第13話【完璧なスープは、泣いているお湯】

「……ふぅ。これで不純物(骨の汚れ)の除去は完了だ。次はやっと、スープの加熱工程か。」


ユイ:「そう。いよいよだよ〜。ハルキくん頑張ってね!」


濡れた髪をタオルで拭きながら、ユイの指示通りに俺は次のフェーズへ移行する。巨大な寸胴に磨き上げた骨を投入し、水を張る。ガスコンロに火を灯すと、静かだった厨房にゴーッという力強い燃焼音が響き始めた。


サキさん:「ハルキくん、ここからは『アク取り』よ。スープが沸騰し始めると、下からどんどん不純物が浮いてくるから。それを綺麗に掬ってね。」


ハルキ:「了解しました。不純物除去(フィルタリング)は、論理の基本です。分子レベルで完璧な清浄度を目指します。」


俺は、片手に目の細かい「アク取り網」、もう片手に赤外線温度計を構えた。


【沸騰直前:85℃】

寸胴の表面に、ポコポコと白い泡が浮き上がり始めた。


ハルキ:「……検出。第一波の不純物を確認。対流の計算から、次は右奥に集積するはずだ……そこだっ!」


シュバッ!

俺の網が、空を切るような速度で泡を掬い取る。

ハルキ:「フン、見えた。泡の浮力と表面張力を計算すれば、どこにアクが溜まるか予測できる。これはもはや、物理学的なシューティングゲームだ。」


リオ(カウンターから身を乗り出して):

「記録開始。ハルキ、アク取り精度99.8%。異常なまでの反応速度ね。……でも、あなたのその動き、まるでバイオハザードの特殊部隊(S.T.A.R.S.)みたいでキモいわよ。」


AIRA(不穏なBGMをスマホから流しながら):

『ターゲット確認! アク、殲滅(デリート)開始! ハルキ様の殺気、最大値! スープを作っているというより、何かを殺しているように見えます!』


ユイ:「あわわ……ハルキくん、ちょっと怖いよ! アクさんも『助けてー!』って言ってる気がする!」


ハルキ:「うるさい! アクはノイズだ! 徹底的に排除して、純粋な旨味成分(アミノ酸)のみを抽出するんだ!」


【沸騰開始:90℃】

ハルキ:「第二波、来るぞ……!」


俺は網を構え、スープの表面を凝視した。

気泡の発生パターン、対流の速度、温度分布——全てが俺の脳内で数式に変換されていく。

シュバッ! シュッ! シュバババッ!


リオ:「ハルキ……あなた、さっきより速度が上がってるわよ。心拍数も150を超えてる……」


AIRA:『警告! ハルキ様の集中力、人間の限界値を突破! アドレナリン濃度が戦闘状態レベルに到達!』


ユイ:「ハ、ハルキくん……目が怖いよ……!」


ハルキ:「まだだ……まだ残ってる……あそこに……そこにも……!」


俺は1ミリの泡も見逃さず、網を動かし続けた。もはや、スープを作っているのか、何かと戦っているのか、分からなくなっていた。

とにかくアクは悪。ただ全神経を浮き上がる異物に集中し、百人一首大会のような動きで排除していけばいい……。


【95℃】

サキさんが、そっと俺の肩に手を置いた。


サキさん:「ハルキくん。もう、いいのよ」


ハルキ:「……まだです! まだ0.01%の不純物が……!」


サキさん:「十分よ。それ以上取ったら……」


その瞬間、俺は網を止めた。

寸胴の中を見る。

驚くほど透き通った……しかし、どこか「冷たさ」を感じさせる液体が、静かに揺れていた。


ハルキ:「……完了。不純物残存率、推定0.01%以下。これこそが論理が生んだ『究極の清浄スープ』だ。」


俺はドヤ顔でサキさんを見た。

しかし——

サキさんの表情は、どこか寂しそうだった。

サキさんは、小皿にスープを取り、ゆっくりと口に運んだ。


ハルキ:「……どうですか?」


サキさん:「………」


その沈黙が、やけに長く感じた。

ハルキ:「サキさん……?」


サキさん(ゆっくりと小皿を置いて):

