第16話 想定外の最悪な
最寄駅から徒歩五分のところにある『アマンディーヌ・ハウス』。
アマンディーヌ夫妻が運営するこの小さな孤児院では、身寄りのない十名の子供たちが暮らしている。
(そろそろ、食堂に人が集まり始める時間だろう……)
午後七時三十分、食欲をそそるカレーの香りが漂う食堂にて。
ラネージュが発動した『ステルス』で気配を消しながら、テールは
隣では、ラネージュがガチガチに緊張した面持ちで入り口を見つめていた。
調理場の方では、若い女性調理師がカレーライスを皿に盛り付けている。
待つことさらに数十秒、食堂に続々と人が集まってきた。
「お腹空いたー」
「よっしゃ、カレーだぁ!」
「俺、絶対お代わりするぜ!」
「みんな、転ばないように気をつけるんだよ?」
小さな子供たちと、彼らを率いている少し歳上っぽい少女。
ワイワイ騒いでいる子供たちは恐らくはまだ十歳前後、中心にいる年長の少女はテールたちと同年代に見える。
彼らは楽しげにカレーライスの皿を受け取り、長テーブルの席に着いた。
直後、ドタドタドタッと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「うわぁ良い匂い! 今日はカレーなんだね!」
長い茶髪を振り乱しながら、テールと同年代っぽい少女が突入してきた。
「リアンお姉ちゃん、廊下は走っちゃダメだよ!」
「帰ってきたら、まずは『ただいま』って言わなきゃ!」
「ちゃんと手洗いうがいしてきたの?」
既に席に着いている幼い子供たちから総攻撃を受けて、リアンと呼ばれた少女は頭をかきながら愛想よく笑う。
「あはは、ごめんね。ただいま帰りました! 手洗いうがいはしてきたよ」
リアンがカレーライスの皿を持って、こちらに背を向けて空いている席に座った。
テールは集合した少年少女たちの人数を数える。
(今は九名……あと一人は)
ちょうどそのとき、
「あっ……」
ラネージュが微かに喉を震わせた。
子供たちを眺めていたテールは、ハッと入り口に目を向ける。
ラネージュによく似た美少女が食堂に入ってきた。
「ごめんね、みんな。遅くなっちゃった」
薄灰色の髪を肩口で切り揃えた、落ち着いた雰囲気の少女。
彼女もまたカレーライスの皿を受け取り、リアンの向かい側の席に座った。
「テール、シュミネちゃんですっ。シュミネちゃんですっ……!」
感極まった様子のラネージュに、袖をぐいぐい引っ張られる。
「そうだね、シュミネさんだね」
「シュミネちゃん、あんなに大きくなって……」
涙声で言葉を途切れさせたラネージュが、ぐしぐしと目元を拭う。
彼女がシュミネと最後に会ったのは六年前。
原作『ディケワ』では、その後は一目見る事も叶わずに死別してしまう。
だからこそ今は、原作よりも確実に良い方向に進んでいるはずだ。
(再会とまではいかなかったけれど、シュミネさんの様子を見させてあげる事はできて良かった……)
ラネージュにとっては自分よりも大切な、たった一人の妹なのだ。
別離してから今日に至るまで、ラネージュはどれほどその身を案じていた事だろう。
美味しそうにカレーを食べているシュミネの姿を、ラネージュは目に焼き付けるように見つめている。
「あ、そうだそうだ! ねぇねぇシュミネ」
リアンが、対面のシュミネに話しかける。
若干の興奮を交えた口調で、
「シュミネって、姉か妹がいたりする!?」
——ピシリと、シュミネの動きが止まった。
「…………何で?」
カレーに視線を落としたまま、シュミネが絞り出すように聞き返した。
テールは思わず緊張に息を潜め、ラネージュを見た。
ラネージュもまた、虚を突かれたような表情でシュミネを見つめたまま立ち尽くしていた。
「今日駅でね、シュミネにそっくりな女の子を見かけたんだよ!」
リアンが変わらずテンション高めの調子で続ける。
彼女は天然なのか、明らかに変質したシュミネの雰囲気に気づいていないようだ。
ましてや、その周りの幼い子供たちは。
「リアンお姉ちゃん、その人はシュミネお姉ちゃんに本当にそっくりだったの?」
「本当にそっくりだった! 双子なんじゃないかってくらい!」
「えっ、シュミネお姉ちゃん双子なの!?」
「私も見てみたーい!」
突然舞い込んできたビッグニュースに大盛り上がり。
無邪気な子供たちは、次々とシュミネに質問をぶつけ始める。
「シュミネお姉ちゃんは姉なの? 妹なの?」
「名前は?」
「会いたい? 会いたい?」
「——やめてっ!」
それら全てをかき消す勢いでシュミネが叫んだ。
騒いでいた子供たちが、驚いたように口を閉ざす。
「え……あ、あの、シュミネ……」
リアンが
それを遮って、シュミネが冷たい声で言い放つ。
「私に、姉なんていないから」
しん——と、凍り付いたように空気が静まり返る。
「大声出してごめんなさい。今日はもう、部屋に戻るね」
シュミネは苦しげな表情で、食べかけのカレーを持って立ち上がった。
「すみません、冷蔵庫に入れておいてもらえませんか。残りは明日頂きます」
「え、ええ。分かったわ」
困惑した表情の女性調理師にカレーを返却して、シュミネは食堂から出て行ってしまった。
テールはその後ろ姿を見送りながら、内臓が冷えていく心地に襲われていた。
(想定外の、最悪な展開だ……)
まさかリアンにラネージュを見られていて、シュミネに話題を振られるなんて。
ラネージュに目を向けると、彼女は呆然と食堂の出入り口を見つめていた。
「わ、私……やらかした?」
「やらかしたよ、本当にあんたは……」
リアンともう一人、この中では年配の少女たちが向かい合う。
「私たちだったら、肉親に会えるなら会いたいと思うのが普通だよ。物心つく前に両親が亡くなっているからね。でも、シュミネだけは違う」
少女は諭すような口調でリアンに告げる。
「シュミネだけは、九歳でここに来たんだよ。最初の頃の人を寄せ付けない雰囲気を思えば、あの子は家族に捨てられたんだって事くらい分かるでしょう?」
「ッ……! やばっ、それなのに私……」
リアンがガタッと椅子を揺らして立ち上がる。
「シュミネに謝ってくるっ!」
「あっ、ちょっと!?」
脇目も振らず、リアンは食堂から慌ただしく駆け出ていった。
はあ、と残された少女がため息をついた。
けれども彼女はすぐに明るい笑顔を作って、パンッ! と手を打ち鳴らした。
「まあ、あの二人は何だかんだ大人だから大丈夫だよ!」
彼女は重苦しい空気を払拭するように、元気な声で言う。
「ほらほら、みんなも早く食べないと! 私がカレー全部お代わりしちゃうよ?」
「それはダメ!」
「俺は三杯食べるって決めてたんだ!」
幼い子供たちが慌ててカレーを口にかき込み始める。
何とか元に戻った空気感の中、テールは再びラネージュに視線を向けた。
ラネージュは食堂の出入り口を見つめたまま、感情を抑えたような声で呟いた。
「私たちも行きましょう、テール」
☆—☆—☆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます