1話 異国の帰還と美女

 長く寝ていたはず。

 だというのに、不思議と頭は冴えている。

 やや重たい目を無理して開けると、周囲をキョロキョロと見渡す。

 目覚めたばかりだからか、視界に映るものが歪んだり霞んだりして網膜に紛れる。


 「ああもう、帰って来たんだからしっかりしろよ」


 拳を作り男性の急所である股間を殴る。

 鈍さと鋭さが混じった痛みが俺を襲うが、おかげさまで視界の淀みは逃げていった。


 「……何だ、ここ」


 立ち上がり、左右上下を徹底的に確かめる。

 まず、地球なのは確定だ。

 しかし明らかに植生がチェチェンのそれではない。

 周辺は暗く、漆黒の夜空には幾多の発光を纏った星が爛々と浮かぶ。


 落ち葉が積もった大地をライトで照らしながら歩いていると、いつしか車道へとやって来てしまった。

 どうやらちょっとした高台になっているらしく、下に広がる街の光景を展望できた。

 が、俺は立ち尽くした。


 街は近代的なデザインで、神々しく灯りを纏い、賑やかな音楽も微かに流れてくる。

 対してチェチェンの市街はどうだったか。

 イスラム勢力とロシアの凄惨な戦いによって大破し、各地から黒煙が吹き荒れ、インフラは崩壊していた。


 「……そんな」


 まさかチェチェンではない異国に飛ばされたのだろうか。

 いや、駄目だ。一度ポジティブな思考に切り替えよう。

 チェチェンは独立に勝利して、街を復興させ、ここまでの発展を遂げたのだ。


 「……やっぱり違う感じ?」


 道の端に刺さっていた標識を見た時、そのような好都合すぎる思考は破かれた。

 アルミの板には漢字が書かれている。あと、見慣れない文字も。これは確かひらがなとかいうやつだったか。父親が日本人なので東アジアの文化を少し教わったことがある。


 「おかしいな……俺は、中国に来てしまったのか?」


 獣道に座り込み、虚ろな呟きを漏らす。

 ……到底、動けなかった。

 空腹や疲労なんかじゃない。

 底知れぬ、得体の知れない恐怖に苛まれたからだ。

 イスラムの人間が、アジアでどうやって生きろと。


 こんなの原理主義組織の拷問や公開処刑よりも残忍で意地悪じゃないか。

 誰を恨めばいいのか、どうすればいいのか、未成年のちっぽけな脳味噌では結論を生み出せない。


 アッラーへ……俺は地球に帰還した。だからどうか、俺を助けてくれ――――けれど何の進展もなく、気が付けば時間帯は朝へと移り変わっていた。


 「はあ、しょうがない……」


 このままでは埒が明かない。歩こうと腰を上げる。

 幸いにも召喚前に沢山食べたから腹はすぐには空かず、スムーズに行動できた。

 その勢いで麓の田舎町に下りたが、とんでもないのを目の当たりにした。


 異世界の日常と変わらぬ光景がアジアの地にもあったのだ。

 アリシア姉さんと似たような人達が楽しげに歩道を行き交い、ギルドらしき場所からは魔法使いとか騎士とかが姿を現す。


 幻覚かと思い目が痛くなるまで擦るが、やはり光景は動じず。

 理解に辿れぬまま田んぼを仕切る十字路に向かいバス停のベンチに座ったが、またもや驚愕の存在が瞳に映り込んだ。


 「え、あれって――――!」


 嘘だろ、マジで言ってるのか。これまであるのかよ……。

 遠くに聳える山の中腹付近に石造りのピラミッドに似た外観のダンジョンと呼ばれる魔物が巣食いお宝が眠る巨大な建物があった。


 もう頭に亀裂が入ったと思う……気力を失い、ベンチに寝転がった。長年愛用している銃もベンチの下に滑り込ませた。

 ところが、想定外で危機的な出来事が襲い掛かった。


 「えっ……!?」


 小柄な緑の体に棍棒を持ったゴブリンが出現し、物凄い勢いで迫り来る。

 異世界では何度も葬ったため対処に特別困る相手でもないのだが、油断していて反撃に遅れが生じた。

 咄嗟にライフルを拾い上げようとベンチから転がり落ちたが、その動作がよくなかったらしく、反対にゴブリンに馬乗りにされた。


 「ぐう、くそっ……!」


 か弱い外観なのにこのゴブリンはやけに腕力が逞しい。

 片方の手で首を絞められ、棍棒で顔を殴打される。

 息が詰まり、鈍重な痛覚が体の神経を駆け巡る。


 唯一自由な脚で奴の股間を蹴ってみるものの焦っているが故に有効打を与えられず、ただただ自分だけに苦しみが増えていく。

 不条理だ……あっちではゴブリンを倒して授賞もされたのに、まさか帰還して早々、珍妙な場所でソイツに殺されるなんて。


 もう抵抗を諦め、せめて楽にやってくれと願った時――――銃声が長閑な空気を切り裂いた。

 ゴブリンはピタリと止まり、悲鳴すら上げず俺の胴体から転落するようにして息絶えた。


 平和な東アジアに銃とはと戸惑いつつもゆっくり立ち上がり、深呼吸してから亡骸を見下ろす。

 深い緑色の肌を張り付けた頭部には真っ赤な染みが滲み、アスファルトにはそれの鮮血が波の如く蔓延する。


 「坊や、怪我などはないか?」


 アリシア姉さんとは違う、堅くて威厳が含まれた女の声。

 正気に戻って背後を振り返ると、男性なら必ず心を奪われるほどの美貌を合わせ持つ人が微笑みながら立っていた。


 元気な太陽によって銀の髪の毛は儚く煌めき、眩しい光に負けず笑顔を決して崩さない。

 服は軍人でもやっているのか、黒の単色を基調とした野戦服であった。チェストリグには色々なポーチが装着され、首から掛けられるスリングにはAK-74の短縮型であるクリンコフが吊り下げられている。それもだいぶカスタマイズされており、ハンドガードはレール付きのパーツに交換され、ドットサイトも載せられていた。


 そんなことはどうだっていい――――何なんだ、この人は。そもそも人間ではなく、まるで芸術品のようにすら思える。

 こんなに美麗な顔を見たことがない。

 シベリアの雪原のように透き通った肌と、淡い青の丸い瞳。


 「ほら、坊や――――逞しい見た目をしているのだから、もっと堂々と振舞え」


 手を差し伸べられ、断ることもできずそのまま掴む。

 軍用的なグローブを填めているが、指はおろか爪の一つに至るまで綺麗なのだろうかと、邪な想像を働く。


 これが、一目惚れというやつなのかな。

 アリシア姉さんも大好きでたまらないけど、この人もかなり好みに該当する。

 高貴な雰囲気を漂わせているから、密接に関わるのは無理そうだけども。

 俺が今までに会ってきた女性達は可愛いのが多かったが、この女の人は全く異なる。

 尊い人だと、個人的には思った。

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