最愛の彼とともに、私は壁を吹き飛ばす ~全てがレースの勝者に委ねられる王国で~

蛇頭蛇尾

最愛の彼とともに、私は壁を吹き飛ばす ~全てがレースの勝者に委ねられる王国で~

 




 ランニ王国の中心街から外れにある、荘厳な石造りの競技場が、まばゆいばかりの貴族たちで埋め尽くされていた。国王陛下の立ち合いのもと行われるこの【レース】は、私の家門の未来、愛する人の未来、その全てを決めるものだ。


 この国では、全てがレースの勝者に委ねられる。

 金品から権力まで、おおよそ人の手を介して譲渡が可能なものは全てだ。


 市民が爵位を求め、赤子が高級菓子を欲しようと、勝利はその望みを余すことなくもたらす。

 魔法と呼ばれる超常的力を、個人が有する世界であろうと。

 いや、それだからこそ。五百年の歴史を、この国は今日まで紡げているのかもしれない。


 今回の報酬は、王室の特別会計の監査役という権力と、莫大な富を生む王都商業区画の独占賃借権。この利権があれば、傾きかけたバルディ家の再興は叶い、私は心置きなく彼と結ばれることができる。


 レース用の簡素な服に身を包む私は、身体を軽くほぐすようにした。動きやすさと耐久性を重視した黒一色のタイトな生地は、訓練で磨き上げた筋肉の隆起を隠しきれない。


 そして、隣に立つ彼、シプリアン・メルシオールへ視線を向けた。


「シプリー。準備はいい?」

「はい。アマルさんも、脚の調子はどうですか」

「万全。馬にだって負けないよ」

「頼もしいです」


 六歳年下の貴族少年であるシプリーは、長い睫毛に隠れそうな瞳で、見上げてきた。星屑の瞬きを宿したような両眼は、確固たる信念を湛えていた。


 栄えある王国魔導兵団のローブは彼にはまだ少し大きく、袖から伸びた華奢な掌が覆われるほどだった。紫紺を基調とし銀の刺繍で格式と伝統を讃えた身なりは、この試合に賭ける想いが伝わってくる。


 歴代最年少の入団と、類まれなる魔法の才はメルシオール家の特異点と称され、十二歳にして既に数十もの功績を積み上げている。

 私の胸元ほどの背丈にしかない彼は、ゆくゆくは国髄一の魔導士となる。身内贔屓などではなく、誰の目にも明らかだ。


 大勢の期待を一身に背負う少年は、鍛えられた私の腕に、そのしなやかな手を伸ばした。


「僕は、貴女の隣を歩きます。貴女を、支えてみせます」


 静かに、そして確かな覇気を宿した言葉だった。


 人並みより図体が大きく丈夫なだけの私を、彼はいつも『綺麗だ』『素晴らしい』と言ってくれる。訓練された成人男性に囲まれようと蹂躙してみせた私を、恐れることもなく褒めたたえてくれる。貴族社会が忌避する『丈夫な女』ではなく、『守り手』として見てくれる。


 彼の想いは、いつだって私の心を突き動かしてくれた。今回だって例外ではない。

 様々な理由、要因が介在しようとも、彼の一途な愛情こそがアマル・バルディをこの場に駆り立てた。


「私も、君と走りたい。これからも、この先も」


 真っすぐ見つめる私に、白銀の両眼を湛えるシプリーは一度視線を落とした。その挙動に、私も空を仰ぎ見るようにして両の瞼を閉じて、悔やむ。

 まただ。また言ってしまった。



 子ども扱いするつもりはない、と入団直後の彼には告げており、そして事あるごとに伝えている。自戒も含めて私自身心掛けているはずだが、ふとしたときに【君】という呼び方をしてしまう。零れてしまう。深層部分では、未だに彼を保護すべき存在だと捉えている。


 単なる呼び方の違いだと、軽視してはならない。自らの内心に根差した彼への認識は、言葉遣いに表れている。シプリーは一人の男性として私の隣を歩き、ともに走りたいと思っているのだ。六つの歳の差は、私たちにはまだ小さな壁として立ちはだかっていた。


