第11回 這うもの
ぼこり、ぼこりと地面が盛り上がり、すっかり血の気の引き切った片手が生え現れて、彼の足首を掴んだのだ。
「うわぁッ!永暁さま!」
「落ち着け、相棒!」
ぼくはすぐさま彼のところへ駆け寄ると、がしりと足首を掴んだその片手に容赦無く刃を突き立て、切り捨てる。すると、どろどろに溶けた声帯から発せられたとしか思えない、全身に怖気を走らせる震えた絶叫が地下から響き渡った。
「永暁さま、」
「ぼくと背中合わせに立て。畜生、奴ら本当に、何を埋めやがったんだ!」
手を失いながらも腕はごろごろと地上を蠢き、やがてその持ち主であろう、人だった『それ』が月明かりの下に姿を現す。バラバラになった髪の毛に、落ち窪んで光を失った双眸。時を同じくして、真正面の穴から一人、また一人と苦悶ののたうちと共に『生え』てくる。
「地上に出る前にやるしかないか」
この時、ぼくの中にはまだ躊躇いがあった。彼らは実は、単なる被害者ではないのか。何か理由があって生きながら埋められたのを、必死で遁れ出てきただけではないのか。
その躊躇いこそ、戦場では最も忌むべきものであるのに。
「永暁さま!」
「く、不味いッ!」
アルサランの絶叫と、そのものがこちらへ怨嗟と惨痛の篭った一撃を放つのに、一万分の一秒の差も無かったであろう。そのものは片手で─そう、片手だけで地上に這い上がると、さながら「軟体動物の触手のような様相を呈した」下半身を引き摺って、ぼくに一撃を放ったのだ。
「アルサラン、足を踏ん張ってくれ!」
「はい!」
刀で受け止めた凄まじい重さ。膂力に押し切られそうになったぼくは、咄嗟にアルサランの背中に体重を預けると、そのまま今度は前に向かって瞬発し、容赦無くその鼻筋を垂直に線を引く形で断ち割った。
「アルサラン、こいつらはまずい。地上に這い上がる前に殺すんだ!」
「し、しかし永暁さま、奴らは、」
「やるんだ!」
こうしている間にも、状況は加速度的に悪化している。ぼくが一人を倒す間に、先ほど顔を出した二人が、今となってはその顔から首まで地上に戻しているではないか。
鉛白よりもなお白い、生命の欠格を如実に示す肌色が月光に映えて、場違いにまでに幻想的であった。アルサランはようやく覚悟を決めたのだろう、それらのものどもがぼくの背後を脅かさぬ様に、本来死ぬべきであった運命を確実に与えてやるべく、刃を振るう。
「さあて、お前はどうするべきだ?」
では、こちらはどうする。ヒトの形さえ保てないこいつを、ぼくはどう成仏させてやればいい。ぼくが深く切り抜いた鼻筋の傷は一秒ごとに癒え、塞がっていく。そればかりか、断ち切ったはずの片手さえ、着実に形を取り戻しつつあるではないか。今は腕の先にぶら下がった睾丸の様に歪なそれも、暫くすれば厄介極まりない手の面影を取り戻すことになる。
「(だが、そもそもあれはどう言う生き物なのだ?)」
上半身は女のそれだが、下半身は化け物というにも悍ましい、名前の無い何かだ。一体何をどうすれば、人がここまでヒトでなくなるのか、想像もつかない。
「おい、言葉はわかるか」
「コ……ココ、ト」
「分かるらしいな。だが、だからと言ってそう容赦はできんぞ」
「ゔぉ、おー、りな……イ、イタ……イ」
痛いか。そう言われても、ぼくには何もしてやれんぞ!もう一度振り上げられた片腕の一撃を受け流しつつ、今度は舞踊の要領で体を捌き、流れる様な動作で首筋の肉を抉り取る。だが、人間に誰しも備わっていた本能がそうさせるのか、奴は瞬間的に大きく身を引いて致命傷を避けると、下半身の触手を不器用に動かしながら、戦いの間合いを形成した。針で肌を貫かれる様に鋭い殺意がこちらにひしひしと向いている。
「アルサランでなくて結構なことだ」
昔、見世物小屋にモグラ叩きというものがあった。穴の空いた箱の中にモグラの帽子を被った小男が入って、気まぐれに顔を出しては、それを縫いぐるみの槌で叩く。上手く叩けたらご褒美のお菓子がもらえるわけだ。
「(嫌なモグラ叩きもあったものだな)」
チラリと背後を見ると、アルサランは穴から出てこようとする『荷物』達を片っ端から切り捨てて、止めを指している。見たところ首を切断されたり、頭を割られた奴らが動く気配はないので、つまりはそういうことなのだ。