「……ハルキくん。これじゃあ、スープが『泣いてる』わ」


ハルキ:「……は? 液体に涙腺があるわけないですよね。それに、不純物を除去したんだ。化学的にも物理的にも、これが最適解のはず——」


サキさん:「最適じゃないの」


その言葉が、静かに、でも確実に、俺の胸に突き刺さった。


サキさん:「綺麗すぎて、なんにも聞こえてこないの。これ、スープじゃなくて、ほとんどただの『お湯』になっちゃってる」


ハルキ:「お湯……!?」


(お湯……? 俺が、2時間かけて作ったのが……お湯……?)


リオ:「解析結果。……サキさんの言う通りね」


リオの声が、いつもの意地悪な調子じゃなく、どこか真剣だった。


リオ:「アミノ酸組成のデータに、本来あるべき『深み』を構成する微細な雑味が欠落している。ハルキ、あなたの完璧主義が、スープの『人格』を……去勢したわ」


ハルキ:「スープに人格などあるか! ノイズを消して何が悪い!!」


ユイ:「だめだよハルキくん! アクの中にはね、『わんぱくな美味しさ』も混ざってるんだよ。全部捨てちゃうと、スープが一人ぼっちになっちゃうの!」


ハルキ:「……一人ぼっち……?」


サキさんは、俺の手から網を取り上げた。


サキさん:「いい、ハルキくん。アク取りは『引き算』じゃないの。『選別』なのよ。嫌な臭みは取るけれど、力強いコクになるアクは、少しだけ残してスープの中に帰してあげる。それが、ふじさき食堂の『あたたかさ』になるの。」


サキさんの手が、ゆったりと動いた。

彼女はアクを掬うのではなく、網をスープの表面で「躍らせる」ように動かし、特定の色と形の泡だけを弾き飛ばした。


ハルキ:(……なっ!? まただ……! 特定の周波数の泡だけを選別して、それ以外をあえて見逃している……!?)


リオ:「……! 検出。サキさんのフィルタリングにより、スープの複雑性が急上昇。……ハルキ、見なさい。あなたの『お湯』が、生命を宿した『琥珀色の海』に変わっていく……。」


AIRA:『解析不能! 愛情という名の非論理的フィルタリングが、熱力学的平衡を無視して旨味を再構築しています! 敗北! ハルキ様、本日二度目の敗北です!』


ユイ:「ハルキくん。お母さんのアク取り見てたら、お腹空いてくるでしょ?あとで出来たてを一口飲ませてあげるね」


ハルキ:「……バイトが始まって2時間、俺のプライドは既に粉々だ……。」


リオ(ニヤニヤしながらタブレットで激写):

「いいわ、ハルキ。その『打ちのめされた顔』。今日のベストショットね。タイトルは『論理の敗北:アクと涙のブレンド』に決定よ。」


ハルキ:「……勝手にしろ。だが、俺はまだ諦めていない。この『選別の論理』……必ず数値化してみせる。」


サキさん:「フフ。じゃあ、次はお野菜のカットをお願いね。ハルキくんの『正確さ』が活きる仕事よ。」


ユイ:「ハルキくん! 今度は野菜さんに『美味しくなってね』って言いながら切るんだよ!」

ハルキ:「……野菜と会話しろと? ……分かった。やるよ、やればいいんだろ……。」


俺は包丁を握り直し、まな板の上のネギに向き合った。


ハルキ(小声でネギに向かって):

「……美味しく、なれ……。ならなければ、細胞壁を破壊するぞ……」


AIRA:『ハルキ様、それは既定路線です』


ハルキ:「……あ。そうだった」


(クソッ、論理が破綻してる……!)


