第3話 見張る者たち


 マコトの乗った救護車とは別の車両。

 サトルは後部座席、両脇を局員に挟まれたまま走っていた。

 外は深夜。街灯の並ぶ道を、無音の黒いワゴンが滑るように進む。

 車内は装甲と制振材で包まれ、妙に静かだった。窓も完全なスモークで、外の景色すら見えない。

(……息苦しいな)

 サトルが肩を揺らすと、隣の護衛の一人がちらりと視線を寄越した。

 若い男で、肩に刻まれた階級章は「B」。

 口調は荒っぽく見えるが、目つきには殺気はない。

「緊張してんのか?」

 不意な言葉に、サトルは眉を寄せた。

「緊張してねぇよ。疲れてるだけだ」

「そりゃそうだ。阿修羅相手に生き残った奴なんざ、俺は初めて見た」

 もう一人の護衛――女性隊員が助手席から言った。

「……本当にあなたが倒したんですか?」

 疑いというより、恐る恐る真実を確かめる声音だった。サトルは小さく息を吐く。

「倒したよ。……代わりに、守りたい奴がボロボロになったけどな」

 男の護衛が少しだけ黙り、前を向いたまま言う。

「その子……マコト管理官だよな。俺らの中でも評判は良かった。生きてりゃまた会える」


 車は静かに管理局の門をくぐり、無言の灯りが建物の巨大な壁に反射した。

 入口の兵士が軽く会釈し、サトルは護衛二人に挟まれたまま車外へ引き出される。

 空気が冷たく、金属の匂いがした。

「着いたぞ」

 護衛の男が低く告げ、サトルは軽く顎を引くだけで応えた。

  

