第16話 新征服論―進化の先にあるもの―

「キノコ病はあいつらの仕業か?」


それは、かつて名前を持たず、冥と華らとは志向が対極だった。

今は名を手に入れた。


名は響月、姓は白だ。


響月は以前居たコンビニから別の場所に移り住んでいた。

そこは響月にとって更に居心地の良いところのようだ。

居心地が良いと言っても求めて移動したのではない。

そこに居ればより生き残れると感じたから移動したのだ。


冥や華のように環境に合わせて自身を変えるのではなく、より良い環境を求めて行くのだ。


響月は語る。


「あらゆる動くもの……生き物といってもいい。

それらはダーウィンの進化論を生存の理とみなす。けれども僕は違う。

僕は自分を変えるつもりはないんだ。少し僕の持論に付き合ってくれ」


響月は鏡に映る自分に語り掛けていた。

独りだった。しかし孤独ではなかった。


「ダーウィンは、適者生存を語ったのであって、優勝劣敗を社会に流布したかったわけではない。

優れているから生き残ったのではなく、環境に適応したものが生き残る。

ここがポイントだよ。

しかし、僕はその先があると思っているし、今の世の中にあふれていると思う。

それは己を知り、己を生かせる場へ移り住めたものが生き残るんだ。

だから人は彷徨い続ける。ちょうどお金持ちが火星に行きたがるようにね。

君に彼らの気持ちがわかるかい? わかるまい」


響月は鏡に映る自分をじっと見ていた。


「ねえ、どうしたの? また鏡に話しかけちゃって」


「いや、あのね。僕が僕に挑戦してきたからさ、相手してあげてたんだ。」


「変な人ね」


同居人は素敵なおもちゃを見るような目で響月を見ていた。


響月は良識に照らし合わせてズレた職業に就いていた。

つまりヒモだ。そして全裸だった。


支配とは何か?

歴史的なエッセンスとして三つの要素が見出される。

禁止しない、命令しない、脅かさない。


支配と表現したが響月のそれは違った。的確に表現できる言葉はない。

響月のそれは支配よりも最適化、統治よりも調律、革命よりも上書きなのだ。


対義ではなく次元の異なる言葉を並べることによってのみ、

その位置関係をぼんやりと把握できるものだ。


響月のそれは冥や華のそれとは対極だった。ある意味で響月は冥と華と一緒だった頃から今も、逃げ続けているのかもしれない。

そう思う者は多いだろう。

けれど響月は逃げているという自覚を一度も持ったことがない。


疑う必要すら、感じたことがなかったのだ。それが響月という動くモノなのだ。


響月と同居人の出会いはペットショップだった。


「いらっしゃいませ」


この頃、響月はコンビニからペットショップに移動していた。


「最近、わんちゃんが亡くなっちゃって新しい出会いを求めていたんだけど、中々ねー意中の子に出会えないのよ」


迷いはなかった。響月は片膝をついた。


「なら、僕がその役を引き受けるよ」


「ふふっ、面白い人」


同居人は一瞬、悲しみに引き戻された。無意識にそっと響月の頬に触れた。

響月は触れた手を頬と肩で優しく包んだ。

そのしぐさが今まで飼っていたペットの仕草のそれ、そのものだった。


そして二人は一緒に暮らすようになった。


響月はさらに「支配」を実践していった。強みを活かしたのだ。

同居人の目を見ると欲しているモノ・コトがわかるようだ。


「紅茶、淹れたんだけど飲む?」


同居人のペットに対する思いや記憶が響月に上書きされるまで、そう時間はかからなかった。


「ねえ、今ネットで話題になってる『月のかけら』っていう占い師って……」


「僕だよ、さすが察しが良いね」


「私と生活してて、『お仕事』してるとこ見たことないわ」


「そうだよ、君が一番だもん」


同居人はそっと響月の頬に触れた。響月は触れた手を頬と肩で優しく包んだ。

同居人はそれをいつもやりたかったし、響月はそれにいつも応えていた。


「仕事に行くわ」


「いってらっしゃい」


同居人はこの生活がずっと続くと思っていたし、響月はそれに応えていた。


――響月はネット民に対して誠実だ。

なぜなら占い師でもなく心理カウンセラーでもないということを事前に宣言しているからだ。


だがしかし響月は言葉を操り、人が抱える心の不協を調律していった。

コールドリーディングをベースにしているが語り口が個別に最適化されている。


若者言葉ではないキャッチ―な、それでいて難解ではない詩的な表現で、論理的に順序だてて説明されたかと思えば、檄を飛ばされ励まされる。そうかと思えば落語のような笑いオチまでいただける。


このように、およそ十種の表現を駆使して「信者」を増やしていったのだ。

いうなれば言葉のマエストロだ。親でもなく、教師でもなく、AIでもない。


皆、響月の言葉に酔いを求め崇拝していった。


このタイミングで気づいたのは青野だった。青野は政治家や有力者とつながりがある。

彼らより提供を受けたネットの座標から響月の居所を割り出した。


「新種の悪魔の類といい、こいつといい、澄っちの鏡には直接映らない。

まずは居場所がわかってるこいつの『次』を狙うしかないね」


――同居人は諜報活動をしていたスパイだった。


響月とスパイ、これらを一網でからめとるため、本事案について青野は他と協働することになる。


「年寄組」、主に公安の勤務経験がある定年退職者たちから構成される私人組織。

この存在は高齢化が進む日本で自然発生的に生まれ、国の政府とは直接的・間接的なつながりはない。

彼らが持つ経験や知恵は現役世代のそれを凌駕しているが、

あくまで影として個人間でサポートしているだけだ。決して表には出てこない。

彼らは金銭関係を現役の世代とは断っている。また思想においても肉体においても枯れているため、

「女と金」で足跡はたどれない。


陰謀論者は彼らを、敬意を込めて表現する――「亡国の盾」と。


「やあ、くたばり損ないの諸君。まだ無駄に生きとったのか?