ぼくは慎重に間合いを図りつつ、じりじりと距離を詰めていく。どちらが先に動くかは分からない。だが、相手がそもそも戦いに慣れていないことは明らかだった。自身の苦しみに囚われ、八つ当たりの様に暴れ狂っているだけに過ぎぬ。
ならば、勝敗は剣を交えるより前に決まったも同然だ。
「恨みは無いが、すまんな!」
ぼくは大きく地面を踏み込んで前に跳躍するとそのまま奴の懐に飛び込み、反撃が来るよりも先に左胸に刃先を差し入れて向こう側まで貫き通した。げぼっ、と大量の血─赤くはない、青黒く変色した刺激臭を放つ謎の液体を吐き出して、奴はぐらりと倒れてのたうち回る。
「クソッ、最後の最後に毒を吐きやがって」
刀を抜く暇もなく後ろに下がり、一通り場が落ち着くまで待つ。あれをまともに浴びたら体が溶けてもおかしくはない。何しろ地面からしゅうしゅう煙が上がっている。
「大丈夫ですか永暁さま」
「大丈夫だ、顔には浴びていない。だが、外套に少し穴が空いてしまった様だな。もう少し落ち着いたら、奴から佩刀を回収しなくてはならん」
幸いなことに、化け物の心臓を貫いた刀には刃毀れ一つなく、それどころか呪われた血を浴びて不気味な光すら放っていた。また面倒な何かを背負い込みやがったな、こいつ。
「で、結局こいつらなんだったんでしょうかね」
「分かるわけないだろ、情報があまりに足りな過ぎるのだから。ただ、最近話題になっていた、山の中の化け物というのは、多分こいつらの先達として埋められた者達だろうな」
「……元人間たち、ですか?」
「さあ。その可能性は高いだろうが」
地面に転がったそのものの骸は、やがて曖昧に形を失っていき、干からびたヒルの様に溶け込んでいった。本来ならば、詳しく調べる為に、肉片なり血なりを拾っておくべきだったのだろう。しかし、ぼくは柄に残ったなんとも言えないあの手応えと、今もしゅうしゅうと不快な臭いと音を発する青黒い血の衝撃に囚われて、結局何も為せぬまま、それを鞘に収めるしかできなかった。
臆病風に吹かれたのかと言われれば、そうとしか言えない。ぼくは相棒の慎重な問いに対して、首を横に振らざるを得なかった。
「どうします、掘りますか、ここ」
「一旦京師に戻り、帝のお沙汰を仰ぐこととしよう。死んだとは言え、この山林は皇族の持ち物で、勝手に掘り出すわけにはいかないからな。連中がいつ戻ってくるとも限らんし」
「不法侵入のこともどうかお忘れ無く!」
一先ず、宿に帰ろう。命のやり取りの興奮が冷めるにつれて少しずつ疲れを訴え出した体に鞭打ち、ぼくらは元来た道を引き返していった。ろくに目印を残さずに来てしまったとはいえ、やはり自分で歩いた場所はよく覚えているもので、特段迷うこともなく宿場町の方角に山を降りる。
「馬を連れてくるのだったな、アルサラン」
「流石に無理ですよ。ただでさえ外にこっそり忍び出る、という難行をやらかしているのに。厩から馬を連れてくるとなると、難易度が跳ね上がります」
「だが、見てみろ。こんな所でちんたらしていたら夜が明けてしまう。宿屋の主人に見つかったら、それこそ大騒ぎだ」
見ると、夜空に煌々と輝く月は次第に西へと傾き、沈みつつあった。この分だと夜明けまではあと一刻そこらという所だろう。
「果たして、無事に宿まで帰れるでしょうか」
「帰ったとして、何も無かったと言い繕うには少し無理があるかも知れんな。ほら、肩のところに葉っぱがついている」
親王にしては、随分と薄汚れた格好になってしまったな。そう言って笑うと、アルサランは気まずそうに顔を逸らして、
「永暁さまこそ。顔が泥だらけです、早いところ拭かないと」
「おいおい、手拭いをそう無理矢理押し付けてくるな。くすぐったいじゃないか」
山裾から深い森を抜け、宿場町に続く開けた荒野に出てみると、ゆらゆらと緑の草を揺らして吹き抜ける春の風がぼくらを包み込んだ。まだまだ寒い、冬の香りが完全に消えるまで、もう少し時間がかかってしまうだろうか。
「永暁さま、どうぞ」
徐にアルサランが、懐から月餅を一つ取り出した。準備のいいことで、袋の中に二、三個詰めていたらしい。
「秋ではないが、悪くはないでしょう?」
「そうだな、春の朧月に」
──結論から言えば、あの月が姿を消すより前に、ぼくらは密かな夜の外出を楽しんだ子供よろしく、寝台に戻ることが出来たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます