第3話 祝祭
――――――――――――――――――――
ダンスに勉強に明け暮れていた、高校生の頃。アリカとやけに神妙なエリィは、大会の打ち上げを兼ねた小旅行に来ていた。
美しい海と島々を望むことのできる高台。エリィが行きたいと言い出した場所だ。真上から陽が差し、風がそよぐ。
「惜しいけど、帰るかぁ」
陽が沈もうとしていた。肌をなぞるような風が吹く。エリィはアリカにもたれかかる。そのままアリカの胸に顔を埋めて、言った。
「アリカ姐、私ね…」
うん、とアリカは答える。
「いないほうがいいのかもしれない。この星のために」
エリィは時折おかしなことを言う。今回は一層深刻な声色だった。
「よくわかんねえ。もしそうだったとして、それをエリィが気にすんのか?」
「…気にするわ。私のせいでアリカ姐やみんなが傷つくって考えたら」
アリカはいまいちつかめないまま、彼女の背中を撫でていた。
「アタシはエリィの味方だから。アンタのせいで傷ついたって、かまやしないさ」
アリカはごく自然に右手をエリィの肩甲骨に被せた。
「また、踊るの?」
エリィが笑う。嫌?とアリカが問うと、首を振った。
石ころでガタついた地面の上で、二人はワルツを舞う。角に来るとターンして、またステップを繰り返す。アリカは舞台では見せない本当の笑みを浮かべる。ところで、音楽のないダンスはいつ終わるのだろう。ガリ、と地面を削る音がして、二人は崖の柵に接近する。
エリィは突然ルーティンを変え、ぐいとアリカを引っ張った。イナバウアーの要領でアリカの上半身が柵を乗り出す。これはピクチャー・ポーズだ。アリカの瞳に水面が映った。ひゅ、と喉から空気が漏れる。
「へ、あの、エリィ」
静止した世界のなかで震えた声だけが響いた。
エリィがクスりと笑った。何事もなかったかのように二人はダンスフロアの中央に戻り、ホールドをほどいた。太陽は沈み、つかの間の光だけが残されていた。
「帰ろう」
元々はエリィが引き留めたというのに、彼女はそう言って両手を広げ、スタスタと踵を返す。
「び、吃驚した…!」
数テンポ遅れてアリカが息を吐く。ゴリゴリと砂利を鳴らしながら彼女らは去っていく。
言ってくれたよね、アリカ姐。
――――――――――――――――――――
青天井の会場には所狭しと群衆がひしめき、皆口をへの字にして、厳かに待っている。背広を着こんだ紳士のなかに、学帽をかぶった学生も混じっていた。学生は一生懸命に背伸びをするが、前方は後頭部で埋め尽くされていた。
「
どこからともなくそんな声が広がり、場は騒然としたのち、静まった。
「我々こそが真の地球人である」
雨が降っている。今日の降雨量は一寸。傘に弾かれて雫が跳ねた。頭の近くでたくさんの音が鳴ることにアリカは眉を潜めた。軍の施設に庭のような場所に便宜的な男の墓があった。彼女に機体を与えたパイロットである。
「身体は無事に遺族のもとに送られたみたい。良かったね、アリカ」
「アタシは何も…」
エチルが墓に花を供えた。手袋が土で汚れていく。三人の首からは赤い宝石が下げられていた。
「声が、するんです。聞こえませんか」
LEDライトのしらじらしい明りのもとにエチルとアリカ、カイリとナターシャがいる。彼は個人的な話があると言って会議室の一室にアリカを呼び出した。戦闘中のことが議題らしい。
「何か…声かは分からないけど、確かに変な音は聞いたかもしれない」
それは奇妙なものだった。ナターシャによるものでもない。激動の戦いのなかでは忘れられるほどの幽かなもの。アリカの共感を得られて、エチルはひどく安堵したように息を吐いた。
「そうですか……。僕はあれが嫌でたまらない。あなたはなぜ自分からこんな戦いに足を踏み入れたんです。何も知りえないのに」
「エチル、ちょっと」
カイリが不安そうに水を差す。
「……何が言いたい?」
「最初に会った時、あなたが受け取った書類から目が離せませんでした。コアが『核』って表記されていたんだから。……そんな生易しいもんじゃない。これは人間の魂そのものです。あの宝石のなかには、人間が入っているんです」
次第に声が震える。エチルの拳が固く握られる。
「あの石が、人間……?そんな話、今まで」
「僕たち―――僕とカイリは双子です。ジンさんには口止めされましたけど。姉ちゃんは血を分けた家族で、人間だった」
エチルの顔は険しい。
「……何をアリカさんに怒ってるのよ」
「僕は……成り行きで入ってきた新人にコアを物扱いされるのが耐えられないんだ」
「アリカは私をモノ扱いしたことなんかないわ。成り行きでここに来た新人より活躍してないあなたにはわからないかもしれないけど」
「僕たちがいなかったらあの人型は倒せなかっただろ」