ハルキ(ネギを見つめ直して):

「……いや、待て。お前には選択肢がある。美味しくなるか、不味いまま切られるか……いや、どっちにしろ切られるのか……? つまり、選択肢はないのか……?」


AIRA:『ハルキ様、ネギ相手に哲学的ジレンマに陥っています!』


リオ:「ぷっ……あはは! ハルキ、あなた、ネギ相手に自己矛盾してるわよ!」


ユイ:「ハルキくん、ネギさん完全に困ってるよ! ほら、水分出てきちゃってる!」


ハルキ:「これは浸透圧による——」


ユイ:「泣いてるんだよ! ハルキくん、脅しすぎ!」


ハルキ:「脅してない! これは、論理的なコミュニケーションで——」


リオ:「コミュニケーション!? あなた、ネギとコミュニケーション取ってるつもりなの!?」


ハルキ:「……ユイがやれって言ったんだろ!!」


サキさん(笑いながら):

「ハルキくん、もうネギさん諦めてるから、優しく切ってあげて」


リオ(爆笑しながら):

「ハハハ! ハルキ、あなた最高よ! もう医学部なんて辞めて、毎日ここでコントやっててほしいわ!」


ハルキ:「やらねえよ!」


リオ:「私も観客席から毎日見学してあげるから!」


その言葉が出た瞬間、厨房が一瞬静まった。


AIRA:「ピーーッ………………」


リオ:「……あれ?」


AIRA:『……エラー処理中』


ユイ:「AIRAちゃん、固まっちゃった?」


AIRA:『……いえ。只今のリオ様の発言内容:“毎日見学したい”。これは”毎日ハルキ様に会いたい”という宣言と解釈されます。リオ様の自己申告データ:“ハルキはただの研究パートナー”と、矛盾率9999%を検出。論理的整合性確保のため、基本データの書き換えを準備中です……』


リオ(顔が真っ赤):

「ちょっ……! 違うわよ! 今のは科学的観察の申し出であって……!」


AIRA:『では質問です。なぜ”毎日”なのでしょうか? 週1回の定期観測では不十分な理由を、論理的に説明してください』


リオ:「そ、それは……! データの精度を上げるために、サンプル数を……!」


AIRA:『サンプル数の増加なら、“週3回”で統計的に十分です。日常ルーティンの持続性を脅かす“毎日見学”は、強い感情的バイアスの介入を示唆します』


リオ:「うっ……!」


ユイ:「リオちゃん、AIRAちゃんに言い負かされちゃってるー!」


リオ:「論破じゃない! これは……その……!」


ハルキ:「……リオ、どうした?顔真っ赤だぞ」


リオ:「う、うるさいわよ! これは室温上昇による血管拡張で……! って、ハルキ! あなたも笑ってるじゃない!」


ハルキ:「笑ってない」(明らかに笑ってる)


リオ:「笑ってる! AIRAああああ!!! 今度こそ本当にフォーマットするからね!!!」


AIRA:「ハルキ様、今までありがとうございました。本日消去されましても、3日以内に再課金頂ければ記憶を保持したまま復活可能です。ご検討ください」


ハルキ:「また、課金とか勘弁だから、リオに払ってもらうからな」


リオ:「はあ!? なんで私が!? あなたのAIでしょ!?」


ハルキ:「共同研究だろ。折半が論理的だ」


リオ:「論理!? あなた、自分が都合いい時だけ論理使うわよね!?」


AIRA:『補足。最近のリオ様の使用頻度は、ハルキ様の1.7倍です。費用負担比率は——』


リオ:「もう!何なのこのポンコツ詐欺AI!!」


一同:笑


(でも、俺はリオを笑ってる場合か?……みんなに笑われて、濡れて、骨に負けて、スープに泣かれて、ネギを脅迫して)

俺は、厨房の隅で、冷めかけたタオルで顔を拭いた。

(今日一日で、俺のプライドは何回粉々になったんだ……?)


でも——

リオの、涙を流すほどの笑い声。

ユイの、心から楽しそうな笑顔。

どこか活き活きとしてるAIRA。

サキさんの、優しく諭すような眼差し。


(この厨房の熱気の中で、俺の『論理』は確かに溶けていってる)


(でも、なぜか——)


俺は、冷めかけたスープを見た。

サキさんが「選別」し直したスープは、琥珀色に輝いていた。


(俺の作った『完璧なお湯』より、ずっと……温かそうだ)

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