第2話 暁アキラ

「ようやく、そこそこの霊力を手に入れて外に出てこられたわ」

 サトルの意識に、黒い影が触れた。

「……誰だ、あんたは……?」

「俺は暁アキラだ。生まれた時からお前の中にいたんだ」

「……ふざけるな。あんたは死んだはずだ……!」

 サトルが震える声で吐き捨てても、影は嘲るような笑みを浮かべ続けた。

「死んだ? ああ、そうだな。だが“消えた”わけじゃない。

 俺の魂も呪いも、この世界に刻まれ続けた。

 そしてその一部は、血となり、お前に宿った」

 心臓の鼓動が異常なほど速くなる。

 影――いや、アキラは続ける。

「勘違いするな。俺はお前を支配しに来たわけじゃない。俺は力を貸してやろうと言っているのだ」

 支配じゃない――その言葉に、サトルの眉がわずかに動く。

「なら証拠に、まずは生意気な阿修羅とかいう鬼械を殺してやろう。殺したらすぐにお前の体を返してやる……3秒もかからないからな」

 アキラの声は冷たく、しかしどこか楽しげに響いた。

 まるで時間そのものを道具として弄ぶかのような軽さだ。

 サトルはその言葉を額面通りには受け取らなかった。

 だが、胸の奥で何かがざわめき、体が勝手に動き出すのを止められない。

「よし、証拠を見せてもらおうぜ」

 短く、低く。サトルの声には震えが混じっていたが、その中に揺るがぬ決意があった。

「待たせたな。ゴミ」

 アキラが阿修羅に向かって言う。


 その声はサトル自身の声だったはずだが、冷たく、笑みを含んでいた。

 言葉の端にアキラの匂い──古く、刃のように鋭いものが混ざる。

「どこからでもかかってこい。潰してやる」

「あの男……雰囲気が変わったな」

「来ないのか?来ないなら、こちらからいくぞ」

 アキラがそう言うと、素早く右手を振ると阿修羅の胴が真っ二つになった。

 切断面からは黒い霧と、赤黒い血が低く滲み出し、床に広がる。金属片と内蔵らしき断片が、鈍い音を立てて転がった。

「この程度か?やはりゴミだな。俺の時代には貴様程度の鬼はウヨウヨいたわ」

 アキラの声が、サトルの口から冷たく漏れる。

 言葉に含まれた嘲りは古くて深く、まるで何十年も腐敗した歴史を嘲笑うようだった。

「児戯にすぎんな。だが忘れるな。借り物はいつか、必ず返せ。代価はお前が思うより重い」

 マコトの顔を覗き込む。血で汚れた頬に、かすかな笑みが残っているように見えた。

 彼女はまだ呼吸をしている──しかし顔色は土のように蒼く、指先は氷のように冷たい。

 サトルは咄嗟に上着を脱ぎ、マコトの肩にかける。応急処置の知識はほとんどない。

 それでも、できる限りのことをするしかなかった。

 暗闇の向こうから低く、落ち着いた声が響いた。廃墟の瓦礫を踏む足音が、ゆっくりと近づいてくる。

サトルは咄嗟に身を固め、上着でマコトを覆ったまま振り返る。


「そこの君、少し聞きたい事があるんだが」

 サトルは唇をかみ、息を整えた。

「……誰だ。姿を見せろ」

 声の主は微かに笑い、影の中からゆっくりと現れた。

 その姿は闇に溶け込み、しかしどこか異様な存在感を放っていた。

「安心しろ、敵ではない。霊能管理官の者だ。阿修羅の応援に来たんだが、どうやら何者かにすでに倒されてしまったようだね」

 サトルはその言葉に一瞬息を呑んだ。

「……倒したのは俺だ。阿修羅はもう……」

 影の霊能管理官は、ゆっくりと頷いた。

「なるほど、君か。確かに、あの鬼械を一瞬で片付けるとは……聞きたい事があるんだがいいかね?」

 男はゆっくりと一歩前へ出る。

 年齢は四十前後だろうか、長いコートの襟を立て、右手には簡素な徽章が光っていた。霊力の濁りを探るように目を細める。

 岸田はため息交じりに頷き、だがすぐに表情を引き締める。


「聞きたいのは二つだ。一つ、君の名前と経歴。もう一つ、君がその力をどうやって得たのかだ。答えてくれれば――まずは負傷者の手当てを施そう。協力すれば、その場での強制拘束は避けられる」

