第17話 名前のない愛、春に還る
春の陽射しが柔らかく降り注ぎ、大学のキャンパスは桜色に染まっていた。
校舎の裏手を歩く蓮の足元には、淡いピンクの花びらが舞い落ち、風にそっと流される。
雪の白さとは違う、春独特の優しい光。
その光に照らされて、心の奥に長く封じていた感情が、少しずつ目を覚ますようだった。
講義を終え、資料を抱えながら歩く蓮は、ふと視界の片隅に見覚えのある姿を見つけた。
手をつなぎ、肩を寄せ合って歩く二人。
桜のトンネルの下、淡い花びらに囲まれながら笑い合う二人の影。
──あの二人……
胸の奥がぎゅっと締め付けられ、懐かしい痛みが走る。
目の前にいるのは、梨乃と真冬だった。
手をつなぎ、肩を寄せ合う二人の自然な仕草は、過去の記憶と今の幸福を同時に映し出す。
蓮の心に、甘く切ない感情が一気に押し寄せる。
彼らは蓮に気づかず、楽しそうに話しながら歩いている。
真冬が梨乃の髪をそっと撫で、微笑みを返す梨乃。
その笑顔は、雪の夜に初めてキスを交わしたあの日と同じくらい、温かく、確かな幸福を感じさせた。
──幸せそうだ。
胸の奥がじんわりと痛む一方で、心の中には静かな安堵もあった。
届かなくなった愛でも、確かに存在した証を目の前で見せられたからだ。
蓮は少し離れた位置から二人を見つめ、微かに笑む。
「……おめでとう」
声は小さく、ほとんど独り言のようだったが、心からの祝福が込められていた。
桜の花びらが風に舞い、蓮の肩にひらりと落ちる。
軽やかで儚いその感触に、過去の恋の温もりが静かに蘇る。
キャンパスの歩道を歩く蓮の足元にも、桜の花びらが積もる。
その中で、二人の笑い声が遠くに響くたび、胸の奥の痛みと甘さが交錯する。
振り返れば、数年前の冬の海辺、雪の中で手を握り合った記憶が蘇る。
今はもう届かないけれど、確かにそこにあった愛——
名前のない愛——の形を思い出させる。
蓮は視線をそっと前に戻す。
二人の背中は揃っており、互いに寄り添うその姿は、どこか静かで、穏やかで、温かい。
「──これで、よかったのかもしれない」
心の中でつぶやきながら、蓮は歩幅を少し緩め、二人を見守ることにした。
桜の花びらが舞い散る中、風に乗って淡い香りが漂う。
真冬が梨乃の肩にそっと手を添え、梨乃も自然に頭を寄せる。
その柔らかい触れ合いに、蓮は胸が痛むのを感じるが、同時に心がじんわりと温かくなる。
──届かないけど、確かに存在した愛。
──そして今は、二人の幸せを願うだけ。
花びらの舞う小径を歩きながら、蓮の目に映るのは、春の光に照らされた二人の微笑みと、揺れる影。
過去の想いも、名前のない愛も、この春の景色に静かに溶け込んでいる。
遠くで小さな子供たちの声が響き、桜の花びらが舞い上がる。
その中で、蓮は静かに胸の奥に手を当て、過去と今を心で抱きしめた。
──もう、二人は幸せだ。
──届かなくても、確かに存在していた愛が、ここにある。
静かな春の午後、桜の香りが満ちるキャンパスで、蓮はそっと目を細める。
目の前の二人は笑い合い、肩を寄せ、手をつなぎ、まるで幸せそのものを歩いているかのようだった。
そして、蓮は微かに笑みを浮かべる。
──おめでとう。
──そして、ありがとう。
過去の愛が心に残ることも、届かない想いも、すべてがこの春の光の中で静かに輝いている。
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