第6話 涙と掌握

「……なんか、でっかい建物だなぁ」

 サトルは小さく呟きながら、前方にそびえ立つ巨大な建造物を見上げた。

 それはまるで教会と企業ビルを掛け合わせたような異様な建物だった。

「とにかく、まずは潜入よ」

 二人はさっと神宮寺が用意した、装束に身を包む。

 二人が建物の入り口に近づくと、セキュリティの警備員が、静かに二人を見つめた。

「……見ない顔だな」

 低い声。警備員の鋭い視線が、陽菜とサトルの全身を舐めるように動いた。

「……一応、身分証とボディチェックだけさせてもらう」

 警備員が小型のセンサーを持ち出し、体全体をチェックする。

「そっちの男もだ」

「お、おう……」

 サトルはやや身構えながら、一歩前へ出た。

 警備員の手にしたセンサーが、彼の腰元、脚、腕へと移動していく。

 わずかに音が鳴った瞬間、警備員の眉が動いた

「なんだコレは?腰部に棒状の金属反応?」

 警備員の声が一段低くなり、サトルの腰元にセンサーを向け直す。

 赤いランプがチカチカと点滅し、警戒音が短く鳴った。

「おい、動くなよ」

 警備員の手が無意識に腰のホルスターへ伸びる。その視線には明らかな敵意と警戒が宿っていた。

「……あー、あー、それ、多分ベルトの金具っすよ」

 サトルは乾いた笑いを浮かべながら、両手を軽く上げた。

「ベルトの金具にしては大きすぎる。外してもらおうか」

「外すって……いまここで?」

「当たり前だ」

「わかったよ……外せばいいんだろ」

 サトルがぼやきながらベルトを外し、警備員に手渡した。

「ここから出たら、ちゃんと返してくれよ」

 だが、警備員はその手を制した。

「まだだ。――靴の中も見せてもらう」

「えぇ!? どんだけ疑うんだよ!?」

 サトルが思わず声を上げると、隣の陽菜がすかさず肩を叩いて宥めた。

「サトル、我慢。我慢。ここで騒いだら全部終わり」

「……っ、わかってるよ」

 サトルは不満げに靴を脱ぎ、警備員に差し出す。

 警備員はまたも念入りにチェックを続ける。

 センサーを持っていた男が短く頷き、靴を返す。


「よし、行っていいぞ。ただし、荷物の搬入ルート以外には入るな」

「了解。助かったわ」

 陽菜がにこやかに微笑み、サトルの靴を手渡す。

 二人が中へ入っていくと、サトルは小声でぼそりと呟いた。

「……なぁ陽菜、次はマジで俺、全裸検査されそうだったんだけど」

「大丈夫。もしそうなったら――あたし、全力で止めてあげる」

「“止める”って、“助ける”とは違うよな!?」

 陽菜はいたずらっぽく笑いながら、先を歩いていると、一人の女性が現れた。


「ようこそ我が神殿へ。あなた方は新しい信者の方ですね?」

 不意に、柔らかい声が響いた。

 年齢は二十代前半ほど、整った顔立ちに穏やかな笑みを浮かべている――が、その瞳だけはどこか異様に冷たく、奥底に何かを隠しているようだった。

(ねぇ……サトル?ちゃんと撮ってる?)

 陽菜が小さく肩を寄せ、唇を動かす。

 サトルは、胸元に仕込んだ小型カメラを軽く叩きながら、囁き返す。

(……あぁ、映ってる。音も取れてる)

