第8話 連行

「そろそろだな……」

 アキラはそう言うと、サトルと代わった。

 唯はもはや抵抗する力すら残っていなかった。

「これはっ!いくらなんでもやりすぎだろっ!」

 サトルの声が、精神内にいる鋭くアキラに響く。

〈なんだ?お前の任務はこの女を壊すことじゃなかったのか?〉

 声が震える。否定したい。違うと言いたい。

 隼人には言われていた。

 “Aランク霊能者・唯を拘束、もしくは排除せよ。”

 排除。この言葉が何を意味するのか、サトルが一番よく分かっていた。

〈まあいい、お前の好きにしろ。俺は寝る。次の闘いまで起こすな〉

 アキラの声はそこでぷつりと途切れた。

「……アキラ?」

 返事はない。

 本当に眠りに戻ったのだ。

(投げっぱなしにもほどがあるだろ……)

 サトルは苦笑にもならない息を吐く。

 視線を落とすと、唯は崩れた人形のように床に伏したまま、微かに震えていた。

「じゃあ俺の好きにするからな」

 サトルはそう言うと、懐から手錠を取り出し、唯の手首をしっかりと拘束した。

 手錠の冷たい感触に、唯は思わず震えた。

〈隼人、御巫唯を拘束した。撤退の準備を〉

〈了解した。すぐ向かう〉

 短い通信が途切れると、瓦礫に座り込んで、サトルは唯に話しかける。


「お前の信者たちの洗脳ってのは、やっぱりお前がやられると全部解けるのか?」

「……そうよ」

 唯は俯き、瓦礫の上に落ちた血をじっと見つめた。

「……それを聞いて安心した。陽菜が一生あのままだと思ったからな」

「それで、あなたはこの後私をどうするの?

