第2話 水葬

 ――――――――――――――――――――




 アリカ姐は覚えてるのかな。初めて会った時に、私の髪型を褒めてくれたこと。私の初めてのライバルになってくれたときのこと。


「そこのかわいいツインテ女。アンタがここで一番のダンサーか」


 アリカ姐はいきなり私に話しかけてきた。


「アタシが組んでやる。悪いけど、一番はアタシだってわかってもらうから」


「でも……」


 もじもじする私をアリカ姐は気に留めなかった。そして一曲一緒に踊った。


 その一曲の間で、アリカ姐は理解した。私にリーダーがいない理由を。


「アンタなんなんだ……なんでリーダーのステップを無視して難しいステップばっかりやるんだよ!」


 肩で息をしながらアリカ姐はそう言って怒った。涙目になってたなあ。


「だって……そのほうが楽しいって思った」


 この人も怒らせちゃった。アリカ姐は下を向いて黙っている。


「クソッ。確かにこっちのほうが楽しい」


 地団駄を踏みそうな勢いでアリカ姐は吐き捨てた。私は吃驚した。


「よーし、分かった。アンタはアタシのライバルだ!好きなように踊らせてやるから、アタシに上手い踊り方をおしえろ!」


 私はもっと吃驚した。それって、私のリーダーになってくれるってこと?


「そうだよ」


 アリカ姐は悔しそうに言った。私は嬉しくなって、アリカ姐を抱きしめたっけ。




 アリカ姐は私のヒーロー。彼女が初めてひとりぼっちの私をお姫様にしてくれた。

 ――――――――――――――――――――











 海に行きたかった。








 そこには無限と言っていいほど水があるらしかった。おれは水に溺れてみたかった。どんなにここちいいだろう。冷たい夜に藁の中で夢想した。












































「エリィ!」




 アリカは自分の声で目を覚ました。


「あなたは寝ても覚めてもエリィなのね。アリカ」


 机の赤い宝石から聞き覚えのある声がした。


「アンタは……」


「ナターシャ。あなたが名付けたんでしょう」


「あのロボットのAIじゃなかったのか」


「これが私の身体」


 そうか、とよくわからないテクノロジーに生返事をする。身体は包帯だらけだった。アリカはしばらくこれまでの回想をした後、はっとした。

 脚が無い。右足の先。膝から下。


「説明を、しなくちゃいけないわ。よほど沈痛なもの。それとも、もっと時間が必要?」


 シーツは凹んでいる。アリカの横顔は長い前髪に遮られて、その表情を窺い知ることはできない。


「……アリカ?」


「そうか」


 彼女はうわごとのように言った。


「もう人前で踊らなくていいんだ」




 先の戦いで右足の膝から下を失っていたこと。

エリィとダンススクールの人間は見つかっていないこと。

あの機体の元パイロットは回収することができたこと。

 後から駆け付けた他の迫撃機巧が助けてくれたこと。

 アリカはナターシャによる淡々とした説明を受け入れた。まだ何の実感も伴わないらしく、粛々としている。ナターシャはそんな彼女に少なからず違和感を覚えた。


「あっ!目が覚めたんだね!…ってか、あれ?もしかしてアリカ選手?すごーい!」


「…丁度良かった」


 突然の二人の来訪者たちにアリカはきょとんとする。


「あなたと私を助けた他のパイロット達よ。腹立たしいことにね」


「そんな言い草ないだろ」


 アリカはナターシャを叱ってから二人に頭を下げる。


「私は無事だったのよ。あなたが気絶したせいで身動きが取れなかったんだから」


「アンタだけでは動かないのか?」


「二人が万全に揃わないと不具合を起こすのよ。あなたが筋肉なら、私は頭脳ね」


 ナターシャはほくそ笑む。


「そう、このプライドのたか~い自律型デバイスを核コアとゆーの。核とパイロット、この二つの要素から迫撃機巧は成り立つんだよ」


 来訪者の片方が割り込む。胸の辺りまであるポニーテールが揺れた。二人ともまだ高校生と思しき幼気な顔つきをしている。


「自己紹介が遅れちゃった。私はクウロ・ワシイ。よろしくね」


「よろしく」


 クウロは握手を交わすと、もう一人の来訪者に目配せした。


「あっ…僕はエチル・サワイ。お願いします」


 緊張した面持ちでエチルは力の入ったお辞儀をした。彼は寝癖のついた頭で数秒前の発言を後悔している。頭によろしくをつけるべきだった。


「よろしくな」


 アリカは年下の二人にダンススクールの生徒を思い出し、優しい顔になった。ぎこちないながらも二人は挨拶と握手を交わした。


 エチルは分厚い手袋をしており、アリカが彼の体温を感じることはなかった。


「それで…ただ見舞いに来てくれたってわけじゃないよな」


「そうそう、本題に入らなきゃね。まずあなたは逮捕です!」


 クウロは大仰にアリカを指差した。苦笑しながらええ、とアリカが呟くと、彼女はのけぞった。


「当然よ。正体不明の核を使って国家機密まみれの迫撃機巧に乗り込んだのはおろか、ほとんど壊しちゃったし。えーと、秘密保護法?だったかの違反で逮捕。普通はね」


「…何か逮捕されない方法があるのか」


 エチルは下を向く。クウロは悪戯っぽく笑った。


「この前で軍人さんのパイロットがいなくなっちゃったから〜…このまま私たちとパイロットになること!脚が無くたって大丈夫だよ!」


 突然扉が開いた。


「そんな詐欺紛いのことをしてはいけません。警察についてはいくらでも融通が利きます」


「ジン!」


 話に加わったのは初老の男性だった。スーツには勲章が輝いている。


「それに、パイロットになることで失うものは沢山あります」


 落ち着きのある低い声に、エチルはうんうんと頷いた。




「特別侵略者掃討隊隊長ジン・カンナギと申します。いきなり大勢で押しかけてすみません」


 握手を交わす二人。緊張した面持ちでいると、彼は鈍く光る宝石を見つめ、目を細めた。


 社交辞令や連絡を端的に終わらせると、彼はパイロットになると失うものについて語った。


「迫撃機巧は欠損した兵士にも扱えるように作られています。脳からの電気信号を受信し、核を通すことで、まるで自分の失った身体を補うように操作することができる。現状、侵略者に対抗できる唯一の兵器です。しかし、これを操縦する者には大きな負担がかかります。最も大きなものは、身体感覚の鈍化。迫撃機巧を長時間操縦すると、自分の身体はこの鋼鉄であると脳が誤認するようになります。日常生活にも影響を及ぼすでしょう。……また、家族や友人とも会えなくなります。機密と訓練がありますから。何にせよ、今の生活を手放すことになる。もう平穏な日常には戻れません」


 クウロは退屈そうに爪を見ている。エチルは深刻そうにアリカを見守っている。


「よく、考えてください。パイロットになって侵略者と戦うか、ここでの出来事をすべて忘れて安寧な生活を送るか。三日後にもう一度伺います」


 ジンは何枚か書類を置いた。横目に見ると、そのうちの一枚は誓約書のようだった。


「いい。三日もいらない」


 立ち去りかけたジンの脚が止まる。


「アタシはパイロットとして貴方のもとで働きます」


「……え?」


 最も肝を抜かしたのはエチルだった。クウロが口を開く。


「…アリカはダンサーなんでしょ?誘ったのは私たちだけど…義足でダンスを続ける道だってあるのに」


「自暴自棄なら、僕は反対です」


「元々ダンスの相棒より大事なものなんて無い。家族はあってないようなもんだ。彼女を取り戻せる可能性が少しでもあるなら、命を賭ける価値はある。彼女がいないならアタシの日常は無いんだ。アンタだって、守りたい誰かがいるんだろ」


「それは…」


 エチルは手をぎゅっとにぎった。視線はクウロに向けられている。


「なんでか、彼女がまだ生きてる気がするんだ……エリィを取り戻したい。そのために戦うのは、軍人として不純かな」


 アリカの瞳が光る。クウロにはそれが眩しく感じられた。


「私は歓迎しますよ」


 ジンはきびきびした動きでアリカに向き直る。その声色は明るい。


「すぐにリハビリを始めたい。じっとしてると身体が腐っちまいそうだ」








「本当に良かったの」


 静かになった病室でナターシャが口を開く。


「なんだ、アンタまで心配してくれるのか?案外優しいところもあるじゃないか」


「…違う。あなたってお母さんに見つけてもらうために踊ってたんでしょ」


「よく知ってるな」


「調べさせてもらったわ」


「…あれはドラマだよ」


「どういうこと」


「インタビューの回答に尾ひれ葉ひれがついた。アタシみたいなやつがエリィと一緒に踊るにはそれくらいのドラマが必要なんだ」


「一度一緒に踊っただけだけど。あなたに実力が無いとは思えないわ。世間は節穴ね」


 ふっとアリカは笑う。


「それでもアタシ達は一番をとった。肩書にこだわりはある。でも…それにこだわっていたらエリィを取り戻せない。アタシにはもう……この道しかない」


 アリカは宝石を見据える。


「ナターシャ、あんたにアタシの脚になって欲しいんだ」


「わかったわよ。ほんと…お馬鹿なんだから」








 虫も鳴くことのない静かな夜。リハビリセンターの附属する病院の一室に煌々と光の灯る部屋があった。


 アリカがしめやかにスローフォックストロットを舞っている。右足からはカツカツ音が鳴っている。冷たい廊下に、小さな欠伸がひとつ。


「ねえ、もう部屋もどろうよー」


「だって、心配だし…」


 声を潜める二人がいた。義手の調整と身体検査のため入院しているエチルとクウロである。


「誰かに見つかっちゃうかもよ」


「もう番の人は過ぎたよ…にしても、いつまで踊るつもりなんだろ」


 クウロは振り返り、膝立ちになって部屋を覗いた。


「でも、アリカちゃんの踊りってすごいキレイ」


「……やっぱりあの人はアスリートなんだな。常人の範疇じゃない」


「私達も軍の学校で鍛えてたじゃん」


「僕が義手に慣れるのはこんなに早くなかったよ。脚なら尚更大変だろ」


「まーたしかにあれは異常かもね……」


 アリカはゆっくりと滑らかな動きで場を制する。スローフォックストロットは派手さにこそ欠けるが難易度の高い種目である。ゆっくりと一定の速度で踊り続けるには細やかな重心の管理や足運びが必須となる。