「それではまず、我々が祈りを行っている礼拝堂に案内しましょう」

 女性――御巫唯が静かに微笑みながら言った。

 その仕草は、まるで信仰そのものを体現しているかのように優雅で、どこか不気味でもあった。

 二人は唯の後ろに続く。

 廊下を進むたび、空気はひんやりと重くなり、壁に飾られた奇妙な彫刻が視界の端でざわつく。

 その彫刻は、まるで苦悶する人々の顔を模しているかのようで、光の加減によって表情が微妙に変化する。

 陽菜が小さく息を飲む。

「……やっぱりヤバいって、ここ」

「黙れ」

 サトルは低く答え、視線をまっすぐ前方に固定した。

 やがて、廊下の奥に大きな扉が現れる。

 赤黒い円環が中心に浮かぶその扉は、異様な威圧感を放っていた。

 唯は静かに手をかざす。

 円環が脈打つように光ると、扉はゆっくりと軋む音を立てて開き始める。

 中からは、濃厚な香と低く響く祈りの声が漏れ、重苦しい空気が辺りを覆った。


「――こちらへ」

 唯の声は優しく、しかし底知れぬ冷たさを孕んでいる。

「それでは、皆様。よく集まっていただきました」

 唯が現れると信者全員が拍手し始めた。

「本日は新しい“仲間”も来ています。どうか温かく迎えてあげてくださいね」

「新しい仲間?」

 その瞬間――礼拝堂にいた全員の視線が、陽菜とサトルへ向けられ、信者達がざわついていた。

「はいはい、静粛に」

 手を叩いて唯が会話を切った。

 ざわついていた信者たちは、糸を切られた人形のように一斉に口を閉じ、静寂が落ちた。

「さて、信者達も黙った事ですし」

  唯はゆっくりと視線を移し、柔らかな笑みのまま言葉を続けた。

「日下部さん。どうせ任務で私のことを探しに来たんでしょ?」

 陽菜の肩がわずかに震えた。

 信者たちがざわめくこともなく、ただ無表情のまま二人を見つめている。

 静かすぎる沈黙が逆に圧迫感を増す。

「……なんのことかしら」

 陽菜は平静を装うように返したが、声の奥に緊張が滲んでいた。

「貴女のよく通る声は昔から覚えてるの。それに、胸元に付けてるのも録音装置か何か?」

 陽菜の肩が一瞬強く震える。声を殺して息を吸い込み、床を見つめるしかなかった。礼拝堂の静寂が、二人の間の緊張を際立たせる。


「……そ、そんなものじゃありません」

 陽菜は声を抑えながら答える。

 だが、その言葉に自信はなく、まるで自分でも信じていないかのように響いた。

 唯は微かに笑みを深め、ゆっくりと一歩踏み出す。

「そう……? でも、こうして目の前で嘘をついても、全部分かってしまうのよ」

 瞳の奥の冷たさが、陽菜の心を鋭く刺す。

「日下部さん」

 唯は首を傾げ、優雅に声を落とす。

「ここに来た理由も、隠し事も……全部、無駄よ」

 信者たちは微動だにせず、二人をただ静かに見守る。空気は重く、圧迫感が肩にずっしりと食い込むようだ。

 陽菜は喉を詰まらせ、拳を握りしめる。答えるべきか否か、その葛藤が胸を締め付ける。

「……任務のためです」

 絞り出すように言ったその言葉に、礼拝堂の空気が一瞬、ひりつくような緊張で震えた。

 唯は小さく頷き、微笑を絶やさずに言う。


「ふふ……そう。なら、ここからは“本音”を聞かせてもらうわね」

 陽菜は息を詰まらせ、喉がひりつくほどに乾いていくのを感じた。

 唯はまるで舞台の幕が上がるのを待つ主演女優のように、ゆったりと一歩前へ進み、サトルの方を向いた。

「あれ?陽菜さん。バディを変えたの?前は隼人君と組んでたわよね?」

「……っ、それは……隼人が、私とサトルが組んだ方が今回は効率が良いって言ったから」

 陽菜の背筋に冷たい汗が流れる。逃げ場はどこにもない——唯の視線が、それを静かに、しかし確実に教えていた。

「効率……まぁ彼ならそう言うかも知れないけど。いきなり昔からのバディを変える?」

「……どういうこと?」

ふふ……“どういうこと”かしらね?」

 唯は肩をすくめ、まるで陽菜の答えを待つかのように目を細める。

 声は柔らかいのに、その瞳は冷たい刃のように突き刺さる。

「昔からのバディを変える——その“効率”の理由だけで、簡単に決めちゃう人がいると思う?」

 陽菜の肩がぴくりと動く。

 唯はその反応を見逃さず、距離を一歩詰める。

「隼人君は真面目で、誠実で……そんな人が、あなたのことを置き去りにして、“効率だけ”で決めると思う?」

「……そ、それは……」

 言葉が詰まる。

 唯は微笑みを深め、囁くように声を落とす。


「——つまりね、陽菜さん。あなた、自分で自分の“逃げ道”を作ったのよ。隼人君の隣に立つ勇気が持てなかったから。そして、サトル君の方を選んだ……怖くない方を」

 声にならない否定が、逆に弱さを浮き彫りにする。

 唯は一歩前に出て、陽菜の肩の高さに合わせるように視線を落とした。

「ふふ、可愛い顔してるわね……大丈夫。そんな貴女も心穏やかに暮らしていけるわ」

 胸の奥で長く抑えていた不安や恐怖、弱さが、今まさに溢れそうになっている。

「でも……心穏やかに……って言ったけど、それは“私のルールに沿った場合”よ」

「ルール?」

「そう。簡単なルール。みんな守ってるわ」

 唯は指先で天井近くに掛けられた古びた看板を指差す。

 陽菜が視線を上げると、そこには十ヶ条の戒律らしき文字が並んでいた。

 長い年月で色褪せ、かすかにしか読めないものの、空気に宿る重みは十分だった。


「ねぇ陽菜……このルール、守れそう?」

 唯の声は柔らかく、甘く響く。だが、その瞳には逃げ場のない鋭さが宿っている。

 陽菜は唇を震わせ、視線を落とす。

 胸の奥で押さえてきた不安や弱さが、今まさに溢れそうになるのを感じる。

「……わ、私……守れる……かな……」

「大丈夫。陽菜ならこのルール絶対守れるわ」

「ありがとう、唯」

 そう言うと陽菜は抱きついた。

「これで貴女も今日から私たちの仲間よ」

 信者達は拍手を始めた。

「ふふ……陽菜さん、見てごらんなさい。みんな、あなたを歓迎しているわ」

 唯は微笑み、抱きついた陽菜の肩を軽く叩いた。

 その笑顔は優しく、温かく、そしてどこか支配的な安心感を伴っていた。

 陽菜は驚きと喜びが入り混じった表情で、周囲の信者たちを見渡す。

 胸の奥で押さえ込んでいた孤独が、少しずつ消えていくのを感じる。

 ――今日から、私は唯と、そしてこの人たちと共に進むのだ、と。


 礼拝堂の空気は、厳粛さと温かさが混ざり合った、不思議な落ち着きを帯びていた。

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