第13話 兄

 泣き止んだラネージュが、浄化の『ピュリフィケーション』と修復の『リペア』を無詠唱で発動した。

 柔らかな白い光にテールも包まれ、次の瞬間には泥だらけの服が綺麗になっていた。

 ラネージュを見ると、肘から先を切り離されたコートも元通りになっている。


「詳しい話は後で。取り敢えずここから出ようか」

「はい。……だけど、ちょっとだけ時間を頂けませんか?」


 ラネージュが悲しげな表情で、倒れているスリートに目を向けた。


「大丈夫だよ」


 テールが頷くと、ラネージュはそっとスリートに歩み寄って、地面に両膝を付いた。

 綺麗にしたコートとスカートに再び泥が付着したが、浄化魔法ですぐ綺麗にできるから構わないのだろう。


「……お兄様」


 ラネージュが掠れた声で兄の名を呼んだ。


(スリート・パニエ……十歳離れたラネージュの実の兄。原作では二人の関係性はほとんど描写されなかったけれど)


 テールはラネージュに近付きながら思考する。

 スリート・パニエについて、実は分かっている事は少ない。

 彼は十年前の第四回生贄会議の生き残り。

 そして原作の展開では、ラネージュの死の元凶となる最悪な実兄である。

 ラネージュファンからの評価は最低であり、数多くのヘイトを集めたキャラであったが。


「……お兄様は、昔は優しかったのです」


 ラネージュが独白のように呟いた。

 テールは胸が締め付けられる思いで、ラネージュの一歩後ろで佇む。


「昔と言っても、私が五歳のときまででしたが……」

「スリートさんは、その時期に突然変わったの?」


 少しでもスリートの情報を得ようと問いかけると、ラネージュは首を横に振った。


「私が五歳だった冬に、お兄様とは突然会えなくなってしまいました。当時は知らなかったのですが、お兄様は第四回生贄会議に参加していたのです。次に会ったのはちょうど一年くらい前、両親が亡くなった直後でした」

「! ……その間、スリートさんはどこにいたんだ?」


 十年前に第四回生贄会議に参加して、一年前に戻ってきた。

 つまり、スリートは九年間も不在だった事になる。


「分かりません。お兄様は突然帰ってきて、私に首輪を付けたのです」

「……そっか」


 頷きつつも、テールは思考する。


(ラネージュはスリートの事を、いまだに大切な家族だと思っているようだ。だとしたら兄妹関係も修復しなければ、ラネージュは救われないだろう)


 当然ながら、作中で全ての設定が明かされるわけではない。

 テールは『ディケワ』の開発者ではないため、ゲームに出てきた設定しか知り得ない。

 そしてスリートはサブキャラゆえに、作中で詳細な解説はされていなかった。


(それでも考察はできる。知っている情報から、仮説を組み上げろ)


 スリートはラネージュにとって優しい兄だった。

 ラネージュの両親は冷酷で、娘を兵器とするための人体実験を行っていた。


(そうだ、ラネージュは両親によって拷問じみた「躾」を受けていた。つまり、そのときはまだ『支配の首輪』による兵器運用は確定していなかったんだ)


 仮に『支配の首輪』を使用する前提であれば、「痛みに耐性を付けるため」の躾など必要なかったはずだ。

 命令してしまえば、どれだけ痛くても逆らえないのだから。


(一方で、実際に『支配の首輪』が使われている以上、ラネージュの自我を封じる運用も想定されていたはず。『支配の首輪』は希少性が極めて高い。簡単に手に入るものではない)


『支配の首輪』は危険すぎるために、王政府によって「破壊指定」がされている魔法具だ。

 破壊指定を受けた魔法具は、その使用方法を含む全ての情報が抹消され、王政府の専門機関による物理的な排除が実行される。

 しかしパニエ家は、その排除から漏れた『支配の首輪』を一つだけ所有していた。


(恐らくパニエ家は、当初から『支配の首輪』を確保していたわけではない。長年探し続け、最近ようやく一つだけ手に入れたんだ。そして『支配の首輪』が見つからない可能性もあったからこそ、ラネージュには痛みに耐える訓練を課していた)


 痛みを遮断する精神干渉系魔法は、ラネージュには使えない。

 オーバーキル・モードは、限界を超えた強化魔法の発動が前提であるからだ。


(『ディケワ』における強化魔法とは、攻撃力や俊敏性が上がる代わりに受けるダメージが増大する諸刃の剣だった)


 この世界では強化魔法を使うと、身体能力だけでなくあらゆる感覚が鋭く研ぎ澄まされる。

 しかし、そこには痛覚も含まれてしまうため、痛みを遮断する事ができないのである。

 だからこそラネージュには、過負荷による激痛の中でも強化魔法を発動し続ける事が求められた。


(だけど、ラネージュの訓練が失敗する可能性だってあった。いや、その可能性の方が高かったはずだ。パニエ家が、そんな不確実な実験に全てを賭けていたとは考えられない)


 だとすれば、パニエ家は他に何を考えたのか。

 ——『お兄様は、昔は優しかったのです』

 ラネージュの悲しげな声が脳裏に蘇り、テールは拳を握り締めた。


(パニエ家は、『支配の首輪』を使わずにラネージュの精神を操る方法をも同時に模索した。第四回生贄会議から生還した、スリート・パニエを実験台にして……!)






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