「ニッポン一は伊達じゃないね」


「……彼女は大丈夫かな」


「間違いなく能力はあるよ」


「精神面の話でさ。ボルトさんはキツそうだったから」


「アリカちゃんが決めたことだよ」


「……そう、だね。そうだよね。僕たちも、ウルメもカイリも自分で選んでここにいるんだよね」


 言い聞かせるように呟いた。癖のように二の腕を引っ掻く。


「ねぇ、僕たちってさ。ウルメやカイリを置いて、その、楽しくやってていいのかな」


 何回も繰り返した自問を初めて声に出した。クウロは少しの間黙っていた。


「あのね、エチル、知ってた?」


 少女は少年と向き合う。


「未来ってね、必ず良くなるんだよ。人間ってみんな良くなろうとしてるから!」


 彼女は滔々と未来をかたる。幸福で平凡な未来。


「だからね、そんなに心配することないんだよ。ふたりだって、私達が楽しくないとつまんない!」


 エチルは体育座りを解いて、片膝を立てて後ろに手をついた。そして息を吐く。


「僕も、クウロみたいになれたらかっこいいのにな。君みたいなこと言えたらいいのに」


「なにそれ」


 クウロは笑って囁いた。すると、扉が開き鋭角に光が差し込んだ。


「話、終わった?」


「っつ……どこから聞いてました?」


「何も……ところで」


 ふっとアリカは笑う。


「肩貸してくんない…?足痛くてさ…」








「ナターシャ、件の映像、見てくれたか」


「どころかあなたの出てない大会まで見ちゃった。あなたってすごいのね」


 アリカは訓練場にいた。クウロとサワイもいる。パイロットたちは練習専用のプロトタイプ機に乗っている。


「でも、最近のあなたはちょっと内にこもってるわ」


「もうそんな言葉覚えたのか」


 眉をひそめる。内にこもる、という特有の言い回しがある。コンペティション・ダンスは空間的に物事を考える。できるだけダイナミックに動くのが理想的だ。他の出場者とぶつかること自体は失点の対象ではない。どう巻き直すかが観点となっている。ナターシャはクスクス笑った。


「私、ジャイブが一番好き。踊ってみたいわ」


 ナターシャは目を輝かせているようだった。ジャイブとは、ラテンダンスの一種である。テンポが速く、跳ねるようなステップが特徴的だ。


「あんな速いダンス、再現できるのか」


「ニッポンの機巧は馬鹿にできないわよ。きっと攻撃に転化できるはず」


「……本当に防衛中に踊るのか。普通に戦ったほうがいいんじゃないか」


 アリカはプラスチックとなった脚を取り外した。


「あなたはあなたが思っている以上に熟練しているのよ。活かさない手はないわ」


 不安そうなアリカを見てナターシャはこう言った。


「死なせやしないわよ。ヒーローさん」


「…!今…」


 アリカが何か言いかけた時、警報が響いた。




『多数の空挺型侵略者、拉致型侵略者確認。サガミ湾から我が基地へ進行中。至急第三戦闘配置につけ。繰り返す。多数の…』




「行くわよ!」


「ああ!」


 アリカはネックレスとなっているナターシャを首にかけ飛び出した。




 迫撃機巧が収納されている場所へ走る。鉄の骨組みがアリカのプラスチックの脚にコツコツ鳴る。眼前には巨大なロボットがあった。


 アリカはその巨体を見上げる。全長は六間ほど。純白のドレスを思わせる白金。人体と似たその機巧は腰がぐっと細くどことなく女性的なイメージを抱いた。 そこにはジンも居り、急な初陣となったアリカのために残ってくれていた。




 液晶画面が点灯した。


「第四號機、クラフトフロア號…」


アリカはクラフトフロア號の胸元にあたるコクピット内で画面をなぞる。鉄の脚を外し、背後の壁面に引っ掛けた。代わりに脳波を測定する器具をつける。迫撃機巧は操縦者の脳波を読み取りシンクロすることで直感的な操作を可能としていた。