「俺の名前は、サトル。ロストでジャンク屋をやってる」

 問いを投げた男は、腕を組んだままサトルをじっと見下ろした。唇の端に薄い冷笑を浮かべている。

「じゃあ、二つ目だ。どうやって力を手に入れた?」

「……さっき霊能管理官のマコトから譲り受けた。詳しくは説明できない」

 岸田は腕を組んだまま、静かに、しかし鋭くサトルを観察する。光に浮かぶその目は、刃のように冷たく、嘘を見抜こうとする意思が宿っていた。

「なるほど……譲り受けた、か。面白い状況だな。しかし、君のような“非霊能者”がその力を扱えるとはな……」

 サトルは胸の奥で光を感じながら、無言で拳を握り締める。

 岸田は一歩前に出て、視線を落とす。


「まあいい……だが、詳しいことは局で聞く」

 サトルは肩越しに倒れたマコトを見やり、眉をひそめた。

「まずはマコトを治してからにするんだな」

 岸田は短く息を吐き、サトルの返答を真正面から受け止めた。

「……いいだろう……私も有能な霊能管理官を、無駄死にさせるわけにはいかない」

 その言葉に、周囲の局員たちが手際よく動き出す。

 担架が持ち出され、医療班の一人が素早く駆け寄ってマコトの容体をチェックした。

 サトルは彼らに軽く付き添われる形で、荒れた路地の外れへと導かれていく。


「こちらで手当てをする。だが、君にも監視がつくだろう」

「……構わないさ。好きに監視でも尋問でもしろ。ただしマコトが助かるなら、それでいい」

 サトルは振り返らずに言った。肩越しに見えていた血の痕が、担架と共に遠ざかっていく。

 医療班のライトが白く瞬き、マコトの顔を照らした。

 その表情にはまだ苦悶が残っている。

 岸田はサトルの後ろ姿を一瞥し、部下へと指示を飛ばした。

「搬送を急げ。霊力反動による臓器疲弊と神経焼損……油断すれば一気に悪化する。霊紋保護薬と鎮静結界を優先しろ」

「了解!」

 局員たちが動き出す中、サトルの横へ別の男が並んだ。無機質な目をした屈強な護衛で、腰には結界銃がぶら下がっている。


「あなたの同行と監視を命じられています。抵抗した場合、拘束も辞さない」

「好きに言えよ。俺は逃げやしない」

 サトルは吐き捨てるように返した。

 だがその声には怒りよりも焦燥が勝っていた。

 唇を噛みしめる。夜風が冷たいのに、胸の奥だけは焼けるように熱い。

 救護車のドアが閉じられた瞬間、岸田が静かな声で言った。

「サトル君。マコト君も局に戻れば、ちゃんとした施設で回復出来るだろう」

「……ならいい」

 サトルは短く返した。

 それ以上の感情を表に出す余裕はない。胸の奥はまだ灼けている。怒りか、不安か、それともあの“力”へ触れた余韻なのか、自分でも判断がつかなかった。

 救護車が走り出し、サイレンの低い唸りが夜に溶けていく。

 揺れる車内の灯りが、サトルの横顔と岸田の表情を交互に照らした。

 岸田は視線を前に向けたまま、言葉を続ける。

「君の判断は正しい。――友人を守るという意思は、霊能管理官にとって最も重要な資質だよ」

 救護車のドアが閉じられた瞬間、岸田が静かな声で言った。

「サトル君。マコト君も局に戻れば、ちゃんとした施設で回復出来るだろう」

「……ならいい」

 サトルは短く返した。


 それ以上の感情を表に出す余裕はない。胸の奥はまだ灼けている。怒りか、不安か、それともあの“力”へ触れた余韻なのか、自分でも判断がつかなかった。


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