第8回 花

 「で、どう思われますか永暁さま」


「どう、とは?」


 宿場町への帰り道。緑の草が覆う平野の向こう側に、ぽこぽこと浮かび上がる丘の影を眺めながら、ふとアルサランがそう問うた。


「つまり、結局貝勒殿はいつ亡くなられたのか、ということですよ永暁さま。あの方は元々屋敷で亡くなっていたところを馬車で運び出され、不慮の事故に偽装されたのか、本当に不慮の事故でお亡くなりになったのか。どちらなんでしょう」


「……まず、一つ前提として。自然死の可能性がかなり低いことはお前も承知の上だな」


「はい。仮にご病気でお亡くなりになったとすれば、にわか作りでも柩なり布なりにお体を包んで運ぶはずですから」


「その通りだ。それさえもせずに、遺体をそのまま乗せている時点で何かおかしい、というのは可能性として考えられるわけだ。となると、仮に現地で死んでいたとすれば、何らかの事情で『生存』を偽装しなくてはならなかった可能性がある」


「生存ですか」


「そうだ。服をそれらしく着せて傷口を覆い、帽子を被せる。遠目から見れば生きているように見せることも不可能ではない。つまり、屋敷で何らかの理由で亡くなったことを隠蔽するために馬車に乗せ、道中の事故に偽装した……というのが、最も基礎的な可能性だ」


「その上に、貝勒様の撲殺という可能性が乗っかるわけですよね」


「その通り。鉛の破片が脳漿の中から見つかったということは、相当強い力でぶん殴られたと見て良かろう。ではアルサラン、お前が自分の主人をぶん殴って殺してしまったとしたら、どうする?」


「その場で自決して果てます」


「馬鹿者。常識的な考えを述べろと言っているんだ。お前の病的な忠誠心などどうでも良い」


「ひどい!」


 ぼくはごほんと咳払いして場を仕切り直し、改めて検討すべき可能性の綱を掘り出していく。


「主殺しは重罪、ましてや皇族ともなれば死刑は免れぬ。どうにかして偽装をしようとするだろう」


「だから、事故を仕組んだわけですよね」


「問題は犯行の場所だ、アルサラン。仮に屋敷の中で偶発的に殺害されたとしたら、無理やり死体を馬車に押し込んで出発するまでに、必ず他の同僚に見られることになるぞ。それこそ、屋敷全体がぐるになってでもいない限りな」


「そうなっていたんですか?」


「いいや、あり得ん。そう安易な結論に飛びつくなよ……考えてもみろ、アルサラン。幾ら屋敷中がぐるになっていたとしても、死ぬかも知れない危険性を背負って、事故を起こす御者の役を誰が引き受けるんだ?」


「……確かに、それはそうですね」


 実際のところ、一番の問題はそこなのだ。ここまでいくつもの前提を積み上げてはきたものの、結局はここで行き詰まる。殺人の嫌疑を避けるために仕組まれた事故、しかし、それは殺人を犯してまで手に入れた未来そのものを失ってしまいかねない、極めて分の悪い賭けだ。


 単なる利己心から繋がった殺人計画では、ここまで命懸けのことはやれない。実際、事故の場に居合わせた御者は半死半生の重傷を負った末に、今でも意識が戻らないのだから。


「そうなると……」


「と?」


「……事件だとするなら、相当強い動機が裏面にあったことになる。屋敷中がぐるになっていたとしても、馬車での移動中に事件が起こったのだとしても─尤も、単なる盗賊の襲撃という可能性も、もちろん捨てることはできんわけだがな」


 ぼくはそう呟いて、肩をすくめた。

──

 宿の方に戻ってみると、例によってあのえらく腰の低い主人が玄関の前にわざわざ立ち尽くしていて、ぼくらの姿を見るや膝をつかんばかりに頭を下げ、


「殿下、無事のお戻りをお喜び申し上げます」


「仰々しい挨拶は不要。何があった?」


「はい、事故の目撃者を探せとのご命令でございましたが、町の顔役に楊という者がおりまして、頼んでみましたところ、数人が心当たりがあると言ってきたそうです。今、彼の家に留め置いているとのことで」


