第7話 三秒の神
「どうしちまったんだよ!陽菜!」
サトルの声は焦燥と困惑で震えていた。
礼拝堂の空気がその声に揺れ、陽菜の肩を小さく揺らす。
「……ごめん、唯の方が正しい思うから。今回の、唯を倒すっていう任務からは抜けるわ」
「陽菜、それ……本気で言ってるのか?」
「本気よ」
いつもの陽菜の迷いのない瞳。
サトルの胸に、鋭い痛みが走る。
「……嘘だろ……陽菜……」
「嘘じゃないわサトル。私は今回の任務から抜けて唯のところに行く」
「……そうか」
「うん……これが私の答え」
陽菜は小さく頷き、拳を握る。
「わかった」
サトルは深く息を吐き、わずかに肩の力を抜いた。
その声には、怒りも焦りもなく、ただ諦めや受け入れが混ざった複雑な響きがあった。
陽菜はその表情を見て、少しだけ肩の力を緩める。
「ありがとう、サトル……」
二人の間に短い沈黙が流れる。
礼拝堂の奥では、唯が柔らかく微笑みながら二人を見守っていた。
「……さて、サトル君。あなたには選択肢が二つあるわ」
サトルは一瞬目を見開き、思わず息をのむ。
「……選択肢?」
唯はゆっくりと歩み寄り、柔らかな声で続けた。
「そう。一つは、ここに残って陽菜さんと共に歩むこと。これが一番いいわ。二つ目は死ぬか」
「……は?」
サトルが思わず声を漏らす。
「今から、十秒あげるから考えなさい」
「十秒!?」
唯は時計の針を見つめるように、静かに腕を伸ばし指を一本ずつ折りながらカウントを始める。
「十……九……」
陽菜はサトルの手をぎゅっと握りしめ、必死に視線を合わせる。
「サトル……お願い……考えて……」
「八……七……」
サトルの心臓が跳ねる。考える間もなく、重圧が押し寄せる。
頭の中で何度も理由を探すが、答えは一つしかないことを理解していた。
「六……五……」
唯の声は柔らかいが、刻一刻と迫るカウントに、冷たく切迫した威圧が伴う。
「四……三……」
サトルは拳を握り直し、心の奥で答えを決める。
「二……一……」
「……俺はお前を殺して陽菜と一緒にここを出る」
礼拝堂の空気が一瞬で凍りつく。
唯の目が見開かれる。
「私を殺す?面白いことを言うわね。Dランクのあなたが?」
失笑――それ以外のどんな言葉でもなかった。
「そうだよ。悪いかよ」
「悪くないわ。でも、殺すのは無理よ」
唯はそう言うと、サトルの四肢を霊力でへし折った。
「っ……あ、ああああああああああああああっ!!?」
サトルの身体が床に崩れ落ちると気を失った。
───暁サトルの精神世界。
その中心に、ひとつの影が立っていた。
〈また会ったな、サトル〉
暁アキラは、薄く笑った。
「呼ばれた覚えはないんだが、ここってなんなんだよ?」
サトルがアキラに苛立ちとともに聞いた。
〈ここは、俺とお前を繋いでる精神空間みたいなものだ〉
「精神空間にいるって、じゃあ……俺、死んだのか?」
サトルは眉をひそめ、喉の奥がひきつるほどの不安を押し隠しながら問いかけた。
アキラは腕を組み、肩をすくめた。
〈死んじゃいない。死んじゃいないが……“死にかけ”ではあるな〉
「……は?」
〈唯に四肢を折られた時点で、お前の肉体はほぼ機能停止だ〉
〈普通なら即死してる〉
「ちょっと待て……なんで俺はまだ意識が……?」
〈唯の予想以上にお前の体が馬鹿みたいな頑丈さで、今のところは、死んでいない〉
乾いたような声が精神空間に響く。
冗談めかした口調なのに、そこに含まれる“事実”だけはやけに冷たかった。
〈……それでお前には選択肢が今、二つある〉
「……選択肢?」
意識の奥がじわりと重くなる。何か良くない言葉を聞く前の、あの嫌な予感が胸を刺した。
〈一つは――ここで俺と代わり奴を殺す。二つ目は俺は何もせずそのまま死んで行く〉
「なんだよ……結局。一つしかねーじゃん。でも、代わるのは三秒だけ、絶対人を殺すなよ!」
