第10回 山の中
夕食をぺろりと平らげ、次いで出て来た酒も一献傾け終わった後。さあもう寝るだけだというところに限って、奇行の虫というのは騒ぎ出すものの様で──
「どうかしたんですか、永暁さま。何だか難しい顔をなさってますが」
「わかるか、アルサラン」
「ええ。永暁さまがそういう顔をなさっている時は、大概ロクでもない思案をめぐらしていらっしゃる時です。よく分かりますよ」
「随分と酷い言い草をするものだな」
「流石にこれだけ長くお側にいれば想像がつきます。で、まさか皆が寝静まった後にここを抜け出して、あの夜の山を調べに行きたいと仰るのではありませんね?」
「大正解だ。流石はぼくの包衣だな、ほら、その外した刀はまだ使い所があるぞ」
「冗談じゃありませんよ!あんな土地勘もない夜の真っ暗な山の中に足を踏み入れるとか、正気ですか?」
「獣道があると言っていたじゃないか」
「獣道は人が通る道ではありませんよ、永暁さま」
「なら、今夜限りぼくは『
「どうぞお考え直しください、『
「悪くない名前だが、爵位が二階級降格したのが気に入らん。そんな訳で、お前もついて来い」
いつもより格好付けやがって、と相棒の肩を叩くと、ぼくはついさっき腰から取り外した佩刀をもう一度取り上げて、錆や刃毀れが無いかをざっと確かめる。それから、
「アルサラン。馬に積んできた荷物の中に灯りが入ってるから出してくれ。そう、その包みの中だ」
「もしかして、こうなることを予想でもしてらしたんですか?」
「さあな」
荷物をまとめた風呂敷包みの中からアルサランが取り出したのは、手に下げる形で持ち運びができる洋燈である。普通の灯明と原理は同じだが、風防として周囲を硝子で覆っているので、提灯に比べて消えにくい。
「とりあえず、それを持っておいてくれ。見てくれは質素だがそう簡単には消えん。代わりにゴタゴタはぼくが引き受けよう」
「引き受けられるんですか?」
「お前、誰に向かってものを言ってるんだ?」
ぼくは髪を留める為に用意した予備の簪を懐から出すと、そのまま無造作にひょい、と荷物を漁る相棒に向けて放り投げる。それは正確に彼の頬を紙一重の間を開けて掠めると、薄暗い柱の真ん中に取り付いていた小さな蜘蛛の腹を正確に貫いた。
「な?」
「な?じゃありません。この簪、後で永暁さまが自分で取って洗ってくださいね」
以上、そんなところで。話を夜半に進めることにしよう。
食事や風呂場の後片付けをする女中達の声も絶え、宿場町全体が重くのしかかる夜の沈黙に包まれた頃。ぼくらは再び靴を履いて帽子を被り、洋燈に火を灯すと、見咎められない様慎重に気配を殺して宿屋の外に歩き出た。
例の山は町から少し離れた野原の向こうに裾を広げており、見回り番にさえ見つからなければ、あとは楽な仕事である。
よもや、宮中にその座を占める親王殿下が、夜の闇に紛れて間諜じみた行為をしているなど、誰が思うことだろう。そんな子供っぽい優越感を噛み締めながら、ぼくは山の入り口へ続く細い道を、終始あきれ顔のアルサランと共に急いで行った。
「──で、ここがその入り口か」
「やっぱり今からでも帰りましょうよ」
「馬鹿を言え、折角ここまで来たんだ。何か見つけるまでは戻られないぞ。それにお前のことだ、予め宿には支払書を切ってあるんだろ?」
「それはそうですが」
「なら問題ない。お前にはぼくの『遊び』に使う銀子を皆預けてあるからな。その範囲内でどうにか処理してくれ」
ひらひらと手を振って「これで話はおしまい」という意思を彼に伝えると、ぼくは夜の闇に包まれてより鬱蒼とした不気味な雰囲気を放つ森の中にまず第一歩を踏み出した。木の梢で騒めく鳥の気配、思わぬ侵入者を迎えて警戒を強める獣。無数の生き物の目に見えぬ耳にも聞こえぬ息遣いが、狭い空間の中に渦巻いていた。