 諸説明を終えると、ジンは出口に足を引っ掛け、振り返った。




「貴方なら彼女……いや、人類すら救えるかもしれません。期待しています」


 彼は薄く微笑み、コクピットを閉じた。


「おい、何のことだ。待て、ジン!」


「何だっていいわ。行くわよ。クラフトフロア號、出撃」


 何の気なしにナターシャは言った。


 彼は自分の身体を動かすようにするだけでよい、と言った。アリカは宇宙を見据え、重力に真っ向から挑む。




 カマクラの山中に白金のロボットが降り立つ。海上から空挺がこちらへ向かっている。近くに拉致型侵略者も見えた。拉致型侵略者の体長は三間ほど。


「市街地に侵略者が来る……!アタシ達は先を急ぐ!」


「わかりました!僕たちも行きますよ」


 エチル―――二號機も浮き上がる。


「私は基地を護りながら前進するわ!」


クウロ―――三號機は大きな斧で侵略者を斬っている。




『了解!』








 四號は人気のない砂浜に着地した。三杯の空挺型侵略者は海上に浮かんでいる。


「有効射程の瀬戸際か……狙えるか」


「いや、外ね。こちらは手出しできないわ」


 遅れて二號、エチル機も到着した。二体の鉄巨人は混迷を極める地上に向き直る。


「地上の侵略者、すべて……撃墜する!」








 パソ・ドブレ。闘牛士と赤布ケープに由来するとされるそのダンスは攻撃的だ。


「次、クードピック!」


「はい!」


 素早い足捌きにナターシャは何とか合わせている。一寸ほどの拉致型侵略者たちが蹴りを入れられぐったりと地に伏した。


 中距離からビームを照射する侵略者には弾丸を、近距離から捨て身を図る侵略者には蹴りを見舞う戦闘スタイルは彼らを圧倒した。








 二號は二ふりの山刀を逆手にとって戦う。刃は短く鈍角。エチルたちは山猫の狩りのように無駄のない動きで的確に侵略者を斬り伏せた。紫色の機体が光る。


「畜生が、この、ケダモノが…」


「エチル、その、頑張って…」


 ぶつぶつと独り言を止めないエチルに、パートナーであるカイリがおずおずと声を出す。二人は双子だ。


「あ、足元に二匹来てる!」


「分かってる!」


 エチルは下方の侵略者を斬るため屈もうとした。その時、カイリは関節に違和感を感じた。


「だめ、止まって!」


「は!?」


 二號はもんどり打って後方に転んだ。好機と見て侵略者が狙いを定める。


「まずい、打たれる!」


「間に合わない!」


 アリカたちは歯を食いしばる。侵略者の眼が強く光った。








 光が収束すると、そこには三號機―――クウロがいた。深い蒼が日光に映える。彼女の斧が半分溶けかかっている。その奥には、二號の左脚が完全に溶けていた。


「ありがとう、クウロ、ウルメ」


 エチルは息を吐く。三號は熱された斧で周囲を薙ぎ払い、一陣の風を吹かせる。しかし、侵略者はまだまだやってくる。クウロは斧を担ぎ、檄を飛ばした。


「膝立ちでもまだまだ戦ってもらうよ!」








 一方、四號は未だ見ぬ侵略者と邂逅していた。


「人間…なのか?」


 そのカメラが捉えていたのは奇妙な生物だった。ビルの頂上に風を受けている。普遍的な成人男性のシルエットをしているが、爛れた皮膚を伸ばすように一本だけ角が生えている。左右非対称の姿は醜かった。黒い布で口から下を覆い、四號の前に立ちはだかる。肩にはとても小さい拉致型がいて、揃いの核をつけている。それはナターシャやカイリ、ウルメのとる形と同じだった。


「人ではありません……人型の侵略者です。いよいよ、ニッポンにも来ましたね」


 ジンの言葉通り、それは人ではなかった。突如、人型は左腕を伸ばした。それは拉致型と同じ触手だった。関節から無数に枝分かれしており、太さも様々だ。


「くうっ」


 砂埃の舞う中、鞭のように触手をしならせ四號を襲う。大きな身長差がありながらもその衝撃は大きく、アリカは目眩がした。


「棒立ちじゃ防戦一方だわ、ローテに入りましょう!」


「応!」


 アリカたちは触手を大きく弾き、距離をとった。そしてその場でくるくると回転する。砂浜に竜巻が発生したようだ。人型は虚を突かれたようでその迫力にたじろぐ。


「ツイスツ!次、レフトバリエーション!」


「はいっ!」


 四號は変幻自在な軌道を描き、爪先を槍のように人型へ突き刺した。人型は吹き飛ばされ、屋上から地に落ちた。衣服に砂が付着する。四號は追撃に走った。


「その腕、破壊する!」


 人型は鉄の拳が迫る中、彼の来歴を回想した。それはどうやら走馬灯らしかった。








 男は名をマグリ・ウムガといった。戦災孤児であり、牛飼いのもとでこき使われていた。十分な食事も与えられず生活環境は酷いものだった。


 そんな彼にも生きる意味があった。シイラ・スズの存在である。彼女は裕福な家の出だ。以前街で迷子になったときにマグリに案内してもらってから、頻繁に二人で会うようになった。彼は牛飼いによくぶたれ目を腫らし、シイラはその度に氷を持ってきた。


