第7回 裏手

 地道に足で稼ぐ、これも意外と悪くはない。ぼくは事件に首を突っ込む時、半分は旅を楽しむ様な心境で調査に当たっている。大概は京師の城壁の中で解決してしまうが、時折近隣の城や村までまたがる様な案件が転がっていて、その度にわざわざ屋敷を飛び出して田舎まで赴くのは楽しいものだった。


 今回も例外ではない。ぼくらはのんびりと平穏な春の街道の風景を楽しみながら、日が少し高く登った頃に、京師の直前に設置された宿場町の目抜通りの大門を見た。通行を管理する門番は、公用として簡素ではあるが補掛を着用したぼくらを見て目を剥いたが、幸いなことにあれこれと騒ぎ立てることもなく穏便に道を通してくれた。


「ありがたい。後々世話になるかも知れぬから、これは小遣いにでもすることだ」


 門番連中に一両銀を握らせて多少の好意を買い取ると、ぼくらは彼らに教えてもらった旅籠屋へと馬首を向けた。恐らく今夜は京師に帰ることは出来まいから、一先ず腰を落ち着ける拠点が必要だったのだ。


「意外と悪くない部屋だな、ここも」


「意外と、というより一番良い部屋を手配してもらったんですよ。相部屋とはいえ、きちんとした寝台があって、火鉢もあって夜は寒くありません。食事も朝夕の二回でます」


「結構なことだ。道路をぞろぞろ行く人の向こうに緑の山が見えるというのも、中々乙な風景と言えるだろうて」


「親王殿下、何か御用はございますか?」


 見ると、部屋の戸口には冷や汗をいっぱいに浮かべ、一生懸命にお愛想を振り撒く旅籠屋の主人が立っていた。泊めてもらうのはこちらだ、そう畏まらずとも良いのに。そう言ってやろうとしたが、相手からすれば身分の高過ぎる人間はむしろ爆弾に等しい存在である。早いところ帰って頂いた方が波風が立たなくていい。


「今のところ無い─あぁ、あったな、そう言えば」


「へ、はい。何なりと、お申し付けくださいまし」


「実は、わたし達はこの街から少し言った河原で見つかった、馬車の事故について調べているのだ。皇帝陛下の代理人としてな。それ故、このあたりに顔が効くものがいれば紹介して貰いたいのだ」


「こ、皇帝陛下の!」


「あぁ。何よりもまず、目撃者を集めたい。協力をしてくれたものには当家から報奨を遣わす。そうだな……」


 ごそごそと懐を探ると、幾らかまとまった銀が入った袋が出てくる。正直中に幾ら入っていたかは全く忘れてしまったが、重さから察するに二十両はあるに違いない。


「とりあえず、ここに銀がある。まず目撃者の紹介を請け負ってくれるものには十両、有力な目撃情報を寄せてくれたものには最大一両、この他程度に応じて一貫、百銭と報奨をくれてやろう。その旨よくよく伝えて、人を集める様に」


「承りました」


「わたしはこれから、この包衣と共に外出してくる。一刻はここに戻れまい。その間にどうにか算段をつけてくれ、いいな?」


「そ、それはもう!喜んで承ります」


「そうか、では頼んだぞ主人殿」


 刀掛けに置いておいた佩剣をもう一度腰に吊り下げ、長い孔雀の羽が伸びた帽子を被り直すと、ぼくはアルサランと共に寝台から立ち上がる。主人は慌てて下男を呼び出して厩に行かせ、ぼくらの乗騎に鞍をつけて外に出す様に命じた。


「(一事が万事こんな調子か。少し狂うな)」


 せめて食事くらいは、質素で牧歌的なものが出るといいのだが。


「それ自体随分と贅沢に浸りきった人間の感想ですよね」


「やかましいぞ」


──


 さて。大いに繁華な宿場町を出て、山の方に向かって半刻ばかり。昔から貴人の別荘というのは竹林の賢人を気取ってか、人里から離れた山林の中に設けられることが多い。ぼくも江南の方に何軒か別荘を持っているが、いずれも清冽な水が流れる小川が近い、穏やかな森にある。


「ふむ。屋敷の趣味から察していたが、別荘と言っても作りが質素なものだな」


「庵の様なものかも知れませんね」


 老貝勒の別荘はこんもりとした山が見下ろすまばらな林の中にあり、二脚の質素な門を木枠で固めた土塀がぐるりと囲んでいる。その向こうに見える建物はなんと茅葺き屋根であって、伝承に伝わる堯舜の宮殿の如き趣を備えていた。


「どうしますか、馬鹿正直に行ったとて向こうが出てくるかどうかですが」


「やってみなければ始まるまい。行くぞ」


 厩が見当たらないので、ひとまず手近な大木の側で馬から降りると、ぼくはしんと静まり返った別荘の門の内側に向けて、大きく呼ばわった。


「誰かおらぬか!わたしは京師より参った宗人府宗令瀏親王である!誰かあるならば、ここより出て参れ!」


 返事はない。もう一度同じことを中に呼びかける。これまた反応は見られない。


「(まさか、中に誰もいないということはなかろうな)」


 そうすると、きい、と音を立てて微かに門扉が動き、裏側から姿も見せぬか細い声で、


「どなたにございましょうや」


「先程から名乗っている。宗人府宗令の瀏親王である。ここを開けられよ、其方らの主人である弘侃貝勒のことで重要な話があるのだ」


「まことに申し訳ありませぬ。我が主人は一昨日に身罷り、目下我らは忌に服し来客を厳重に絶っておりますれば。どうぞお引き取りくださいませ」


「それでは困るのだ。爵位の承継にも纏わる重要な話だぞ。誰か、ここを管理する上位の者を連れて参らぬか」


「なりません。どうぞお引き取りを。殿下におかせられましては、まことにご足労をおかけし、一杯のお茶も差し上げられませぬことは、心からお詫びを申し上げますが、それも作法にございますれば。どうか、どうかお引き取りを」


 この野郎、誰にものを言っているのか理解しているのか。ぼくは腰に下げた剣──宮中へ赴く時の儀礼用ではなく、実戦用の切れ味鋭い業物である──に手をかけ、今にも抜き放ってやろうとしたが、


「永暁さま、抑えてください」


 静かにアルサランが肩に手を置く。それだけで、抑えきれぬほどに高まった興奮が忽ち沈静化し、顔の紅潮が引いていった。


「……よかろう。だが、一つだけ確認したい。お前達の主人が馬車でここを出たのは、十五日の深夜か、さもなくば十六日の日付が変わった直後か。その辺りのことはわかるか」


「……十五日の深夜でございます。急遽お屋敷にお帰りになられるとのことでしたが」


 よく分かった。ぼくは頷くと、そのままくるりと別荘に背を向けて、休ませておいた馬の手綱を取る。一旦宿に戻り、目撃者探しに注力することにしよう。


「協力に感謝しよう。お前達の態度は、爵位承継の手がかりにするため、しかと帝にご報告することとする」


 もちろん、それなりの捨て台詞も添えた上で。

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