夜行
相変わらず降り続く雨は、その勢いを少し強めていた。
妹が家に帰りたがっていたので、母と妹は先程帰宅した。私と父はこの家に残って警察に協力することになった。私がここに残っても特に役立つわけではないが、長男の意地のようなもので、残らなくてはならないとなんとなく感じたのであった。
この広い屋敷に、私と父のたった二人である。二年間も会っていなかったからか、その空白の時間を取り戻すかのように、父は私によく話しかけてきた。「大学はどうだ」とか、「一人暮らしは淋しくないか」とか、ありふれた父子の会話だ。だが私にとってはありふれたものではなかった。だからこそ、戸惑いで上手く会話は続かなかった。
父は冷蔵庫からビール缶を二本持ち出してきた。
「飲まんか」
「飲むよ」
我々は食卓の席に着いた。こうやって向き合って話すのはいつぶりだろうと思った。
酒の力とはすごいもので、それまで進まなかった会話がスルスルと進む。不思議と心が和らいだ。祖父の死、叔父の失踪が立て続けに起きている真っ最中とは到底思えないほど、心安らかな時間がそこに流れていた。
ただし酒が引き出してくれるのは人の本音だけではない。招かれざる客、すなわち強烈な気持ち悪さと眠気である。視界がふらついた時には、机の上にビール缶が何本も乱立していた。
気が付くと、私はリビングにあるソファで眠りこけていた。天井の蛍光灯が鈍い音を立てている。ただそれだけの音しかしない。いつの間にやら雨は止んでいたようだ。
私は父の姿を探した。リビングには居ない。リビングと繋がっているキッチンにも、襖を隔てた先にある大広間にも気配はなかった。
二階の寝室にも向かったが、そこにも居ない。布団は敷いたまま、荷物も置いたままである。ひっそりとした部屋に一人でいると、畳からしっとりとした空気が排出されているように感じられた。
図書室がある三階には行かなかった。真っ暗な空間に怖気づいたのだ。
私は再びリビングに戻ってきた。不思議と、父が消えたことは気にならなくなっていた。ソファに腰掛け耳を澄ましても、聞こえるのはやはり蛍光灯のぶぅぅーんんんという鈍い音だけである。私は深く息を吐いた。
部屋の隅の暗がりに、何かが
仏間のほうを見ていない、と思い立って腰を上げたのは日付が変わった頃合いだった。リビングを出て、長い廊下を歩いてゆく。
この廊下には、おおよそ五メートルほどの間隔で両側に灯りが点いている。まるで工事中の隧道に灯る蝋燭のようだ。歩く度に床板が沈み込んで、ミシミシという音がする。祖父も日々こうして仏壇に向かっていたのだと思った。
仏間の襖は開け放たれていた。私は廊下から仏間を眺めた。月明かりが外から差し込み、仏壇の装飾が煌めき、蝋燭の火はゆらゆらと揺れている。はて、あの火は父が消していたはずではなかったか。
廊下を進み、祖父の書物部屋に向かう。無地の襖はピシャリと閉じてあり、そこには私の輪郭が黒黒と写っていた。私は
天井にあるぼんぼりのような電灯が、淡く部屋全体を照らしていた。丸テーブルには二冊の本が置かれている。卓上ランプも灯っていた。
私は一方の本を手に取った。古い本だ。綴じ方が
私は慎重に頁を捲り読み始めた。
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