 廊下を進むと、壁に埋め込まれたモニターに過去の作戦記録や警戒図が流れている。

 スタッフは無駄なく動き、サトルの存在に特別な反応は示さない。

 だが、その無関心の裏にある“計算”だけは、肌で感じられた。

 面会室兼事情聴取室の前で、護衛が軽くドアを押す。

 室内は、先ほど見たあのガラス張りの密室と同じだった。

 テーブル、二脚の椅子、無機質な蛍光灯。ガラス越しには複数の影が並び、機器の小さな光がちらつく。

 岸田がすでに座っていた。

 彼はタブレットを手元に置き、サトルを見ると淡い微笑みを作る。

「座ってくれ、暁サトル君。もう一度だけ聞こう。どんな形で力を得た?」

 部屋の空気が、言葉と共に一瞬で張り詰める。

 サトルの胸の奥で、あの声が低く笑った。サトルはゆっくりと息を吐き、視線を岸田の目から外して机の上の蛍光灯の丸い輪を見つめた。

「……さっき言ったのが全部だよ。マコトから譲り受けた。それだけだ」

 言葉は短く、無理のない正直さを帯びていた。

 サトルの視線は蛍光灯の輪の中に留まり、岸田の反応を伺う。

 岸田は机に指をトントンと打ち、

「……まあいい。今日は軽い身体検査だけを受けて帰ってくれ」

 問い詰める圧は、唐突に霧のように消えた。

 先ほどまで氷の刃のようだった視線が、別の色を帯びる。

 詰め切らないまま引いた——その事実が逆に不気味だった。

 サトルは眉をひそめる。

「帰す、だと?」

「ああ。私にはそんな権限はないし、霊能管理局はあくまで、鬼械を倒すための組織なのだから」

 岸田は両手を軽く広げ、穏やかな口調に戻っていた。


 だが、その笑みにある“温度”のなさに、サトルは逆に背筋が冷えるのを感じた。

「だから君を拘束する理由はない。ただし——」

 言葉が一拍置かれ、蛍光灯の微かな唸りが部屋に戻る。

「君が“鬼械以上の脅威”と判断されない限りは、だ」

 サトルの表情が僅かに強張ばる。

 岸田はその反応を逃さず、静かに続けた。

「安心してくれ。君は阿修羅と戦ったのだから、体に異常ないかチェックするだけだ」

 岸田は淡々とした声音で言ったが、その奥にある「監視」と「疑念」が言外に滲んでいることは、サトルにもわかった。

 彼の言う “チェック” が、本当にそれだけで済むか――保証などない。

 サトルはわずかに鼻で笑う。

「……疑ってるくせに、随分と優しい言い方するじゃねぇか」

「仕事がら、人を疑うのが染み付いてしまっていてね」

 岸田はそう答えたが、その声音には険も刺もなかった。

 むしろサトルの警戒を解くための、柔らかさすら含まれている。

「だが――誤解しないでくれ。私たちは“君を敵と決めつけたいわけじゃない”」

 岸田は片肘をつき、静かに言葉を続けた。

「我々は君がどちら側に立つのか――それを知りたいだけだ」

 サトルは短く鼻で笑う。


「俺の意思なんざ、どうせ信じちゃいねぇだろ」

「そうだ。信じるかどうかは、君の言葉ではなく“行動”で決まる」

 一瞬、岸田の瞳が鋭く光る。

 それは管理官としての顔だった。

 情も理解もあるが、判断は冷徹。

 善悪ではなく “危険かどうか” だけを基準に人を見る目。

 サトルはその視線を受け止め、乾いた声で吐き捨てる。


「ならさっさと身体検査でも何でもやれよ。帰れるんだろ?ぐだぐだ言ってねぇで進めろ」

 岸田はわずかに笑みを戻し、護衛に顎で合図した。

「……強がりは嫌いじゃない。行こうか、暁サトル君」

 ドアが開き、護衛が近づく。

 無機質な事情聴取室から連れ出されるその足取りに、サトルはわずかに拳を握った。

 胸の奥で囁く声が、静かに呼吸する。

「……ああ」

 サトルは頷き、検査室に向かった。


 検査室の扉が重く閉まると、白い光が無機質に辺りを照らしていた。

 サトルは淡々と指示に従い、座らされた椅子に腰を下ろす。

 心臓の奥で、低く響く声が囁いた

 測定器が彼の身体を順にチェックしていく。血圧、心拍数、霊力反応──

 あらゆるデータが、無言の機械音と共に記録される。

 サトルはただ、じっと目を閉じず光を見つめ、胸の奥の存在と静かに呼吸を合わせていた。

 機械音が止まり、検査員がタブレットを覗き込む。

 サトルの霊力反応は、確かに“通常の非霊能者とは異なる”値を示していた。

「……異常はないな。心拍も安定している。霊力も極端な異常は見られない。なんで、こんな奴が阿修羅を倒せたんだ?」

「……理由は俺にもわからないな。運と偶然じゃないか?」

 もう一人の男性職員が言う。

「運と偶然でS級対策兵装級の鬼械が木っ端微塵になるかよ。冗談にしても質が悪い。とりあえず、この結果は局長に報告しないとな……」

 検査官はタブレットに最後の一筆を入れ、サトルを見た。

「検査は以上だ。だが、君の行動は局で注目されている。これからも監視は続く」

「……仕方ないよな。ただのジャンク屋がS級ぶっ倒したんだもんな」

 サトルの言葉に、検査官の一人が小さく鼻で笑った。

「……そうだな。生きてるのが奇跡なくらいだ」

 もう一人の検査官が腕を組み、モニターを一瞥しながら呟く。

「当然だが、君のような存在は局としても扱いが難しい。非霊能者で、しかもその力を持つ者は前例がない。監視は続くし、場合によっては訓練や補助を受けてもらうことになる」

 サトルはモニターの光をぼんやりと見つめ、わずかに肩をすくめる。


 「局としては、君を危険に晒すつもりはない。だが力を得た以上、しかし、ただのジャンク屋として生きるのは難しいだろう」

 検査官は首を横に振る。

 サトルは短く息を吐き、拳を軽く握り直した。胸の奥でアキラが低く嗤う。

〈ほう……やっと俺に面白い展開をくれる気か〉

(黙れ……今回は俺が決める)

「……ああ、わかってる。ただ、生きるためにどう動くかは俺が決める」

 サトルの声は静かだが、揺るぎない意思を含んでいた。

 検査官はわずかに目を細める。

「そうか。ならば今日のところは――帰って体を休めるといい」

 サトルは軽く肩を回しながら立ち上がり、入口へ向かった。だが、扉に手をかける直前――検査官の声が背中に飛ぶ。

「暁サトル」

 足が止まる。振り返ったサトルに、検査官は真っ直ぐな視線を向けていた。


「なんだよ……他にも何かあんのか?」

 検査官はゆっくりと歩み寄り、声を落とす。

「いや……別に、怪しいことを聞きたいわけじゃない。ただ、君がこの力をどう扱うつもりか、少し確認したいだけだ」

「……そうだな。借金返すために鬼械を殺すために力を使うんだ」

「借金を返すために力をつかう……か。ならば、''霊能管理官''にならないか?''霊能管理官''になればジャンク屋だった時より大金を稼げるぞ」

 検査官の口調は実務的で、甘い誘惑というよりは合理的な計算が滲んでいる。

「儲け話だってわけかよ……」

 サトルは舌打ち混じりに言う。

 だが、視線は逃さない。必要なものは、今まさにそこにあるのだ。借金、マコトの治療、装備――全部


「待遇はどうなんだ? 金額とか、任務の縛りとかよ」

 サトルの質問には、生活と人間関係の双方が懸かっている。

「すぐには細かい金額や任務の割当てまでは確定できない。組織の承認手続きと予算配分が必要だからね。ただし、暫定的な条件なら提示できる――初期支援金、初期訓練費用、一定期間の住居支援、それと医療費。借金の一括返済は局が立て替える形で行い、君の給与から段階的に回収する。要は生活の基盤は局が先に用意する。どうだ?」

 検査官は肩をすくめ、テーブルの端に置かれたタブレットを軽く叩く。

 画面には雛形が浮かんでいるが、細部は空欄だ。

 淡い蛍光灯が二人の顔を冷たく照らす。

「それだけだとよく分からねぇ。で、任務はどれくらい縛られるんだ?」

「それは入った時に先輩のバディに聞いてくれ」

(先輩のバディか……つまり、現場で一緒に回る相棒がコーチ代わりになるってことだな)

 サトルはそう呟きながら、タブレットの画面をぼんやり眺めた。

検査官の「入ったら聞けよ」という言い方は突き放しているが、現場の生々しい仕事は確かに机上の説明よりも先輩から学ぶのが早い。利害と不安を天秤にかけ、彼はゆっくりと肩の力を抜く。


「──分かった。入るよ」

 検査官は満足そうに頷き、手続きを急いで終わらせると、宿舎と訓練のスケジュール、初期支給品の簡単なリストを渡した。名刺を懐に収めると、サトルは局の棟を出て冷えた夜風を深く吸い込む。

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