魔王を殺した聖戦士も現世ではのんびり暮らして美少女達と理想のハーレムライフを築きたいらしい

ボラとマス

一章 聖戦士はのんびりハーレムを

プロローグ 聖戦士は、帰る

 異邦の聖戦士と崇められた俺の活躍も、今に終わる。

 二度と踏み入れることはないであろう王城の広間にて、自分――――ラムザン・カワサキは陣の中央に立ち、これまで世話になってきた魔導士や騎士の連中に囲まれ、誰もが悲しそうな色を表情に浮かべていた。


 ハナフィー派のイスラムを信仰するムスリムの俺は日系チェチェン人という珍しい属性だ。

 確かここに来たのは15歳の頃で、現在は17歳。いや、何と言うか、年月が経つのは実に感慨深い。薄かった髭も濃くなったし、声だって低いものに変わった。


 ……祖国に帰りたい気持ちが一番強いのは俺の筈なのに、涙が出てきそうだ。そりゃ二年も異世界で戦っていたからしょうがないか。


 チェチェンがロシアに侵攻された際、俺はジハードを遂行しようと地元のスンニ派系統の民兵組織ことアルカイダに志願し、戦闘員となった。当時14歳で少年兵は倫理的にも法的にもタブーであるが、家族は砲撃で残酷に砕き殺され、モスクはクレーターのように変貌し、故郷は荒らされたから、ロシア軍を撤退させて、イスラムの殉教者になれるならそんなことぐらいどうでもよかった。


 それであれは下痢に悩まされている時のことだった。整腸剤を飲んでも治らず、仕方なく草むらに隠れて野糞をしていた。どの国にも当てはまるが、戦場というのは不潔の塊。アッラーもムハンマドも早々助けてはくれず、泥水を啜り腐った肉を口にし、胃腸はズタボロであった。だから腹痛の原因はそれだと思う。


 しかし戦争における便意ほど怖いものはない。

 まるでそのタイミングを狙ったかのようにロシア軍の砲撃が始まり、巻き込まれて俺の命は途絶えた……と一時期は思ったが、気が付けばまさにこの広間に立っていて、ローブを纏った妙な格好の女が呪文をブツブツ唱えていた。足元を見れば光った陣もあって、困惑しかしなかった。その後に落ち着きを取り戻して、近くの騎士っぽいお姉さんにこれはどういうことだと聞いたところ、王国が危機に瀕しているから、この俺を勇者として召喚したとのことだった。


 もちろんロシア軍の捕虜にでもなってこれは単なる演技だろうとも考えたが、炎を吐くドラゴンを目撃したり、ファンタジーの代表的な敵であるゴブリンと遭遇したり、魔族と戦ったりもしたから、もはや嘘とは疑えなくなっていた。


 そして皇帝に王国を困窮させたのは隣国の魔王でそれを倒すにはあなたの力が必要だと懇願された。

 異国の相手に実力を貸すことには戸惑ったが、案外すぐに了承した。


 ――――イスラームでは全ての人間が平等だ。困っているなら満遍なく手伝ってやろう、と。

 そこからは波乱万丈の暮らしだった。

 敵国の暗殺部隊と殺し合い、裏切り者をライフルで処刑し、そんな苦難を乗り越え、つい先日魔王の命を奪ってやった。


 俺の役割は消え、ここに残るか、元いた世界に帰るか質問されたが、後者を選んだ。

 それでこの状況に繋がるわけだが、はっきり言ってもっと考えるべきだったかもと後悔している。


 王国にはイスラム教もないし、アッラーとムハンマドがアドバイスをくれることもなかった。けれど、とにかく人が優しいのだ。

 勇者として召喚された俺一人のためにわざわざモスクを建設してくれて、近くの女性は髪を隠してくれて、豚肉も意図的に出されることはほとんどなかった。


 そのエピソードの中だと最も喜びを感じたものがあるのだが……


 「……ねえラムザン、ほんとに帰っちゃうの?」


 可憐な女性の声が響き、ふと前を向く。

 アバヤでサラサラした黄金の毛髪を隠すも耳が布から突き出ているのが特徴の――――アリシア姉さんだ。この女性はいわゆるエルフで出会った当初は驚きまくったが、聖女をしていて、その技は本物だった。


 ……まあその、気まずい話なのだが、俺とアリシア姉さんは恋仲みたいなもんだ。俺のためにイスラム教に改宗してくれたんだから、本当に感謝の気持ちしかない。


 意外にも相手がこっちに惚れたらしく、告白はこちらが受け取ったのだが、イスラムの教義では婚約するまで恋愛は難しい。だから情勢が安定して、自分達にも余裕ができたら結婚してみるかと言い合っていた。冗談かそうじゃないかはさておき、俺もアリシア姉さんが好きだ。


 あ、ちなみにだが、異世界で生活し始めてからイスラムへの忠誠心はやや薄れたと思う。昔は原理主義の色が濃かったが、最近はすっかり柔軟な考えとなった。だから豚肉も自主的に食べることはなくても善意で提供されたのなら我慢して胃に落とすし、酒も多分一緒だろう。


 「アリシア姉さん――――」


 彼女の頭に覆い被さった布を少し捲り、金の艶を帯びた髪が現れ、何度か撫でてあげる。


 「ちょっとラムザン……女性に触って大丈夫なの?」

 「ここはチェチェンじゃない。ということはイスラムはあっても神は怒らないと思うよ」

 「そ、そういうもんなの?」

 「まあ、俺はハナフィー派だからな。こんくらい緩くてもどうにかなるさ」


 最後の会話を、しっかり楽しみ、脳にこの記憶を必死に刻み込む。


 「……アリシア姉さん、迎えが来たみたいだ」


 魔導師の男性から覚悟を決めておけと伝えられ、泣きそうになっている彼女を慰め、陣の中央に座り込む。


 「さあ、アリシア姉さんよ――――やってくれ。俺を帰らすことができるのはお前さんだけなんだからよ」

 「う、うん……分かった」


 おいおい、俺の努力が水の泡になったぞ。

 アリシア姉さんはつぶらな瞳から一滴、二滴と涙を流し始め、最終的には頬がびしょびしょになりながら帰還魔法の詠唱を始めた。

 ああ、この人の声はいつ耳に入れても安らぐ。


 詠唱も終章に差し掛かり、静かに瞼を下ろした。

 真っ暗闇だが、皆の温かみがきちんと感じられる。


 ……やっとか。これで俺は精神も肉体も少なくともここでは死ぬ。

 細く目を開けた頃には、輝かしい光に体を覆われ、辺りはもう見えなかった。

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