第16話 雪の町で、君を赦す
蓮は宿の窓際に座り、日記帳を前にペンを握っていた。
雪景色の海辺の町は、静かに冷たい光を反射している。
波の音が遠くで穏やかに響き、冬の空気は心を落ち着かせた。
「……名前のない愛」
蓮はそう書きながら、胸の奥に積もった感情をそっと整理していく。
過去に愛した人は、今は別の人と幸せになっている。
その現実を受け入れる痛みも、静かに心の中で溶かしていく。
日記には、思い出の風景、笑顔、触れ合った手の感触、初めてのキスのことが綴られていた。
──すべては確かにあった。
でも、今はもう、彼女の幸せを願うしかない。
その時、宿の扉が静かに開いた。
結香が微笑みながら現れる。
「蓮……元気にしてた?」
「ええ。あなたも?」
「はい。梨乃と真冬は、とても幸せそうよ」
結香は蓮の肩にそっと手を置き、温もりを伝える。
「あなたも……もう、胸の痛みを抱えなくていい。二人はきっと大丈夫」
蓮は微笑み、日記帳に視線を戻す。
窓の外には雪に覆われた海辺が広がり、月明かりが水面を銀色に照らしている。
冷たいはずの景色が、心に静かな温もりを運ぶ。
「……そうですね。もう、二人の幸せを祈るだけです」
蓮の声は穏やかで、どこか達観した響きを持っていた。
日記に書かれた文字は、過去の愛の証であり、未来への静かな祈りでもある。
結香は優しく微笑み、蓮の手を軽く握る。
「あなたがそう思えるなら、私も安心するわ」
雪の降る静かな夜、二人の心は互いに理解し合い、言葉を超えた温もりでつながっていた。
蓮は日記を閉じ、窓の外の海を見つめる。
雪に覆われた浜辺には、二人の足跡が残ることはない。
だが、心の中には確かに、過去の愛と今の祈りが積もっていた。
夜が更け、町は静まり返る。
波の音、雪の沈黙、そして遠くで光る灯り。
蓮は微かに笑みを浮かべる。
──これで、よかった。
──名前のない愛も、これで終わり。
雪はまだ舞い、町を白く包む。
過去も、今も、すべてを抱えた愛の形が、静かに心に刻まれる。
甘く、切なく、そして温かい祈り——
それが、蓮の愛の終わりの形だった。
窓の外、雪に覆われた海辺を見つめながら、蓮はそっと目を閉じる。
心の中でつぶやく。
──どうか、二人を幸せに。
静かな雪の夜。
名前のない愛は、静かに融けて、次の季節へと流れていく。
そして、心に残ったのは、確かな温もりだけだった
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