曇り時々晴れ

天護はゆっくりと、思い出すように話し出す。


「昔な、もう何百年も前になるが…儂は嫁を娶りかけたことがある。儂が欲しいんていうたんやなくて、その時の村は…いや日本中で飢饉が起こっておってな。そん時“神頼み”じゃて、色んな所で神に村の娘たちが捧げられた。この村も…儂も例外じゃなくな。」


「飢饉…」


「その時はみんな飢えてての、本当に酷かった。米も芋も実らず…村の子どもがそこら中で腹を空かして泣いとった…。だから村人たちの気持ちもわからんでもない。しかし、その儂にて選ばれた娘には…好いてる男がおってな。本殿に置き去りにされた娘を放ってはおけんから…その娘の目の前に現れたんや。なら…儂の姿を見た瞬間に“私には好いてる人がいるんです!あなたに嫁ぐくらいならここで死にます!この化物が!”……てな。」


つゆ「えええええ!!」


天護「大丈夫や、死んどらん。心配すんな。」


つゆ「よかった…。でも化物は酷い…。」


天護「しかしあの娘の目は本気やった。本気で思った事を、本気で言ってた。そん時思ったんや。儂もここまで誰かを想いたい、そして願わくばそのおなごにもそう想われたい…。」




外では天護が焚べた薪がパチパチと音と立てた。


「初めから儂は無理やり娘を娶るつもりはなかった。儂は護り神じゃから、そんな事したくなかった。だからほとぼりが冷めたら逃がせるように算段を取ってたんや、近くの知り合い…いや、あいつは友か。そいつの稲荷神社に飛ばせるように。」


「稲荷神社?まさか、私を飛ばしたあの神社?」

「そうや」


つゆは少し考えて、聞いてみることにした。

「私を飛ばしたのはどういう理由があってですか?」


つゆの当然の問いに、天護は沈黙してしまう。


しかし、とうとう重い口をあけて

「…暗かったろ。」と、小さい声で呟いた。

「ん?」


「おまんを助けた時も、運んだ時も、儂らが…その…その時も。」

「囲炉裏の火だけでしたからね…」


「おまんの反応が怖かったんや、朝の光のなかで儂を見て、あの娘のように“この化物”と思ったらと…それか後悔したり…“あれは一宿一飯の恩義のつもりで…”とか“食われるのが怖くて自ら捧げた”とか…なんか…そういう」


顔も見えないのに、つゆからとんでもない強い怒りをピリピリと感じる天護。

「…もしかして、今でもそう思ってます?」

「あ…いや…もうそうは思ってない…が、今はおまんがなんか怒ってるような気がする。」


「そう…よかった…ちゃんと気付いてくださって…」

つゆの怖い声に少し狼狽える古からの大猪の神・天護。

「怒るな…。あのな、実はおまんを見つけたのも助けたのも…偶然じゃないんや。」


「…へ?」意外な告白にいつもの声に戻った。


「おまんが近々、儂の所にお参り来るであろうことも、きっと山に苦労することも、おまんが…どんなおなごかいう事も…聞いておってな。だから見つけた時はすぐに分かった。変な歌を歌ってたし。悔しいが、なんであいつがおまんをこんな気にかけさせようと仕向けたがすぐ分かった。」


「わたし変な歌、歌ってました?…でも偶然じゃないって…?」


手持ち無沙汰に枝を折りながら話しを続ける天護。

「そうや、おまんの事は会う前から知ってた。聞いてたんじゃ。で、山で見た瞬間に“いつかだれかに想われたい”…やなくて、“このおなごに想われたい”となったのが分かった。一瞬でな。おまんが儂を見る時には、なんというか…その目に愛を湛えて欲しいと…。まぁ…なんでかは…わからんが…これが恋…コッホ…」

と、咳払いで誤魔化す。



その言葉は重く、互いに言った言葉と聞いた言葉を反芻してるであろう沈黙が流れる。



「その時の私の目に愛を感じられなかったのですか?」と聞きたかった。

しかしあの夜、褥を重ねても尚、好きを抑えようとしていたのはつゆも同じ。

同罪なので責めるような言葉をかけるのはやめた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ふう…そろそろ上がろうかな…天護様、交代しませんか?」

「そうやな…あ、橙があの着物を脱衣所に置いてきたって。」

「ありがとうございます。あの柄、ほんとにかわいかったからうれしい。」



つゆは慎重に風呂釜から出て、体を拭き、さっきよりも丁寧に着物を着付ける。

着物が濡れないよう手拭で髪を纏めた珍妙な格好になったが、火の番をしてたらすぐ乾くだろうと思ってのことだ。

外に出る扉を開けたら、すでに天護は立っていた。



「よぉ似合ってる。おまんは紅が似合うの。」

「ありがとうございます…誰に褒められるより嬉しいです。」

「そうか…」


「あの…ひとつ聞いてもよろしいですか?」

「なんや」

「私この集落に誰も友達いないんですけど、誰から私の話を?」

「おまんの知らんことがまだある…」

「嘘と隠し事は紙一重なんですよ…?白状してください。」

「…驚くなよ?」


もったいぶった天護の言い方を不審に思いながら「なんです?…」と聞く。

「不動産屋の明智ておるやろ、あれ実は稲荷神社の神様や。ほんまは云壇て名前。」


一瞬間を置いて、つゆは少しのぼせたのもあり…後ろに倒れそうになる。

「あぶなっ、しっかりせい!大丈夫か?」


天護はつゆをしっかり抱きかかえ、大きな手で顔を仰いでる。


「うそでしょ…始めて会った時、なんか不気味で…連続殺人犯かもしれないって、弟にずっと位置情報送信してたんです…攫われた時のために。」


「わはははは!それは…傑作や、今度あいつに言うたろ。おもてるほど上手く化れてないてな。」


「じゃあ、まさかあのきつねちゃんも?」

「云壇は変化が得意やからの。儂はできん。」

「みんな黙ってたのひどい…」

「今言うたじゃろ、許してくれや…」



そういいながら、片手でつゆの頬を撫で手拭から落ちた髪を掬う天護。

「なあ、なんでおまんはいつもこんな香りがするんや」

「たぶん、香水かシャンプーかでしょう…」

「えぇ匂いや…」


つゆはもう立てるのに、まだ天護の腕の中に収まり体を預ける事に快感さえ覚えている。

「じゃ天護様に私の匂いつけておきますね」

と、天護の胸に自分の顔を擦りつける。

「残念やったな、儂は今から風呂や」と笑い、つゆの方を見る。

「何回でもしますから、おかまいなく…」とまだスリスリしている。


天護に見られている事に気付いたつゆは、天護を見返した。

その目は“愛を湛えた”目をしていた。

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