を合わせた蓮が息を切らして立っていた。


「すみません。遅くなりました。」

『全然!走ってきてくれたんですか?』

「思ったより話し込んでしまって、気づいたら時間過ぎてました。すみません」

『気にしなくて大丈夫ですよ。はい、これ』


乱れた髪をササっと手で整える蓮を見て、笑顔になる海。やはり第一印象と変わらず、真面目な人だと感じていた。用意していた、ハーデンベルギアの育て方を簡単に書いた紙を袋に入れて渡す。蓮は一度その紙を袋から出し、読んでいた。海の簡単な手書きなのでそんなまじまじと見られるのは恥ずかしいと『もしよかったらまた来てくださいね』とスマホに手早く打って見せた。


「これ、ありがとうございます。大切に育てます。それと、さっきの花束もすごく喜んでもらえました。また、お願いしてもいいですか」

『もちろんです!あ、ホームページに予約フォームがあるのでそこからご予約していただいた方が確実にお渡しできます。あの、もしよかったら連絡先交換しませんか?その方が、ご予約が楽だと思うので!』


海は私用のスマホを取り出し、振ってみせる。一瞬表情が固まった蓮の顔を見て(やばい、まだ2回しか会ってないのに図々し過ぎたかも…)と我に返り、慌てて取り出したスマホをポケットにしまう。仕事用のスマホに文字を打っていると、蓮の大きな海のスマホを打つ手を止めた。


「交換、お願いします」


その文章に、だんだんと口角が上がるのが自分でもわかる。もう一度私用のスマホを取り出し、アプリを開いてQRコードを見せる。蓮はそれを自分のスマホで読み込むと、ポンっとスタンプを送った。海のスマホに表示された絶妙にシュールな埴輪のスタンプ。思わず吹き出した。


なんとなくこれきりにしたくない、この人と仲良くなりたい。偶然の繋がり、それがこんなに嬉しいなんて、海にとって初めての経験だった。







夕方、閉店準備を終えた海は、店内の照明を一つずつ落としていった。花の香りが残る空間に、春の夜風が静かに流れ込む。カウンターの上に置いていた私用のスマホがふと震え、画面が光った。


『今日はありがとうございました。ハーデンベルギア、工房の窓辺に飾りました。花が咲くのが楽しみです。』


添えられた写真には、淡い灯りに照らされた工房の一角。さまざまな陶器の器と、その隣に並ぶ小さな鉢。海は思わず、スマホを胸の前で握りしめる。偶然の再会が、こんなふうに続くなんて思ってもみなかった。ゆっくりと返信の文字を打つ。


『こちらこそ、ありがとうございました!お花、きっと綺麗に咲きますよ。』


送信を押すと、画面に“既読”の文字が浮かんだ。外では、月明かりが空を照らしている。海は、外の向こうにぼんやりと見えるその光を眺めながら、胸の奥で小さく芽生えたまだ名前のわからないぬくもりを感じていた。




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