「何かいるな、これは」
「永暁さまもそう思われますか?」
「あぁ。ただの動物ではない、もっと嫌な気配が漂ってやがる。注意して進めよ」
この場における役割分担は実に単純だ。アルサランが灯りでぼくが荒事。戦いになったら取り敢えず一発脅しをくれて、その隙に逃げる。
「上手くいきますかねえ、本当に」
「懐に入れた
「そんなこと出来るわけないじゃありませんか。自分も永暁さまと一緒に──」
「ひとつ言っておくがな、アルサラン」
ぼくは暗闇の中包衣の肩をぐっと抱き寄せ、耳元でこう囁く。
「もし下手にぼくを庇って、お前が倒れることになってみろ。獣に食われるより先に、ぼくがお前を殺すからな。よく覚えておけ」
「……それ、冗談ですよね」
「本気だ。顔がはっきり見えなくてよかったな、お互いに」
仮にお互いの表情が明確に見えていたとしたら、相棒はぼくの最も恐ろしい表情を目にすることになっただろう。そうならなくて本当に良かったと、心の底から思う。
地面に絡まった木の根を避け、時折明かりを避けて動き回る動物の気配に驚かされながら、ぼくたちは山を進んで行った。真っ黒な影だけがねじくれ曲がって目の前に現れては消え、するりと通り過ぎて行く風が怪しく木の葉同士を擦れ合わせる。
「永暁さま、今わたし達はどこに居るんです?」
「さあ?分からん──というのは嘘で、山の裾野をぐるりと周り、もうすぐ別荘の裏山に差し掛かるところだ。ちょうど真ん中の谷底の様になっている場所があるだろう、昼間見た通り」
「よく分かりますね」
「この辺り、ぼくは勘が鋭い。ほら、お前も覚えてるだろ。昔帝の狩りに供奉した時、霧の中で逸れてしまったがすぐに列に戻れた時のことを。ある種、獣じみた能力だがな」
そうしててくてくと歩き続けていると、やがてぼくたちは二つの山の間をすり抜ける様に広がる小さな狭間の獣道へ出た。ごく簡単に言えば、ぼくらの前にはちょっとした谷底の様な亀裂が横へ向かって続いており、丸木の橋でもない限り渡ることが難しい障害物として立ち塞がっている。そんな感じだ。
しかし、そのことがぼくらの足を止めさせたのではない。もしそうであれば、わざわざ咄嗟に地面に膝をつき、明かりを茂みの中に身ごと隠す必要は無いからだ。
「アルサラン、見ろ」
「あれは……」
「声が聞こえるだろ、聞き覚えがある。あれはぼくらを扉の向こうから追い返しやがった、生意気な別荘の門番だ」
「よく分かりますね本当に」
意外に良い顔貌をしてるじゃないか。松明の炎に現れ出た門番の顔は、女の様に白い肌に切長の目、表に出ればそれなりに人を惹きつけるであろう形をしている。しかし、ついさっきぼくのことを虚仮にした恨みのせいか、ぼくからすればさながら幽霊の様にしか見えない。
「永暁さま、あんまり身を乗り出さないでください」
「見ろ、奴ら何かを運んでるぞ」
雑音が多くうまく聞き取れないが、門番は後ろに続く連中の方を度々振り向いて、何か指示を出している様だった。彼らは粗末な荷車に荒菰で巻かれた細長い何かを積んで、やたら辺りの気配に注意しながら山道を進んでいく。
「(菰巻きにしたあの『何か』。余程辺りの目を憚るものらしいな)」
上手く夜目を効かせて観察する限り、一つや二つではない。三、四台の荷車に合わせて二十以上の荷物が縛り付けられ、辺りの目を気にしながら山奥へと運び込まれていく。
「(それも他ならぬ、死んだ貝勒の別荘から)」
一体何を運んでやがるんだ。ぼくの中の好奇心は際限なく膨らみ、たらりと頬に汗が伝う。アルサランは視線でひたすら、
「もうやめましょう、宿に帰りましょう」
と訴えかけていたが、こんな物を見て何も得られずに帰るなどできるものか。
