第6話 河原

 その場所は、見たところなんの変哲もない、自然そのままの原野であった。さらさらと水が流れる横には草花が繁茂して生き物の棲家となり、人間にとってはちょっとした憩いを提供する。


 ぼくは思わずそこに寝転んで早すぎる昼寝を堪能したい衝動に駆られたが、アルサランの冷たい目線を受けて冷静さを取り戻した。


「して、ここが馬車の倒れた場所だと言うが、その痕跡はあまり残っていない様だな」


「でも、露骨にほら。草が薙ぎ倒されているところがありますよ。多分道からごろごろ転がる様にして落ちたんじゃないでしょうか」


「ごろごろ転がる、ねぇ」


 確かにアルサランの言う通り、道から河にかけての下り坂道に、露骨に草が薙ぎ倒されている部分がある。恐らくは道を踏み外した後、そのまま横倒しになって河のすぐそばまで転がり、水に入り込む直前に決定的に破断して止まったのだろう。


 事実、河の水にさらされて丸くなった石の上に、馬車から剥がれ落ちたと思しき木屑の塊が転がっていたが、そこには腐敗を防ぐための黒漆の塗料が塗られており、車それ自体が丸ごと砕け散る様な激しい事故があったことをありありと想像させる。


 その時、


「おや、あそこに何か落ちているぞ」


「きらりと光りましたね」


 草むらの中に落ちていたそれは、手のひらに収まるくらいの小さな銅製の鈴であった。何だろうかと思って後ろに続く彼に見せてみると、


「馬につける鈴でしょうか。小さすぎるような気もしますけど。ただ、この長い組紐を馬の首に取り付けて、ころころと音を鳴らしながら行けば、霧の中でも接近を知らせることはできそうですね」


「間にぐるりと細かい模様が刻んであるあたり、それなりに由緒のある品物だろう。まあ、皇族の馬車に取り付けられていてもおかしくはない品物だが──」


 何にせよ、事故が起きた場所はここであるらしい。既に殆どが取り片付けられてしまったが、それでも辺りには馬車の細かい破片が残っているし、こうして曰くありげな遺留品まで残っている。だが、まだ何か引っかかる。


「(そう都合よく、事故と断定していいものだろうか)」


 ぼくは考える。事故が起こった時、周囲には視界を塞ぐ霧雨が降り込んでいたらしいが、見たところ道にぬかるみや大きな岩の類が転がっていた様には見えない。では、馬車を牽引する馬の問題ということだろうか。


「馬の制御を失って馬車が事故を起こす、よくある話ではあるのだが、そうなると馬車は前に向かって急発進することになるな」


「そうですね」


「で、その過程で岩か石を踏んづけて均衡を失い、河の方に向かって転げ落ちる。確かにまあ、筋は通っちゃいるが、そうなるとどうして馬が制御を失ってしまったのか、と言う問題が立ち塞がるな」


「そうなりますね。馬車馬というのは基本的に御者の指示に従う様調教されていますから、ちっとやそっとじゃ暴れ出したりはしません。向かいから来る馬車から石を跳ね上げられて、それが目に当たったとかでしょうかね」


「あり得る話ではある。しかし、そうだとすればさっき拾った鈴はどうなる?向こうから来る馬車の接近を感知した段階で、殆どの車は速さを緩めるだろうし、ましてや皇族の車だぞ。皆道を譲ることだろう。それに、もう一輌が絡む様な事故だとすれば、その絡んだ車についての噂などもあるのではないか?」


「確かに、永暁さまのいう通りです。しかし、結局のところ、まだわたし達は事故が起きた正確な時間さえも分かっていないんです─それを知らなくては、役に立つ目撃者も中々集め難いでしょう。実際、事故が発見されたのは昨日の朝ですから、馬車が横転したのはさらに一昨日の夜である可能性も残っています。つまり、貝勒殿の別荘に立ち寄って出立の時間を確認することと、周辺の宿場町を巡って目撃者を根気良く探すこと。この二つが、差し当たり取り掛かるべき重要なことだと考えます」


「正しい、流石はぼくの包衣だ。だが惜しむらくは、宗人府にこの調査に割けるほどの人員が配属されていないということだな。宿場町で布告を発し、恩賞付きで目撃証言を募ってみようか」


「土地の顔役に依頼すれば、すぐに話が通るでしょう。ここはひとっ走り、最寄りの宿場まで行ってみましょうか。地図を見る限り、ここから一刻ほど馬を走らせたところにある様です。貝勒殿の別荘というのは、そこからさらに半刻山の方に向かった場所にあるみたいですね」


「となると、十六日の早朝にこの辺りに着くには、やはり日付がちょうど変わる夜中か、さもなくば前日深夜に馬車を出したと考えるのが自然だな。少ないとは思うが、その辺りに道を歩いて怪しいものを目撃した人間がいないか、探してみることにしよう」

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