「でかした。今から向かおう、誰か案内を付けてくれないか」


「はは─しかし、お戻りになったばかりです。お茶など召し上がられてはいかがですか」


「では冷茶を持て。それから、楊とやらの家には徒歩で向かう故、轎などの手配は無用だ。いいな?」


「畏まりました」


 程なくして中から運ばれて来た冷茶で饅頭を流し込むと、ぼくはアルサランにすぐさまついて来いと命じる。彼は疲労感を滲ませた声で、


「永暁さま、少しお休みになってはどうです?」


「馬鹿。時は金なりだぞ、そう迂遠なことを申すでない」


「永暁さま、体力お化け過ぎますって……」


「逆にお前がヒョロ過ぎるだけだ。昔はぼくを喧嘩で打ち負かしていたのに、今では組み敷かれるままになりやがって。そんなに可愛がって欲しいのか?」


 最後のは小粋な冗談のつもりだった。しかしアルサランは顔を真っ赤にしてぶんぶんと何度も頭を振ったので、あたりに気まずい雰囲気が流れ込む。男の癖にあんな乙女の様な顔を見せやがって。


「なんて顔してるんだよ、ほら、早く行くぞ」


 あくまでもそういうことだ。


 宿場町の顔役というものは、大概がその町で一番大きな旅籠屋の主人であるか、さもなくば鏢局の長である。鏢局というのは、好意的な言い方をすれば腕の立つ護衛役、運送業者であって、悪い言い方をすれば『金払いで襲う相手を識別する』部類のヤクザ者である。金を払う相手には味方するのが鏢局、金を払わせた上に口封じに殺すのが盗賊である。


 御多分に洩れず、楊という男も町の鏢局の頭領であった。聞くところによると、この辺り一帯の運送護衛を一手に引き受けている為、交通事情には官員よりも余程詳しいのだという。


「これはこれは瀏親王殿下。この様な荒屋に足をお運び頂けるとは、汗顔の至りです」


「楊頭領、世話になるな」


 楊という男は、用心棒にしては随分と紳士的な印象の男だった。細身の体を覆う様に余裕のある長袍を着込み、弁髪は今しがた床屋に行ったばかりだというかの様にしっかりと整えられている。目つきは鋭く辺りを睨んでおり、口では笑っていてもこちらへの最低限の警戒は怠らぬ姿勢であった。


「ところで親王殿下、この町へおいでになる時には、どちらの鏢局に護衛をお頼みになったのです?」


「大した距離ではないからな。そこの包衣と二人で来た」


「何と、親王殿下がお二人きりで!いやはや、まことに類い稀なるご勇気、尊敬は致しますがこれからはくれぐれも、護衛をしっかりお雇いくださいませ。何しろ、この不安定な世情でございますから」


「よく存じているよ。それよりも、目撃者から話を聞かせてもらいたいのだが」


「はは、では奥へどうぞ」


 楊頭領直々の案内で、ぼくらは鏢局の奥の方にある応接室に通された。全体的に装飾を排した無骨な造りのその部屋には、丁寧に二人分の茶の用意がされており、他方隣の部屋からは数人の人の気配がする。


「目撃者というのはどこから連れて来た?」


「彼らは皆、我々の関係者か依頼人の方々です。殿下の仰せの通り、十五日の深夜から十六日の早朝にかけてこの道を通ったもののうち、それらしき馬車を見た者をお探ししました」


「大変結構な仕事だ。早速話を聞かせてもらおうかな」


「畏まりました」


 応接室の一席に座を占めながら、ぼくは楊頭領が見つけて来たという三名の目撃者らと対面した。彼らの証言を一言一句、ここで語ろうとするとひどく長くなってしまうから、ごく簡単に要約してみることにしよう。