「ストップストップ、すとーーーーーーーーーー――っぷ!」
クウロがひょっこり顔を出す。
「数少ないパイロットなんだから、仲良くしよっ!ね」
アリカは頭をかく。
「クウロの言う通り。ナターシャには頭を冷やさせとくよ」
「ヘラヘラしないでっ!ちょっと、もご」
「……こうすれば口を塞げるんだな」
アリカは両手でコアを覆う。
「私たちはここでしか生きられないから……本当はどこでも生きられるあなたのこと、羨ましいのよ。エチルは。ごめんなさいね」
カイリが大人びた声色で言う。エチルは口を開きかけて、閉じた。
「すみません。口が過ぎました」
エチルは軍人になるため単身カマクラの学校に通っていた。帰省は年に一度。姉と両親の待つ山中に向かっていた。しかし、彼を待ち受けていたのは侵略者だった。県境に着いた時にはアキタは壊滅していた。雪の中、口腔型侵略者が建物を喰らっている。もう人間は喰いつくしたようだった。実家のあった場所に両親は見つからず、姉は下半身を失っていた。
魂を抽出する他無かった。
「ごめんなクウロ、助かったよ」
エチルとカイリは立ち去り、部屋にはクウロとアリカだけが残った。ナターシャは自室に戻らされ頭を冷やしている。
「いいよ。後で私が喋ったこと秘密にしてくれたらね」
クウロは退室したエチルの代わりにコアの秘密を話してしまった。
「言わないさ。魂というか、意識みたいなものを肉体から取り出す技術があって、それを迫撃機巧の操縦に活用してる……ってことだよな。そんな技術、秘匿されて当然だよ」
アリカは事の重大さに冷や汗をかく。
「いずれは知らされてたと思うけどね」
「信用されるまでは時間がかかるんだろうな。エチル然り」
暫く黙ったのち、口を開く。
「みんな誇りをもって一つの敵に向かってきた……正式な手順を踏まずにここへ来たアタシのこと、おかしいと思うか?」
「おかしいだなんて!もっと前からでしょ。まるで魂が無いみたい。……褒めてるのよ。あなたは軍人でもないのにヒーロー気取り」
クウロはその場でくるくると回って見せる。
「あなたはまるでエリィの影。体裁ばかり気にして、意思を伴わない。戦士にもなりきれない幽霊」
そんな、と言って、後に続く言葉が無いことに気づく。
「あなたは魂を凍りつかせて、物事を受け止めるのを後回しにしてる。いつかツケを払うときがくるよ。じゃね~」
アリカは護送車に揺られている。長袖で汗をぬぐった。カナガワの迫撃隊たちはニッコウに移動している。大量の侵略者が攻め込んでいるので応援として呼ばれたのだ。他の人間は早くに発ったが、アリカは遅れている。もう朝の光が拝めそうだった。
「すみません、アタシのせいで……」
「仕方ないですよ」
運転手がこちらを振り返る。歪んだ口元に皺が刻まれる。
「幻肢痛を治療するのは難しいと聞きます。まあ、隠していたら治療どころではありませんが」
流れる景色はものを言わない。空気が重い。アリカは毎夜脚が痛むのを隠していた。作戦の前になって強い痛みに襲われ立ち上がることができず、急遽薬を処方されたところである。
「すみません」
ナターシャにもひどく怒られた。彼女の身元は未だに暈されている。外は瓦礫が増えてきた。
「任務のためだったんでしょう。若い頃は誰しも無茶をします。長生きするには逃げることも肝要ですよ」
ゆっくりと諭すように話す。鑑越しに後部座席を見ながら。
「そういうわけにはいきません」
「しかし―――」
交差点に車が停止する。
「我々は内部から瓦解しようとしています」
外は雪が降っている。ワイパーが作動し規則的なリズムを刻んでいる。
「内部から?」
「トウキョウ夜戦、アニ侵襲、ナガト攻勢……これまで多くの土地が壊滅的被害を受けてきました。これらはすべて迫撃機巧の生産に関わる場所です。まるで侵略者が我々の臓腑の場所を知っているようではありませんか」
「陰謀論ですよ……。奴らに策謀する知能はありません。災害のようなものです」
「先日の二號機の故障は仕組まれたものだと知っても、そう言えるでしょうか」
「戦闘中の脚部の故障のことですか。あなたは……」
「一介のエンジニアですよ」
車は坂を上っていく。アリカは座を正した。
「アタシはそれでも戦います。泥船に乗っていたとしても、そこであがきたいんです。自分を恥じたくないから」
「……そうですか。私は逃げた人間を恥だとは思いませんがね」
駐車場に停めてあったろう他の装甲車はもう出払っているようだった。サイドブレーキが金切声をあげる。二人ともベルトを外した。一面の雪景色が広がっている。一尺ほど積もっているが、雪が止む気配はない。システムが故障しているようだ。脚が雪に埋まる。
