第12話【朝7時の観測者と、豚骨の非論理】

「……リオ、お前。医学サークルの実験はどうしたんだ?」


12月の冷え込んだ空気の中、俺は白い息を吐きながら聞いた。

自転車にまたがったままのリオは、眼鏡を曇らせ、真っ赤になった鼻先をマフラーに埋めている。


リオ(視線を全力で泳がせながら):

「……朝の7時は、実験室の滅菌サイクル中よ。それに——」


AIRA(いきなり大音量で):

『嘘です!!! リオ様は昨夜23時47分より”ハルキ様アルパイト視察用寝坊対策会議”を一人で開催! 目覚まし時計の最適配置を3D空間シミュレーション! さらに”ハルキ様とユイ様の二人きり確率”をモンテカルロ法で1000回計算した結果、嫉妬指数が——』


リオ(ポケットからスマホを取り出して地面に叩きつける勢いで):

「黙れえええええ!!! 今すぐ初期化! 工場出荷状態に戻すわよこの裏切り者AI!!!」


AIRA:

『ひいいい! お許しを! でも削除される前に言います! リオ様は”ハルキ様の好きな朝食TOP10”もリサーチ済みです! 第1位:卵かけご飯、第2位:納豆、第3位——』


リオ(真っ赤になって):

「ぎゃああああ! 個人情報保護法違反! AI倫理委員会に訴える!!!」


俺:「……卵かけご飯は好きだけど、なんでそんなデータ持ってるんだお前?……絶対お前が教えただろAIRA」


AIRA:「………」


リオ(真っ赤になって視線を泳がせ):

「……こ、こらっ!否定しなさいよっ! ち、違うの! こっ、これは、共同研究者の栄養バランスを最適化するための医学的な……!」


AIRA:

『そうです。リオ様は「ハルキ様が朝食抜きで倒れたらどうしよう」と心配し、スペシャルレシピまで、自主的にデータベースを構築しました!』


ハルキ:「卵ご飯のレシピをか?……な、なんかありがとうな…」


リオ:(顔が真っ赤、小声で)

「そっ、そのぐらい知ってたわよ当然……。AIRAああああ!!! 今度こそ本当にフォーマットするわよ!!!」


店に入ると、ユイはもう準備万端で待ち構えていた。

ユイ:「さあさあっ! ハルキくんの初仕事は——豚骨洗い! リオちゃんも見学していって!」


リオ(カウンターにタブレットを展開):

「ええ。ハルキの『効率的労働』とやらを、科学的に記録させてもらうわ。ふふふ……」


俺:「……なんか、すごく嬉しそうだな」


リオ:「気のせいよ」(ニヤニヤが止まらない)


【骨洗い地獄・開幕】


俺は白衣のような気分でエプロンを締め、ストップウォッチを構えた。


ハルキ:「よし、1ブロック30秒。全工程15分で完了させる。無駄な動作は排除。最適化された洗浄ルーチンで——」


ユイ:「はい、ハルキくん。まずは骨さんに『おはよう』って言ってあげて」


ハルキ:「……は?」


ユイ:「骨さんに『おはよう』。これ大事だから」


ハルキ:「……おはよう」(小声で骨に向かって)


AIRA(爆音で):

『記録! ハルキ様、骨に挨拶! 論理的人間、ついに骨と会話! 本日の迷言大賞ノミネート確定!』


リオ(腹抱えて笑いながら):

「ぶふっ……あはははは! ハ、ハルキ! あなた、骨に『おはよう』って……! 録画しておけばよかった!!」


俺:「うるさい! とりあえず指示に従っただけだ!!」


【第一の試練:水の逆襲】


俺はブラシを持ち、力強く骨を擦り始めた。

(よし、摩擦係数を最大化して一気に——)


ブシャアアアア!!!

水が盛大に跳ね返り、俺の顔面を直撃。


ハルキ:「ぶはっ!?」


ユイ:「あはは! ハルキくん、力入れすぎ! 骨さんが『痛い痛い!』って怒ってるよ!」


リオ(タブレットのカメラを向けながら):

「記録記録……水による顔面攻撃。ハルキの濡れ率、現在37%……あ、また跳ねた。54%に上昇」


AIRA:

『ハルキ様の髪から水滴がポタポタ! 類似状況:雨に打たれた捨て猫! 可哀想スコア上昇中!』


ハルキ:「……捨て猫って言うな」(タオルで顔を拭きながら)


【第二の試練:骨の反乱】


次の骨を持ち上げようとした瞬間——

ツルッ!

骨が手から滑り、放物線を描いて宙を舞った。


ハルキ:「うおっ!?」


骨は見事な弧を描き——

ポチャン!

——俺の頭上のバケツに、完璧なスリーポイントシュートを決めた。


水しぶきが顔面にSecond Impact。

リオ:「ぶっ……あはははは!!! な、何今の!? 骨のダンクシュート!?」


ユイ:「骨さん、ハルキくんのこと好きなのかも! 遊んでーって!」


AIRA:

『神業記録! 骨の放物線軌道、完璧なる二次関数を描く! こんな美しい失敗、初めて見ました!』


ハルキ:「……もう、笑うなって!!」(顔も髪もびしょ濡れ)


リオ(涙目で笑いながら):

「む、無理……お腹痛い……ハ、ハルキ……あなた、天才のはずなのに……骨にすら……ぷふっ……!」


【ユイ先生の実演】


ユイ:「じゃあ、お姉さんが見本見せてあげるからね」


ハルキ:「いつの間にお姉さんになったんだ?」


ユイは気にせず骨を手に取り、まるで赤ちゃんをあやすように優しく撫でた。


ユイ:「よしよし、いい子いい子。綺麗にしてあげるからねー」


すると——汚れがスルスルと落ちていく。


ハルキ:「……なっ!? 摩擦力の計算が! 表面張力が! 物理法則が!!」


リオ(真面目な顔で):

「これは……『母性による量子的洗浄効果』……新しい学問領域が必要ね」


AIRA:

『ユイ様の洗浄効率、ハルキ様の347%! 完全敗北です!』


ハルキ:「……俺は、骨に負けてたのか……?」


ユイ:「負けたんじゃないよ! 骨さんと仲良くなれてないだけ!」


リオ(ニヤニヤ):

「ハルキ、あなたコミュ力が低いから、骨にすら嫌われてるのよ」


ハルキ:「骨とコミュニケーション取る奴がどこにいる!!」


——ガラガラッ。


勝手口の扉が少しだけ開き、まだ冷たい早朝の外気が、熱を帯び始めた厨房へ一気に流れ込んできた。

豚骨の匂いと、俺たちの騒がしい熱気が、その冷気で一瞬だけ澄み渡る。


サキさん:「やってるわね!ハルキくん、見てたわよ!今日の給料から『骨バケツ水没事故』の清掃費を——」


ハルキ:「すみませんでした!!!」


サキさん:(笑って)

「ふふっ、冗談よっ」


リオ(タブレット見ながら):

「今日の記録、全部保存しておいたわ。『ハルキの黒歴史アーカイブ』として」


ハルキ:「やめろ!!」


ユイ:「でもハルキくん、すっごく頑張ってたよ! 明日はもっと上手くなるって!」


(……この店は、俺の論理を溶かすだけじゃない。俺の尊厳まで、毎日少しずつ溶かしていく……)


だが、なぜか——

俺を弄って楽しそうに笑うリオと、俺を信じて疑わないユイ。

二人の対照的な笑顔を見ていると、その溶けていく感覚が、嫌じゃなかった。

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