〈いいだろう。3秒あれば充分だ〉
そう言うと、アキラはサトルと精神を入れ替えた。
「ほら、こんなものよ。DランクがAランクを殺すなんて、夢物語にもならないわ」
その声は淡々としていて、怒りも興奮もない。
唯が踵を返そうとした瞬間。
「待て、そこの女」
唯の足が、ぴたりと止まった。
その声は――サトルの声ではあったが、
サトルが絶対に口にしないほど傲慢で、冷たく、重い響きをしていた。
ゆっくりと振り返る唯。
倒れていたはずのサトルの身体が、地面に手をつきながら起き上がっている。
「……再生術式。霊能力がないはずのサトル君は、使えないはずよ」
(まあいいわ。どうせ再生術式しか使えないなら、私でも倒せるわ)
唯はそう心の中で結論づけ、薄く息を吐く。
──落ち着け。
再生術式は“時間稼ぎ”にしかならない。攻撃には転じられない。
ならば脅威ではない。
勝利を確信したような声音で、ゆっくりとアキラへ向き直る。
だが――返ってきた声は、まったく別の温度だった。
「勘違いするな、女」
低く、乾いた声。
アキラの口元が笑った。
「再生は“ついで”だ。俺が使えるのはそれだけじゃない」
再生術式だけではない――
では、何を使うというのか。
「時間がないので手短に壊してやる」
その一言は、脅しではなく“予定の確認”のように淡々としていた。
唯の背筋に、ようやく微かな危機感が走る。
「……時間がない?壊す?何を言ってるの?」
「サトルとの約束なのでな。俺は三秒しか戦えんのだ」
唯が眉をひそめると、アキラはまるで退屈そうに肩をすくめた。
「は……?」
三秒。
あまりにも短く、あまりにもふざけている。
「三秒って……そんな短時間で、私を“壊す”?あなた正気で――」
「うるさい女だな。俺だって貴様など一秒で充分だと思っているんだ」
アキラは淡々と告げる。
「三秒“しか”ではない。三秒“あれば充分だ”」
唯の背筋に氷のようなものが走った。
(……三秒で、Aランクの私を?)
そんなの、ありえない。
けれど――目の前の“サトル”は、すでにサトルではない。
動きも雰囲気も、殺気の密度も、別物だ。
「さて、始めるか」
アキラは軽く欠伸をすると、異次元から二体の式神を出した。
その言葉は挑発ではなく、誘いでもなく、ただの“退屈しのぎ”の宣言。
唯は思わず息を飲んだ。
(……この余裕……? なんなの……?)
さっきまで自分が圧倒していた相手とは、完全に別人。
目の前の“サトル”は、もはやサトルではない。
アキラは唇の端だけをわずかに上げ、続けた。
「俺は戦わんからな。この二体に相手してもらえ」
一体は酒呑童子――鬼面を光らせ、巨大な腕を振るって威圧を放つ化け物。
もう一体は八岐大蛇――無数の頭が唸りを上げ、鱗が光を反射して異様な存在感を放つ。
「ちなみに、こいつらには俺が特別な式を加えてあるからな。そんじょそこらの式神と同じだと思うな?」
唯の眉がぴくりと動く。声には挑発の色はなく、淡々とした事実の宣告だった。
「……特別な式……?」
「おしゃべりは嫌いだが……死ぬ前に一つ教えてやる」
アキラの声は低く、しかしどこか楽しげな響きを帯びていた。
「酒呑童子には重力を操る式を、八岐大蛇には全ての口から全属性の霊能を使える式を」
唯の身体が瞬時に硬直する。。
(でも大丈夫よ、彼は言っていた。3秒しか戦えないし、彼は戦うつもりはないようね……)
「考えてる暇があれば動け」
アキラがそう言うと、酒呑童子は重力で唯を押さえつけ、八岐大蛇が口から光線を吐く準備をした。
地面が悲鳴を上げた。
「――っ!!?」
酒呑童子の巨大な腕が軽く振られただけで、
唯の身体は見えない重圧に叩き伏せられる。
膝が折れ、足場が砕け、呼吸すら奪われる。
(な、なにこれ……重力……!? 身体が……動かない――!)