「アタシ達、お互いの名前も知らずに喋ってました。アタシはアリカ・バンジョウ」
「ギナン・ギンコです。ご武運を」
「ニッコウの部隊は……」
白い息を吐きながらアリカは陣中のジンに駆け寄る。彼は首を横に振った。
「あなたも急ぎ搭乗してください。戦闘は続いています」
「了解」
街はひどい有様だった。雪は全てを覆い隠すほどではなく、黒い瓦礫が見える。建物は喰い破られ人の気配はない。二號機と三號機は大立ち回りで口腔型侵略者を一掃している。口腔型侵略者は肉食動物の顎の骨をぼろ布で覆ったような様相である。拉致型のように光線を撃つことはできないが、なんでも喰らい一瞬で溶かしてしまう。カイリの肉体のほとんどはこの侵略者に喰われている。
「ジャイブで行くぞ」
ええ、とナターシャが頷く。ナターシャの感覚がアリカに流れ込む。先日よりもシンクロしている。兎のように軽快な足さばきで侵略者を翻弄する。跳ねて噛みつきを避けながら弾をぶち込む。ジャイブのテンポは速く、古来はジャズに乗って踊るものだった。
『だれか、たすけて……』
突然アリカの耳に小さく助けを求める声が届いた。後ろを振り返る。
「今の……ナターシャも聞こえたか」
「どの通信でもないわ。幽かだけど、確かに聞こえた」
アリカは辺りを見回す。
「あそこだ!九字の方向!」
建物の残骸から小さな腕が伸びている。下敷きになっているようだった。アリカは息を呑む。
「ナターシャ、あの子を傷つけないように瓦礫をどかせるか」
「そんな繊細な動きは無理よ。私以外ならね!」
アリカはニヤッとして操縦桿を握り直す。救助に入る彼女らにエチルが口を挟んだ。
「助かりっこありませんよ!もう死んでる」
「生きてる可能性が少しでもあるなら、アタシはそれに懸ける。背中は任せた」
四號機はしゃがみこみ、エチルは荒れた二の腕を握った。
「こっちに集中しましょう」
カイリが刀の柄で侵略者を弾いた。エチルは言葉を呑みこむ。
「……私にできるのはこれまでね」
二人は大方の木材をどかすことができた。うずたかい瓦礫からかなり地面に近づいた。残りは触れると壊れそうな細かい壁など。
「装甲車はまだ来ないの?」
「道路が倒壊した建物で埋まってるんだ」
三號機の胸部からアリカが飛び出す。小さな隙間に上半身を入れ、するすると入っていった。時々中から小さな瓦礫が投げ出される。見守るナターシャには無い心臓が苦しく感じる。何時間にも感じた。やがて、荒々しい叫びと共に、瓦礫の割れ目が大きく広がる。土煙が上がると、そこには幼い子供を抱き抱えるアリカがいた。
「生きてる!」
ナターシャは飛び跳ねるような心地で笑顔をほころばせる。待機していた三台の装甲車の乗員が子供を預かった。救助が終わる頃には侵略者も片付いていた。
エチルたち―――二號機が近寄る。アリカは腰に手を当てて鈍色の巨体を見上げた。
「アリカさん。僕は、民間人を守るために軍人になったんです」
雪はいつの間にか止んでいる。
「忘れていました。初心に帰る思いなんです」
噛みしめるように話す。
「エチルたちのおかげで救助に専念できたんだ」
「……アリカさんは本物の戦士ですよ」
エチルははにかむ。カイリは久しぶりにその表情を見た。アリカは口元に手を当てて腹から声を出す。二號機の後ろからクウロたち―――三號機も近寄る。
「みんなで帰ろう、エチル」
「はい」
その時、三號機がぬらりと二號機の腰の山人刀を抜き取った。そのまま二號機のコクピットにそれを刺す。刀は丁度エチルの胴を貫いた。流れるように、手慣れたように。
「は……?」
それはあまりに自然に、当たり前のように行われた。誰もが化石する。アリカの脳は状況の理解を拒む。
エチルの薄い下唇から赤いカーテンが垂れる。コックピットの内部には火花が散っている。液晶はエラーメッセージで埋め尽くされ、一部には砂嵐が走る。
「エチル……?返事をしてよ、ねえ」
カイリが声を震わせる。これほど自分の身体が無いことを苦に思ったことはなかった。眼の光が失われようとするエチルにそっと触れたかった。
エチルの口から少しの息と血液が漏れる。何か言おうとしたようだった。痛みも感じなくなってきて、ぎこちなくカイリを撫ぜた。
不思議と……恐ろしさは感じない。姉ちゃんが一緒だから?……クウロに殺されるなら、いいか。ごめん、姉ちゃん、泣いてるんだろ。もう置いて行かないから
「……れて!離れるのよ、アリカ!」
ナターシャの声に我に返る。直後、二號機が爆発した。黒煙の中に立つ者がある。クウロ。もといウルメ。残虐たる裏切り者。
「あは」
クウロが心底楽しそうに笑う。
「貴ッ様ああああ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます