遭いに逝こう
3月17日。決戦の日。二択をことごとく外した日。
彼に
朝ぼらけの街をバスに揺られた。日曜日の午前九時。
シャッターだらけで往来人の居らぬ地下街。いつも見ている景色とは異なっている。私の足音だけが天井高くこだまする。それはまるで私の心臓のようで。
正直、本当に会いにいくことになるなんて、これっぽっちも思っていなかった。幾度となく通話を重ね、テキストメッセージを重ね、少しずつ約束が決まっていくことに対してほんの少しの恐怖と抵抗を感じていたほど。
少し歩くと、待ち合わせ場所へと到着した。
静かな石畳の壁と床に挟まれた、
LINEを送る。
「着いたよ~今どこにいる?」
しんとした壁に背中を付けて、河童を見上げる。小さく携帯が震える。
「もう着いてるよ」
どこだろうと見まわすと、柱の陰から現れた元彼。小さく笑って私に手を振った。
「なんで隠れとったと!びっくりするやんか!」
笑いながら彼に近づく私。これが彼と会って初めて発した言葉。決して可愛いものではなかった。当時の私の彼に対する印象は(あぁ、そのままなんだな。この人は)だった。
彼と静まり切った地下街を歩く。たまに目にするスーツ姿の人たちは私たちと逆行していた。
「まだ、どこのお店も開いとらんねぇ。待ち合わせ時間ミスったかもしれん」
そう失笑する私に、いいよ俺が早く会いたかっただけだから。と彼は私の目を覗き込む。
「俺さ、福岡全然しらんけぇ、ちょうどいい時間まで色々案内してや!」
そういう彼をぐるぐると連れまわす。
「ここがかの有名な公園。治安そんなに悪くないやろ。朝やけんね。」
「ここね大画面前っていうとよ。全然大画面じゃないやろ。」
「このビル見て!全部ラーメン屋さんなんよ!」
そうなんだ、凄いね都会は。と笑いながら私の半歩後ろを歩く彼。
ここ朝通った!この建物テレビで見た!と一緒に笑っていた。
彼と話そうと振り返り、慣れないヒールでふら付いた私の背を支える彼。
そのまま手を絡めて、繋ぐ。
「ヒール大丈夫?足、痛くなぁ?」
中国地方訛りのその言葉が私を揺らがせていく。
友達で居ないといけない。友達でいるべきだ。交友関係を保つためにも。
脳内でなんども繰り返す。なにも考えていなさそうな彼が私を覗く。
「そうだ、お財布。俺に買わせてよ。」
彼が私に笑いかけた。お母さんの形見と同じものは手に入らないかもしれないけど、似てるお財布買おうや。と。
勿論断る。彼は食い下がる。じゃあ、俺との思い出にしてや。と。
母親の形見のお財布。お母さんが亡くなる前に買ってくれた、私のお財布。心臓の奥が苦しくなる。思わず言葉を止める。
「ごめん、しんどいろ、この話。」
彼の
「俺の前では強がらんでいいんじゃけぇね。嘘もつかんでいいけぇ。」
ライオンの銅像の横顔が歪んで見えた。
「…バウンディ、だっけ。」
彼のツイートを思い出してふと声を掛けた。
「スタバの頼み方わからんwww バウンディってwwww」
という投稿を思い出したのだ。
「ベンティ!ベンティやから!もー、やめてや」
早朝のスターバックス。茶色のトレーに乗る二つのカップ。橙色と桃色の液体が楽しげに揺れた。
カップにスマホのカメラを向ける彼。ならば私も、と二人でスマホのレンズを並べた。
光源か。思い出、か。あの写真はカメラロールへとおさまってもなお、輝き続けていた。
_もう消してしまったが。
少し飲む?と彼がグラスと小首とを傾げたので、彼のマンゴーフラペチーノに口をつける。
軽くストローを
彼が私の手を見て言う。「ネイル可愛い。もっとよく見してや。」と。私は拒んだ。
年中手が荒れているのがコンプレックスだったから。_洗剤か、乾燥か、体質か。何年病院へ通っても治る気配はない。だから、嫌だった。
ふわりと腕が暖かく包み込まれる。そのまま手を握られる。
「手見られるの嫌って言ってたね。こうすれば手、見えんろ。折角可愛くしてきてくれとんじゃけ、ちゃんと見してや。」