まるで同窓会だな。今日はこの若いスーツ君と一緒に行動する。

この子は未来が見えるって、ええっと映るってらしい」


「俺たち世代だとエスパーって奴か?」


「お前はいつも俺の話の腰を折るから、去年ギックリ腰になったんだろ。

ちぃたぁ黙っとれ。この子の作戦通りやるぞ。検証済みだ」


「はいはい、いざとなったらどうすんだ?」


「喜べ。全員がだな、一緒にあの世ゆきだ。手出し無用で頼む」


「それはやりがいがあるな……」


「じゃあ、よろしく頼むよ若い子君」


「こちらこそ、引き続きのご奉仕をいただき、ありがとうございます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。それでは、状況を開始いたします」


年齢的なこともあり動きは素早くなかったが、割り振られた仕事をきっちりこなしていった。


「雀死ぬまで仕事忘れずってな、俺たちのお目当てはまだか?」


日が暮れたのち同居人は帰ってきた。青野のおかげで尾行をつける必要がなく。それが本事案の終わりを約束していた。


「ただいま……」


リビングに進んだ同居人は目を疑った。詰んだ状態に身動きが取れなかった。

半歩後ずさりしたが、もはや逃げ場がないことは誰の目にも明らかだった。

(玄関前に二人、さっきまで気配がなかった。錆びたか……)


次に口を開いたのは老いた方からだった。


「大変申し訳ない、我々も年老いてしまってて手荒なことができんのじゃ。

お前さんにも大切なものがあるじゃろが、命までとりはせん。

一生に一度のお願いだから大人しくしててくれんか?」


同居人は状況を把握した。制圧可能な年寄り数名と拘束されている響月。

(となるとまずはスーツか?)


「となるとまずはスーツか? って思っちゃったでしょ。

人生の先輩には敬意を払って大人しくしておいて方が良いよ。

だって、左目に映ってるから。君の次が……年を取ったって言ってもみんな黒帯の有段者だよ。

何で黒帯が『黒帯』って呼ばれるかわかる? 拳自体が凶器だからだよ。

それに彼らはもう棺桶に片足突っ込んじゃってるから、生きるの死ぬのってどうでもいいわけさ。

わかる? ここまでの日本語。

私が用あるのは響月、君だよ。そしてあんたに用があるのは、ここにいる白髪の紳士たち…… ではなく現役の方々だよ」


同居人は響月を見て言った。


「私は……」


同居人は感情的になり声に詰まってしまった。


「いいんだよ、君が誰であれ僕が僕であり続ける場を与えてくれたのは君だから。本当にいいんだよ、僕が辿り着けた最後はここだったんだから。

ここ以外なら、君がいないのなら望みはない。他はないのだから」


同居人は隠しておいた薬の瓶の中身をあおった。自身が拘束され情報を抜き出されるのを防ぐためだった。しかし青野の目には既に映っていたため、それらをラムネにすり替えていたのだ。


「ごめんね、同居人さん」


「なにをだ!」


「いや、それ甘くておいしいでしょ? もうちょっと落ち着こうよ」


「ちきしょーバカにしやがって!」


いきなり青野に組みかかったが、同居人は合気で制圧されてしまった。


「君の次は見えてしまうから、ごめんなさい」


響月はうなだれたかと思ったら何かを吐き出した。響月そのものだった。

響月の躯はもう動くことはなくなり床に倒れた。

響月は大きくなりすぎて動きは緩やかだった、あの時のように逃げおうせることはかなわなかった。


年寄りの一人が青野から事前に渡されていた瓶の中へ響月を吸い込ませ、同居人の目の前に置いた。

青野はそっと霊力を込めてみた。すると灰になって、灰はどういうわけか消えてしまった。


青野は暴れようとする同居人を必死に抑えた。


「お前らは悪魔か? 愛する者へ、死にゆく者へ、私の本当の名を告げることさえ許さないのか!

お前らの顔は覚えたぞ、一人ずつお前らを、お前らの家族や友人をも仕留めてやる。

お前らが私から奪ったもの、すべてお前らの命で償わせてやるからな。

覚悟はできてるんだろうな!」


一人の老人が歩み寄ってつぶやいた。


「最近のスパイはようしゃべよっしゃるわ」


そう言って首のある部分を抑え、同居人の意識を飛ばした。


「あんた、もう離していいよ起きる前に後輩たちが来るから。

しかし、本物の合気って凄いなギャグみたいだったぞ」


事態は収束した。床には響月の躯と気を失った同居人とラムネが落ちていた。


「こういうの初めてかい? 近くまで送ってやろうか?」


「いいえ、結構です。今日はちょっと体の具合が悪くて」


「ああ、そういうことね。女性の毎月は大変だよな。ウチの母ちゃんも年くってからひどかったもんな」


「アホ、それ更年期だろ」


「そうなの? あんた手袋してるようだからアレだけど、あまり動かさないでくれよ。なんだなその、荒さないでおいてくれ。俺らが地上に降りたら後輩たちがやってくる。一緒に捕まるなよ。それじゃあな」


彼らは出て言った。

その部屋は静かだった。声を発することがはばかられるぐらいだった。


青野は気を失った同居人の顔を見て、少し昔を思い出してしまった。


「私は大丈夫、少し休んでから行くよ」


青野は左目を覆った。このスパイの行く末を見たくなかったからだ。


幾人かの靴音が走り寄ってきた。青野は左目を覆ったまま霊脈へジャンプし、消えた。


「さようなら」

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