 最初の男、趙三という荷役夫は十五日の深夜にこの街道を通り抜け、老貝勒の別荘に続く道から一輌の馬車が京師に向かって進んでいくのを目撃したという。曰く、それは二頭立ての四輪、黒漆の塗装に豪華な装飾を施したものであり、事故現場で発見された馬車の特徴と一致していた。更に、車には接近を知らせる為の鈴でもついていたのか、コロコロと鈍い音が聞こえていたそうだ。


「何か不審な点はあったか?」


「いえ、特にはございませんで。ただ、あれだけきらきらした馬車なら、護衛の一騎や二騎はあって然るべきだと思いましたが、誰もおりませんで。一向に」


 第二の男、林阿六という男は、十六日の早朝に永定河のほとりで釣りをした帰り道に例の馬車に行き合ったという。その話によると、車は一旦道の隅で止まっており、御者台は空になっていた。


「誰もいないのかと思っていましたが、すぐに後ろの方から一人御者が降りて来ました。それで、また台の方に乗っかって、馬を走らせ出したんです」


「何か不審なところはあったか?」


「いいえ、特に。その日はどうも霧雨が降っていて視界が悪かったもので、すぐに馬車は視界から消えてしまいました」


「その馬車が誰のものか、お前は知っているか?」


「裏山の老貝勒様のものだってすぐわかりました。あの方はよく、お忍びで宿場町をお通りになりますからね。一両きりでも、特に怪しいとは思いませんでした」


 第三の男、陳隆寛という托鉢僧侶は、十六日の早朝に街道を通りかかった折に、ぼろぼろに壊れた馬車が河のほとりに転がっているのを見たという。彼はすぐさま駆け寄って、半死半生の体で倒れていた御者を助けると、随行していた鏢局の男らには先に行って人を呼ぶ様に指示した。


「辺りには木材のかけらが散乱しておりまして、酷い有様でした。御者の方は血だらけで虫の息なのを急いでお助けし、馬の背に乗せて宿場町へ。途中、先に行った鏢局のお方と合流いたしました」


「馬車の中は見なかったのか?」


「その時はまだ息があるあの方をお助けするのに必死でございましたから、そうしっかりとは見ておりません。しかし、中に人がぐったりしていたのは覚えています」


「他に何か不審なところは?」


「はあ……あぁ、確か、馬車の部品に混じって荷物らしきものの箱が転がっていたのを見ました。と言っても、手のひら二つ分くらいの小さな螺鈿の小箱です。中身は何かは存じませんが」


「螺鈿の小箱か」


 初耳の情報だ。事故現場で見つかった遺留品の中に、そんなものは無かったはずだ。となると、人が駆けつける前に盗まれたのだろうか。


「いずれにせよ、有益な情報であることには間違いないな。よかろう、其方ら三人にそれぞれ銀二両ずつを賜う。彼らを紹介してくれた楊頭領には手間賃として銀五両を与える」


「「ありがたい幸せにございます」」


──


 目撃者たちから一通り話を聞き終えて、ぼくらはまたぶらぶらと宿場の中をうろつきながら、宿の方を目指して歩いて行った。楊頭領はお帰りになるまで人を二、三人付けましょう、と言ってくれたが丁重にお断りし、普段は見る機会のない外の町の賑わいを自由に堪能する。


「面白いところだな、宿場町というのは。通りは一つと狭いが、そこに色々なものが揃っている」


「よくよく考えると、永暁さまは宿場に着かれてもあまり宿の外にはおいでになりませんでしたね」


「子供の頃は体力が無かったからな。ほら、アルサラン。あそこで何か大道芸をやっているぞ!」


「あ、ちょっと!走らないで下さい、永暁さま!」


 雑然とした町の中は前に後ろに次々と人や荷車が行き交っており、その装いもまた千差万別である。品の良い商人風の形をして、立派な馬を召使に引かせているのもあれば、素浪人といった風体で腰に粗末な刀を一本提げ、財布の残りと湯気を吹き上げる蒸篭とをじっと見比べているのもある。