やがて、彼らは狭間の突き当たりにあたる、僅かに開けた空間で歩みを止めた。ぼくらはそれを囲む林の中に身を潜めながら、連中が何を始めるかをじっと見守っている。
「よし、埋めるぞ」
「はい」
門番の合図で、連中は背負っていた円匙を手に取ってざくざくと地面に穴を掘り始める。成程、荷車に載せてきた荷物をここへ埋めて、すっかり隠してしまおうというわけか。
「永暁さま、わたし、もうオチが見えましたよ」
「ぼくも薄々勘付いてはいるさ。だが、そう言うなよ」
どうやら穴が掘り上がったらしい。一人の男が菰巻きになった荷物をうんしょ、と持ち上げるとそれはだらりと男の二の腕のあたりでへし折れ、抱え上げる両腕から溢れる様に垂れ下がる。
「(言わなくとも何が包まれているのか分かる。だが、調べるまでは、断言するわけにいかない)」
連中は不吉なそれらを乱雑に深い穴の中にどさりどさりと放り込むと、上から土をかけて埋め戻していく。彼らはぶつぶつと愚痴を呟いて、
「それにしても、この汚れ仕事も今度が最後になると良いがな」
「そうなるさ。ご主人様がお亡くなりになったんだから」
「だが、山中に何度も何度も埋めちまったせいで、もうすっかり土地が無くなっちまいやがった。多分どこを掘ってみても、この山だったら嫌なものにぶち当たるだろうぜ」
「おい不吉なこと言うなよ、全く」
「こら、そこ!無駄口を叩かずにしっかり埋めないか。見つかったら大騒動だぞ」
「へいへいっと」
ざんざかざんざか、勤勉と怠惰の中間程度の熱量で穴を掘っては物を埋め、穴を掘っては物を埋め。そんな不気味な営みを息をひそめて見つめるぼくら。奇妙な膠着状態は半刻ばかり続いただろうか。
「よし、全て埋められたな。さあ、引き上げだ、急げ!」
「ようしお前たち引き上げだ!」
一通り荷物を埋め終わったのか、連中は円匙を荷車に放って縄で縛る。そのまま門番を先頭に早足で元来た道を引き返し─方向から察するに、別荘に戻っていくのだろう。遠く小さくなりゆく松明の火を見送るのもそこそこに、ぼくは早速奴らが埋めた物を調べるべく、木の根を伝って下へと降りていった。
「永暁さま!?」
「アルサラン灯りをこっちへ持って来い」
「危ないですよ、早く戻りましょう」
「ええいまたそれか。いいから、ほら早く灯りをよこさないか」
アルサランが手渡してきた洋燈で足元を照らしてみると、明らかに土が掘り返され、その後埋め戻された痕跡がそこかしこに残っている。長年動かなかった為硬直した土に対して、掘り返されると言う形で攪拌されたので柔らかいのだ。
「どのくらい深くまで埋めていた?」
「積み上がった土の良から察するに、そこまで深くはないと思いますが」
「まあ確かに。ここらの山林はあの貝勒の私有地だと言うのなら、そうするだろうな。仮に野生動物が掘り返したとしても、人間に見つかる可能性はかなり低い」
「で、どうするんですか一体」
「そんなの決まりきっている。掘り返すんだ、ここら一帯を全部まとめて」
「勝手にやる気ですか!?」
「爵位はこっちの方が上だからな。それに、仕事上必要となれば公認せざるを得ないだろう」
ぼくは彼らが荷物を埋めたであろう一帯をぐるりと回ると、洋燈を地面において剣を抜く。
「何か目印があったほうがいい。枝でも突き立てておくか」
「そうですね。ただ、奴ら一体─」
アルサランは言葉を最後まで言い終えられなかった。彼が一体、につづく──多分何を埋めていたんだろう、と言う問いであろうが、まさにその答えそのものだった─言葉を口にしようとした瞬間、
「まずい、連中戻ってきたぞ!」
「ええっ!」
やはり、埋めた深度が浅すぎると考えて戻ってきたのだろうか。間の悪いことに、ぼくらは今しがた斜面を降りてここにやってきたばかりだ。逃げるにも、隠れるにも時間が足りない。
「ここで迎え撃つ」
