第2話 師匠
現代に戻った次の日。
「——師匠、久し振りっす」
家から徒歩で数分。俺の剣の師匠が住む家兼道場(剣道場に似てる)に出向けば——瞑想をしていた五十代くらいのムキムキおじさん改め師匠が、俺を見るなり顔を真っ赤にして怒号を上げた。
「久し振りっすじゃねぇ! オメェ今何時だと思ってやがる!?」
何時ってそりゃあ……。
「十八時?」
「オメェ何時に来るっつった?」
……はて、何時に来るって言ったっけ?
「……十八時?」
「九時じゃボケェ! 師匠を九時間も待たせるたぁ良いご身分になったじゃねぇか剣司ィ!!」
「いや俺は悪くないです。気持ち良すぎるベッドと寝心地最悪な異界の敷布団が悪いです」
あの二つの落差エグい。マジ駄目人間真っしぐら。人間は恐ろしいものを作ったもんだよ全く。
俺が一切反省の色を見せないでいると——突然視界が揺れる。少し遅れて頭頂部から激痛が走った。
「いっったぁ!? し、師匠やめてくださいよ! 頭頂部の毛根が死ぬじゃないですか! 将来てっぺんハゲになったらどうしてくれるんすかっ!!」
「こん程度で死ぬってならオメェの将来はハゲ一直線だ馬鹿野郎」
頭を押さえてキッと睨みつける俺の視線を諸共せず、フンッと鼻を鳴らす師匠。記憶にある師匠まんまだ。
——村正
見て分かる通り師匠の本名で、俺のお祖父ちゃんの弟にあたる人だ。現在六十五歳だが、見た目は五十代前半にしか見えない。まぁ二十の俺からすればどっちもあんま大差ないけど。
そんな師匠は、数年単位で旅に出るお祖父ちゃんの代わりに村正流道場の師範を務めている。
当然剣の腕は凄まじい。一年前時点では一回も勝てなかったレベル。兄さんも十回に一回勝てたら御の字ってくらいの達人だ。
ま、その分おかしな人なんだけどさ。……というか母さん達もそうだけど、この一家俺に会っても態度変わらなすぎじゃね? 頭のどっかのネジがぶっ飛んでんじゃないの?
なんて頭のネジがぶっ飛んでる代表の俺が自分のことを棚に上げて思っていると。
「それで——どうだった?」
先程までとは一変、師匠が真剣な面持ちで問い掛けてくる。
中々に唐突とも言える師匠の問いだが——俺にはその意図が分かった。
——修練場に入って剣は極めれたか、と言っているのである。
俺はそんな師匠の言葉に——木刀を取ることで答えた。俺達にとってはこれが一番の答えだった。
「……フンッ、一年で随分と生意気になったなぁ剣司ィ!」
口では文句を垂れつつも、師匠の顔には隠しきれないほどの闘志が宿っている。
これほどの闘志は、今まで向けられたことない。
つまり——師匠は俺を本気を出さないといけない相手と思ってくれているわけだ。
……あぁ、全く。光栄この上ないよ。師匠の本気なんて、見たいに決まってる。
「剣司、オメェ手なんか抜いてみぃ——頭頂部はハゲると思え!」
「こわっ!? 二十歳には最高レベルで恐ろしい脅迫じゃないですか! もちろん手なんか抜きませんけどね!?」
「それでいい! ——さぁ見せてみろ、オメェの成果を!」
師匠はそう言って獰猛に笑い——早速飛び出した。
その速度は、人が届きうる最高速度に迫るだろう。
……やっぱ師匠はすげぇなぁ……。
俺は素直に尊敬すると共に——目を閉じる。
己の深層に入り込み、扉を雁字搦めに施錠する鍵を開けた。
同時——世界は緩慢で、色鮮やかで、五月蝿くて、複雑で、動で溢れる。
それらは己の五感が遥かに鋭敏になったことを示していた。
最初こそ大いに戸惑ったものだが……今では慣れ親しんだ世界だ。寧ろ心地良く感じるまである。
俺はゆっくり深呼吸をしたのち、一歩、また一歩と歩みを進める。
その間に師匠は一歩として進んでいない。それどころか上げた足が地に着くことすらなかった。
「…………」
師匠の隣までやって来た。——が、依然として師匠の目は俺が元いた場所に向けられている。
師匠の身体は、俺の中の体感一秒の内にミリ単位で動いている。これでは打ち合うことは無理だろう。
本来なら何度か打ち合いたかったのだが……師匠が本気で来いと言ったのだ。弟子として、俺はその願いを全うしなければならない。
俺は師匠の木刀に目を向け——何万、何億、何兆と繰り返した動作で、己の身体の一部のように感じる木刀を振るった。
「……ま、愛刀じゃないにしては及第点だな」
俺は小さく頷くと——再び、自らの身体に鍵を掛ける。
同時——世界の動きが元に戻る。
「——————あ?」
俺を抜き去っていった師匠が声を漏らす。