 尤も、道っ端にお椀を持って座り込み、身なりのいい人が通りかかるや、


「旦那さまお恵みを」


 と痩せっぽちの手を伸ばす乞丐こじきがいるのは何処でも変わらない話である。さて、手頃な銭はあっただろうかと思って懐をまさぐると、今日も今日とて十両銀とか、八両銀とか微妙に使いづらい目方のものばかりが財布の中に残っている。


「アルサラン、仕方ないからお前の財布から銭をやってくれないか」


「仕方ないですね、全くもう」


 元より貴人が銭や銀を直に扱うのは品の悪いことだと常々説いている我が包衣である。彼は財布から上手く銭差しにまとめられた銅銭の塊を出してやると、ぼくに向かって手を差し伸べる乞丐の椀に入れてやって、


「これは、わたしのご主人様─あのお方からお前にといってお与えになったものだ。よくよく感謝しろ」


「へえ。旦那様、並びにお若いご主人様。まことにまことにありがとう存じます。どうかお二人様に、弥勒菩薩様のご加護があります様に」


「生憎と、わたしは弥勒菩薩ではなく阿弥陀如来に帰依しているのだがな」


「へい、ではでは、南無阿弥陀仏。阿弥陀様のご加護を」


 全く、無節操なことだ。そう呟きながら乞丐の前を通り過ぎると、アルサランが聞き返してくる。


「無節操とは?」


「弥勒菩薩に帰依していないからといって、簡単に阿弥陀如来に宗旨替えとは。人の信心というのはまことに信用がおけないものと思ってな」


「まあ、どれも『半斤八両(似たり寄ったり)』というのは間違いありませんからねえ」


「馬鹿なことを言うな、バチが当たりでもしたらどうするつもりだ」


「まあまあ。それにほら、仏様ならあそこにいますよ」


「なんだよ」


 意味ありげに視線を上の方にやる相棒。半ば無意識でその先を追いかけてみると、急に顔の上にぽとりと赤い切り花が落ちて来て、


「おっと!何事だ、これは」


「あら、ごめん遊ばせ、綺麗なお顔のお兄様」


「お詫びをしたいから、こちらへ上がって遊びませんこと?」


 この真昼間から、男を惹きつける艶っぽい笑顔を浮かべる女たち。なるほど、宿場には付きものの娼妓連中だ。ぼくは苦笑いして花を取り上げ、


「このイルハよりも美しい花がそちらにいるというのか?」


「勿論。切り花は話せないけれど、こちらの花はそれはもう佳い声で歌いますのよ」


「興味深い話だが、さぞや値が張るだろう」


「綺麗な花はそれ相応の値段です。しかし、お兄様はそんな物惜しみをするほど、懐の小さなお方には思われませんわ」


「生意気なことを言うじゃないか。その口車に乗って二、三人買ってしまいたい気持ちだが、生憎と今は時間が無いものでな。またいずれ足を運ばせて貰おうか」


 ぼくはアルサランの胸元に花を押し付けると、いかにも飄々とした様子で妓楼の戸口の前から立ち去る。その処分に困っている様子の彼に向かって目を細め、


「ま、そんな訳だ。女を買いたければ好きに買ってくるといい。尤も、違う女の匂いが衣に馴染んだら、外城の妓楼には二度と登れまいな。何しろ京師の女は情こそ深いが、同時に嫉妬深くもあるのだから」


「でも、永暁さまがご一緒なら大丈夫でしょう?」


「どうかな?ぼくも存外嫉妬深いぞ。例えば、お前が他のご主人様に心を動かされる様なことがあったら、何をするか分からんからな」


 宿場町の散策は、ひとまずそんなところ。

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