 彼女は海を語った。そこには無限と言っていいほど水があるらしかった。マグリはぶよぶよになった水袋を触った。こんなに気持ちのよいものが溢れているなんて信じ難い。それでもシイラは憧れをもってそれを語ったので、二人は大人になったら海へ行こう、と約束した。




 苦しいながらもマグリは幸福だった。しかし、またも戦争が彼の生活を奪った。彼らの住んでいた草原は炎に包まれた。多くの有脳体モレイイールが動員され、地を灼き堂舎を呑みこんだ。


 二人は軍に捕らわれた。瀕死の状態で担ぎ込まれ、人間としての運用は不可能だと判断された彼女は即時有脳体として改造手術を受けることになった。戦力をみすみす死なせるわけにはいかなかった。


 手術は失敗した。手術の時点で両脚を失っており、うまく身体が肥大化しなかったのだ。殺処分されるところだったシイラとその核をマグリは引き取った。マグリは軍の統治下のなか身寄りのない者が集まる神学校へ入学し、自らも軍人となった。


 マグリも段階的な改造手術を受けた。己の核を抽出し、彼女につけてやった。


 二人はどれだけ姿を変えても、互いの命を、守った。








 刹那、取るに足らない小さな拉致型が動いた。四號の頭部―――メインカメラを前にし、光を溜め込んだ。光は増大するかに思われた。


 が、その光は届かなかった。破壊光線を打つにはその体はあまりに小さかった。


「驚かせるわねっ!」


 ナターシャは拉致型を捻りつぶした。虫けらのように海面に叩きつけられる。子供の声のように高い不快な音がした。


「……アリカ?どうかした?」


 四號の動きが止まった。


「やられた……目が、何も見えない」


 彼女の視界は真っ白になっている。その光は、アリカの目を焼くには十分だった。


「私は見えてる!合わせなさい!」


「そんな……ぐうっ!」


 地に向かって鞭が振り下ろされ、砂の柱が立つ。その一瞬で人型は四號の裏を取り、息を吹き返したように攻勢を強める。砂をえぐりながら無数にも感じられる触手が迫撃機巧を撃つ。風よりも速い鞭打ちに執念が感じられる。ガタがきていた頭部パーツが破断した。


「踏ん張って!ここが正念場よ」


「信じてるぞ……アンタに預けるッ!」


 アリカは目を閉じナターシャの思うままに身を任せた。テレスピン。物凄い風圧で胴に触手が巻き取られる。ナターシャはそれを力を込めて掴んだ。


「ハイキック!」


 鋭利な爪先が宇宙を指した。真っ黒な体液が飛び散り、数十の触手が絶たれた。


 しかし、四號は高く足を上げたため均衡を失い腰から倒れた。


「ああっ!」


 強い衝撃にアリカは呻く。……立てない。人型はどうなった。動かない。アリカは周囲が無音になったように感じた。








「動くな、当たる」


 低い声がした。エチルの声だ。


 二號は跪いたまま、山刀を投擲した。轟音と共に人型を攫い、遠く海で飛沫が上がる。


「ナイス、二號!」


 三號は斧を放って両手を挙げた。


「……異星生命体反応消失……討伐、完了です」




















 マグリは一海里ほどのところで沈降していた。








 あれほど求めた海。冷たい。冷たくて……痛い。爛れた全身が刺されるようだ。








 そうか。








 海の水はしょっぱいんだ。

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