苦しむ唯に追い打ちをかけるように、
八岐大蛇の八つの口が同時に大きく開いた。
そこには、すでに全属性霊能が収束した光子の渦が輝いている。
「やめっ――」
言葉が終わる前に、空気が震える。
八つの喉奥に、砲撃めいた光が満ちていた。
アキラはつまらなそうに、ただ見下ろしているだけだった。
「動けと言ったが……その状態じゃ無理だな」
その宣告は、まるで砂時計の砂が一粒落ちた程度の無関心さだった。
八岐大蛇の八つの口が、一斉に眩い光で満たされ――
(だめ、避けられない……! 立てない……死ぬ!?〉
膝が地面に縫いつけられたまま、唯は歯を食いしばる。
逃げるどころか、身じろぎすらできない。
酒呑童子の重力操作が、骨まで押し潰すように圧をかけていた。
しかし――
アキラは軽く指を鳴らした。
「撃て」
八岐大蛇の八つの喉が同時に振動し、世界が白に飲み込まれた。
次の瞬間、光線は唯の身体の“ギリギリ横”を通過し、地面を円形に焼き抉った。
唯の視界が揺れる。
髪が焼け、頬に熱が刺さる。
(……当たってない……? わざと、外した……?)
「サトルとの約束でな。人を殺すなと言われていてな……今のは面白かった。あらゆる液体を撒き散らし、絶望を歪んだ表情は面白かったぞ」
「……っ……!」
唯は顔を赤くして必死に視線を逸らす。羞恥と恐怖が同時に押し寄せ、全身が震える。
「許しを乞うなら今だぞ?」
「……わかったわ」
唯は羞恥で濡れたままの衣服で地面に手をつき始めた。
アキラはそんな彼女を見下ろし、微かに目を細める。
「賢明な判断だな。Aランクだろうと、命がひとつである以上は平等だ」
淡々と告げる声は、怒りでも嘲りでもなく――ただ事実を確認しているだけの、死を司る者のような静けさだった。
唯は唇を噛みしめ、震える声で言葉を絞り出す。
「……もう私に攻撃しないで。私はあなたに勝てない」
「ようやく理解したか。ゴミ」
(おいアキラ!そろそろ!)
アキラはわずかに目を細め、苛立つでもなく、淡々と返す。
(……騒ぐな。分かっている)
唯はサトルとアキラの間で何かが交わされていることなど知らず、ただ息を荒くしながら地面に伏せていた。
アキラは立ち上がり、靴底で軽く地面を払うように砂を踏んだ。
「――時間だ」
短い言葉には、先ほどまでの冷酷な圧迫とは別の“切り替え”があった。
唯はその変化に気づき、震えながら顔を上げる。
「……な、何?」
アキラは振り返らず答える。
「サトルに言われている。遊びはここまでだ、と」
“遊び”――その一言が、唯の胸をさらにえぐった。
アキラはそこで初めて唯に視線を落とす。
「命は取らん。サトルが嫌がるからな」
淡々と。
まるで当たり前のように。
「だが――お前の立場は今日で終わりだ」
その宣告は、殺すよりも残酷に響いた。
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