あの日、彼と使ったギフトカードはついこの間までの宝物だった。あのカードのおかげで彼が笑ってくれたから。
「色々可愛いのがあるんじゃね!好きなん選びんちゃい!」
彼と足を運んだ先はサマンサベガ。
彼とたくさん相談して、たくさん悩んで黒の長財布を選んだ。
選んだあと、店内を見まわしていると視界に飛び込んできた輝くチャーム。それは母が最期に買ってくれたお財布と同じモチーフがあしらわれていた。
私の視線を追いかける彼と店員。
「あれ気になる?欲しい?」と彼。
「あ、それ可愛いですよね~!」と黄色い営業ボイスを飛ばす店員。
「大学に行っても、大切に使ってね。ママとの約束だよ。」脳裏に返ってくる母の声。喉が痛んだ。
言葉も出ず、何も考えられず、なんとなく彼の顔を見上げてしまう。伝わってしまったのか、彼は私の頭を撫ぜた。
_私、子供みたい。幼い子みたい。そう思った。彼と店員がなにやら話している声が遠かった。
気が付くと、彼は携帯の画面を操作していた。一緒に買うとアプリのクーポンが~的な話をされたらしい。
「俺、登録しとくけ、選んできんちゃい。」と彼の手が私の頭の上で優しく弾む。
「彼と何か月くらいなんですか?私の彼、こういう買い物ついてきてくれなくて…。」店員がぶっこむ。
「あ、え?」私は困惑する。やはり、コミュ障。
「俺が来たいだけなんでー!!」彼がぶっこむ。
その間、陰キャコミュ障は棒立ち。陰キャ、チャームを選ぶ。陰キャ、決意。(買ってもらうのを拒むのはきっと断られるだろうし、チャームだけ買ってもらおう。お財布は自分で買おう。)と。
店員、レジにて再びぶっこむ。
「付き合ってどのくらいなんですかー!!」
彼は私の顔を覗いた。数秒迷ってこう伝える。
「まだ日が浅いので…。」
嘘は付いてない。彼は驚いたような、満足したような顔をして笑った。
結局、押し問答の末、全額払われてしまった。今でも申し訳ないと思ってる。そんなつもりなかったのに。
「『何か月も付き合ってると思ってました!夫婦みたいで!』って言われちゃったね。」
「俺と付き合ってくれる気持ちになったん?」
「絶対幸せにするけぇね。」
彼の言葉と手をつないだ二つの影が地下街の石畳に揺れて、落ちる。
「でも俺、告白されてないし、してなぁよね。」と私を見つめる彼を見て、とりあえず「後でね。」と笑った。
その後はカラオケへ。
「か、カラオケですか、急に?二人で?」とキョドる私に
「俺ガチでそういうのしないけぇ。大切だと思った子をそんな適当に扱いたくなぁし、どういうことになっても最初は絶対手だしたくないけ。マジで大切にしたいんよ。」と力説する彼。
寒いし、行くところないし、とカラオケへ入った。
二時間くらい。彼も私も特に歌わず、ずっと談笑をしていた。
カラオケのコールが鳴る。
思わず私は聞いてしまった。「次、いつ会えるかな。」
彼は笑った。「会いたいときに呼びんちゃい。予定が入っとらん限りいつでも来るけぇね。(蟹文藝)ちゃんのためなら。」
駅でばいばいするつもりだった。
「ね、最寄りまで行ってもいい?心配やし、もっと一緒にいたいけぇ。」
頷いて、承諾した。
地下鉄の中。彼はずっと左手を握ってくれていた。電車の喧騒、左手のぬくもり。
もしあなたが「千草な君」を読んでくれているとするならば、なにかハッとするかもしれない。
お察しの通り、私は彼たちを重ねてしまっていた。
人のぬくもりと、電車の揺れが睡魔を呼ぶ。もたれていいよ、と言われた彼の肩でうつらうつらとしていた。
最寄り。彼と手を振りあって別れた。「またね。」と。
「無理したらいかんけぇね。」と彼は最後まで私を気遣ってくれていた。
「バイバイ」と言えていたならば、私の未来は、過去は変わっていたのだろうか、と思う。
白羽、後背に中たる 蟹文藝(プラナリア) @planawrites
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