 唯は顔を上げず、血の跡をぼんやりとなぞりながら問う。

「隼人が来たら、局まで送る。それだけだ」

 サトルは事務的に言い放ち、立ち上がる。

 唯は少しだけ視線をそらして、かすかに息を漏らした。

「局に送られたら、私はどうなるの?」

「それは俺にはわからねぇよ」

 唯はしばらく沈黙した。


 その時――

「サトル!」

 瓦礫の向こうから隼人が駆けてくる。

「サトル、よくやってくれた。後は俺に任せろ」

 隼人は無線機をつけると、局に連絡をし始めた。

〈目標を発見。至急応援を〉

 隼人の無線が短く応答する。

〈了解。10分程で到着する〉

「今、局に連絡を取ったところ。10分程で迎えを送ってくれるそうだ」

 隼人はそう言うと無線を切った。

「……さて、局の人間が来る前に少し質問させてもらっていいか? 御巫唯」

「質問? ええ、いいわよ」

 唯はゆっくりと顔を上げる。

 血を拭うこともせず、淡々とした表情だった

「なぜ局を抜けた?」

「それはお金が……」

「それだけの理由ではないだろう?」

 隼人の静かな追及に、唯の肩がわずかに揺れた。

「……私は局を出てから、自分のために使ったの。信者たちは勝手に集まって来たし、私にお金を貢いでくれたわ」

「局に属さない人間が霊能力を使うのは犯罪行為だ」

 隼人が唯を見つめる。

「あなたたち“局”は何でも犯罪扱いにするわね」

「規律がなければ、霊能者はただの犯罪者と同じだ」

 隼人の声は硬い。

 唯は対照的に、鳥でも眺めるように気楽な姿勢で言い返した。

「じゃあ、その脅威を一番よく利用してるのはどこかしら?国?局?あなた達も同じよ」

「俺たちはルールを守って力を使ってる」

 隼人ははっきりと言い切った。

 その声音は怒りでも動揺でもなく、自らを律するための強さだった。

「ルールって、誰が作ったの?」

「それは、ロストが出来た時に初代の局長が作った」

 隼人はそう答え、手帳のページを軽く撫でる。

「局の戒律や霊能者の指針、行動規範は全てそこに書かれている。霊能力を持つ者が暴走しないように――弱き者を守るためのルールだ」

「……結局、力を持つ者の都合で作られたルールってことね」

 唯は冷ややかに言い放つ。

 手錠に縛られた腕を少し動かしながらも、視線を逸らさない。

「違う。俺は父親からずっとこう教えられて来た。『お前は強いから、弱者を救え』と」

「……結局、強者にできるのは、その程度のことだけってわけね」

 隼人は頷く。

「そうだ。強者でも、すべては救えない。それが現実だ」

 唯が、静かに呟いた。

「……偽善者」

「そうかもしれないな」

 隼人はその言葉を、真正面から受け止めた。

 次の瞬間――局の援軍が到着したのだ。


「こちら千葉県の霊能局員の者だ」

「千葉?東京以外にも霊能管理局なんてあったのか?」

  サトルが聞くと、前に立つ黒コートの男がゆっくりと視線を向けてきた。

「当然だ。東京だけで鬼械や霊能者の対処ができるわけがないだろう」

「……そりゃそうだよな」

 サトルは納得したように呟くが、その声にはどこか、知らなかった世界の広さに対する戸惑いが混じっていた。

「それより、早くそこの御巫唯をこっちに渡してもらおうか」

 千葉局員が一歩、隼人へと歩み寄る。

「地域的によると、御巫唯は千葉県の管轄内ということになっている」

「悪いが、これは元々東京局の任務だ」。

「身柄の拘束、輸送、取り調べ……処刑。嫌な仕事を全部俺がやってやると言っているんだ」

 千葉局員は唇の端を歪め、見下すような声音で言った。

「脅威かどうかを判断するのは局だ。お前一人じゃない」

 隼人の声音は冷えきっていた。

「……チッ、まあいい。別に東京局と事を構える気は無いからな」

 舌打ちとともに、彼は肩をすくめた。

 その言い回しは、穏便に引くように見えて、実際は全く引いていない。

 あくまで“今回は見逃してやる”というスタンスだった。

「無駄足だったようだ。お前ら撤収の準備をしろ」

 部下たちは即座に反応し、短い返事とともに動き始める。

「撤収作業に入る」

 短くそう告げると、千葉局の部下たちは無駄な動きひとつなく散開し、次々と黒い車両へ戻っていった。


「……なんか、軍隊みたいな連中だったな」

「実質そうだ」

 隼人が淡々と答える。

「千葉局は“排除任務”の比率が高い。ああいう体制になるのは当然だ」 

 唯は手錠を擦り合わせながら、皮肉げに笑った。

「へぇ……さすがね。“殺す方が得意”な局ってわけ?」

「黙っていろ」

 隼人の声が鋭く、しかし感情は薄い。


「……で、隼人。あいつらもう行ったし、俺らどうすんだ?」

 隼人は唯に視線を移す。

「決まっている、東京局へ連行する。元々そういう任務だったろ」

 唯はうつむいていた顔を少し上げ、乾いた笑みを浮かべる。

「……連れて行かれたら、私はどうなるのかしら?」

「誤解するな、唯。必要以上に酷い扱いを受けるとは思わない。だが、“どうなるか”は俺にも分からん。俺は運ぶだけだ」

「運ばれる側の気持ちなんて、考えたことないんでしょうね」

「そういう立場だと割り切っている」

 短い沈黙が落ちる。

 気まずさでも、怒気でもなく──ただ互いの思惑がすれ違う音のない空白。

 やがて隼人が話を切るように目を細めた。

「……歩けるか?」

「歩けるわよ」

 唯は皮肉も含まない、まっすぐな声でそう答えた。

 隼人は小さく頷き、ゆっくりと彼女に背を向ける。

「なら、行くぞ。東京局までは少し距離がある」


 唯はその背中を睨みつけるように見つめていたが、やがて息をひとつつき──無言のままその後を追った。

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