少し遅れて、カランと何かの落ちる音がシーンと静まり返る道場に響いた。
「な、何がどうなりやがった……?」
「やっていること自体は簡単ですよ。ただ師匠に近付いて木刀を斬った——それだけです」
まぁそれをするのが至難の業で、凄いとかいうレベルじゃないんだけどね。——あ、これは自画自賛とかじゃないからね。師匠だって俺と同じくらい修行すれば出来るようになるだろうしさ。
「……師匠、どうでしたか? 俺は、師匠の求めるレベルに到達していましたか?」
「……ハッ、これを見て到達してないなんて言えるかってんだ」
師匠は自らの木刀を眺め、自信のない俺に呆れたような目を向ける。
しかしその顔には、まるで少年に戻ったかの如き輝きと溌剌さを孕んでいた。
……良かった、ほんと……。
俺がその言葉にホッとしていると——一変して、師匠が小じわの目立つ顔に穏やかな笑みを浮かべた。
「——よう頑張ったな、剣司」
そう言って、俺の頭をわしゃわしゃと豪快に撫でてくる。ゴツゴツした手には確かな温かみがあった。
……やめてくれ、泣きそうになっちゃうだろ。今の俺は涙脆いんだよ。
「ガハハッ、泣きそうになってやがる!」
「師匠がいい人すぎるのがいけないんです」
「なら、儂に責められる筋合いは一切ねぇな!」
ガハハハッ、と豪快な笑い声を上げて破顔する師匠。オマケとばかりにバシバシと背中を叩かれるが……不思議と痛みを感じなかった。
それどころか、不思議なくらいに彼の優しさは俺の心に深く深く染み込んでいく。
これだから……こんな人だから——俺は今でも師匠を師匠として、一人の人間として尊敬しているのだ。
俺がどれだけ年を重ねようと、強くなろうと、その気持ちは変わらない。
村正藤四郎は——いつまでも俺の師匠だ。
俺は生涯の師匠の嬉しそうで楽しそうな姿を一頻り眺めたのち、口を開く。
「さて、と……それじゃあ俺は帰ります」
「ん? もう帰っちまうのか?」
師匠が不思議そうな顔で見てくる。まるで物足りないと言わんばかりに。
相変わらずなその姿に、俺は苦笑を零しつつ肩を竦めた。
「これでも大学生ですからね。復学の手続きとか、その他にも……色々とやることが山積してるんですよ」
「それもそうか。……まぁ、暇になったらいつでも来いや。今度は明菜と一緒に待ってるぞ」
「ははっ、それは楽しみですね」
お互いに笑みを交わし合い、俺は道場を出る。
既に世界を照らすお日様は沈みかけ、辺りは薄暗い。
俗に言う『黄昏時』って時間帯だ。
前までなら何気ない夕方としてなんとも思っていなかっただろうが……。
「あの世界とか俺の愛刀を知ってる身からすると……何か起こりそうな気がしてならないんだよなぁ」
特に昔から人ならざるモノが現れやすいと言われている黄昏時は。
それこそ、人を襲う鬼みたいな——
『——グォオオオオオオオオオッッ!!』
…………待て。待て待て待て。
俺は唐突に聞こえてきた熊の雄叫びのようで、熊とは比較にならないほどの威圧感を纏った咆哮に耳を疑う。若干くぐもって聞こえた気がした。
いやいや……あり得ないって。確かにあの世界での修行で、俺の感覚は一年前より冴え渡っているだろうけど……こんな考えた途端に出るもんか? 普通に考えれば俺の聞き間違い——であって欲しかったなぁ……。
だが、俺の勘が囁いていた。
——今の咆哮が幻聴ではない、と。
「……無視、は出来ないよなぁ……」
もし仮に熊だとしても、咆哮したということは近くに人間がいる可能性が高い。
ここで見て見ぬ振りをすれば……見殺しにしたのと一緒だ。寧ろ熊を殺す力があるが故にその罪は重い。
なんて色々と御託を並べてみたが、結局無視できないのは——俺の中の剣士としての本能が疼いているだけなのだ。
そうだ、俺は善人でも正義のヒーローでもなんでもない。関わりもない他人の命なんて正直言ってどうでもいい。
所詮俺は——ただの一人の剣士。
人ならざるものであろうと、そうでなかろうと。
俺が積み上げ、磨き上げ、鍛え上げた業がどれほど通じるのか——それが気になって仕方ないだけなのだ。
それに、もし敵いそうになかったら逃げればいいだけの話だ。
自慢じゃないが、これでも相手の力量を測るくらい造作もない。
「…………行って、みるか……」
俺は高揚する気持ちを落ち着かせるようにゴクリと生唾を飲み込み——音のした方へと足を進めるのだった。
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