「正気ですか?」
「おい、お前ら!そこで何をしている!?」
松明を手に夜の闇を切り裂き、木々の間から姿を現したのはついさっき菰に包まれた何かを埋めていた連中だった。やはりというべきか、何れもあまり筋目のよろしからぬ人間らしく、ぼくらの姿を目の中に捉えるや、危険な光を灯して身構える。
「すまないな、旅を急ごうと山を抜けようと思っていたのだが、少し近道をしようと思って迷ってしまったんだ。丁度良かった、下山する道を教えてはくれまいか?」
「……野郎、さっきの仕事を見てやがったな」
「『仕事』?いったい何のことだ?」
「おい、お前ら。こいつらも序でに埋めちまいな!」
連中の手元で次々と何かが光る。月明りを反射する小さなそれは、山仕事をする木こりなどが持ち歩く短い鉈だ。普通の刀に比べれば切れ味も長さも劣るが、よってたかって人を切り刻むのにはおあつらえ向きだ。
「チッ、一応警告をしてやろう、チンピラども。此の儘おとなしくこちらの尋問を受け入れるなら、後の裁判では多少の口利きをしてやってもいい。だが、もし逆らうのであれば……」
「埋まってもらうってか!」
チンピラのひとり─一番身の丈がある赤ら顔の男が鉈を振りかざしてこちらに突っ込んでくると、残りの連中も後に続けとばかりに前に足を踏み出す。
だが、連中はとても愚かな選択をした。少なくとも、彼ら自身の生命にとっては。
「アルサラン、下がってろよ。大体僕一人で十分だ」
「永暁さま、前、前!」
何だよ、五月蠅いな。ぼくは乱雑に刀を鞘から引き抜くと、首を前に戻すまでの間に振り下ろされた鉈を跳ね上げ、土手っ腹に土踏まずを突き刺した。
「げえっ!」
「大丈夫だよ、別に殺しはしないからな」
幸いなことに、その男の鳩尾は然したる耐久を備えていなかったらしく、ここへ来る前にのどに流し込んだと思しき酒臭い吐しゃ物をまき散らして地面に転がった。
そのまま今度は土を前に蹴って距離を詰め、懐に入り込んだひょろ長のチンピラの顎を蹴り上げる。この辺り、連中の視線をしっかりと掴んでいれば造作もない。
刀ばかりに目を引かれているせいで、手足の動きにまで注意が及ばないのだ。手の甲や膝の骨で急所をぶち抜いてやれば、すぐに音を上げて短い距離を『落下』していく。
「さて、まだやりたい奴はいるか?初めにこの刀の錆になりたい奴は?」
恐る恐るアルサランが通訳すると、連中は悔しそうに顔をゆがめたが、目の前にちらつく刃の光には抗いがたい様で、ふらふらと覚束ない足取りで元来た道を逃げていく。
「さて、邪魔者はいなくなったな、気兼ねなく辺りを調べよう」
「何を言ってるんですか、連中また戻ってくるかもしれないんですよ!?」
「大丈夫だよ。それよりもほら、連中が穴を掘ったところを確認しないか。その辺りに何か埋めていたぞ」
まったく、本当にうちの主人は。そうぶつぶつと文句を言いながら、彼はぼくの後に続いて開けた辺りを歩き出す。
山の少し奥まったところに広がるこの場所は、どうやら獣の徘徊経路や山菜採りの散策路からは離れているらしく、周囲にはおおきな生き物の気配はない。
「(獣に掘り返される心遣いが必要なもの、となるとやはり……)」
参ったな、だとすれば厄介なことになる。今すぐ堀り出してどうこう、とは言えなくなってしまったぞ。
ぼくが内心そんな考えを心の中に浮かべながら、埋め戻されたばかりの柔らかい土の盛り上がりを観察していると、俄かに後ろからこの時間には似つかわしくない甲高い男の悲鳴が響き渡った。
「うわあッ!」
「どうした、アルサラン!」
その時、ぼくはこの事件で初めて、信じがたく恐ろしいものを目の当たりにした。
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