 無意識に少年へ手を伸ばそうとして、逡巡の末に下ろした。今の私が何を口にしようと、言い訳にしかならない。

 若干の気まずさから逸らすように、切れ長の目を周囲へ走らせる。




 【貴族の試練路】と呼ばれる会場の緊張感は、尋常ではない。観客席の喧騒とは裏腹に、ここはすでに戦場の空気を帯び始めている。


 このレースは五キロの直線路を駆け抜ける形式となっている。軍事パレードや輸送に使われる幅三十メートルの路面は、硬く締められた土壌と粗い石畳の混合舗装で構築されていた。周囲は高い木立が続き、一部に古い貴族の邸宅が垣間見える。試合用の特殊な魔法結界にコース全体が覆われており、正規のルート以外を進もうとすれば、数分間の強制停止を課せられるように定められている。


 五キロ先には都市の古びた城門がゴールとして待ち構えており、言うなれば、私達はここから街へ戻っていくのだ。


 ゴール地点では、国王臨席の威厳ある御前席が設けられ、勝者への宣言を陛下が携えているだろう。スタート地点のここにも仮設の観覧席があり、観客たちが今か今かと待ちわびている。


 私達の戦いは、コースの要所に設置された魔力鏡を通して観戦される。仮設観覧席には、呪文を込められた鏡の映像を映し出すための巨大な投影装置があり、観客はまるで眼前にいるかのようにレース状況を把握できる仕組みだ。


「……来たね」

「ええ。あんなにぞろぞろと」


 試合開始の五分前になって、対戦相手は現われた。


「あ~、もう来てたんだ! シプリーくん、待たせてごめんねー。今日は楽しもうねー!」


 ひらひらと手を振るロザム・ハーヴェイは、薄紅の混ざるウェーブのかかった茶髪を揺らして、歩み寄ってきた。猫撫で声の彼女は、私と同じく軽装を纏っていた。だが、肌の露出を抑えた上質な服は、戦いというよりは優雅な挑戦者としての余裕を感じさせた。


「お互いに、健闘を尽くしましょう」

「そんなに怖い顔しないでよー、可愛いけど。あまり頑張りすぎて倒れたら駄目だよ? 綺麗な顔に傷でもついたら大変だもの」


 睨むようにしたシプリーを軽くいなし、私には何も言わず鼻で笑うようにした。いつものことなので、私も無視をした。


 彼女の目的は、監査役の座と利権の独占。そして、より強大となった権力を振るって、シプリーを『優秀な飾り』として手に入れるつもりだ。以前の勝負で土をつけた私を、絶望の淵に突き落とすために。


「本当に二人でいいの? もっと人を集めてもよかったんだよ?」


 嘲るように告げる令嬢に、私はわずかに歯噛みした。


 ロザムの背後には、異様な数の人影が控えていた。使用人、私兵に加え、他国から招き入れたと噂の用心棒たち。総勢二十五名にも及ぶ大集団は、私たちのペアに対して、数の暴力をもって押し潰そうとする気概を感じられた。


 参加人数の上限はレースごとに異なる。今回は二十五名。

 多ければいいというわけでもない。公平を期すためのルールとして、人数によって勝利条件に差異がある。


 ペアの私達は私かシプリーのどちらか一名、彼女のチームは五名がゴールに辿り着く必要がある。先に条件を満たした方の勝利であり、戦い方によっては私達にも十分に勝機がある。


 そのはずだったが、ロザムは今日まで優勢を構築するよう立ち回った。


 バルディ家が抱える借財の債権者が一斉に返済の要求を始めた。彼女の家が促した。

 シプリーの家には、過去に隠蔽したと噂されたスキャンダルや、血筋に関する不名誉な秘密をでっち上げ、タブロイド紙やゴシップ誌にて広めた。どれも根も葉もない、事実無根の事柄ばかりだ。


 そのような嫌がらせがレース以前から続いていた。さしたる証拠もなく、問い詰めようと当人が認めるはずもない。私達の両家は、ハーヴェイ家の横槍に、今も対応に追われている。


「私のチームから、何名か貸してあげましょうか?」


 口元に指を当て冷笑を向けてくる女は、王室役人の一部にまで働きかけている。

 自チームの勝利条件を五名から二名へと引き下げただけでは飽き足らず、私達側の参加人数を制限した。


 私とシプリーの他に三人、合計五人で臨む予定だった。中小の貴族同士でつながりのある、信頼の置ける者達で組むつもりだった。だが、開催一週間前に突然参加費用が高額に引き上げられたことで、彼らは参加できなくなってしまった。財政的な窮地を抱えているバルディ家からは援助も期待できず、私財の全てを投じて私は参加資格を得た。シプリーもまたメルシオール家がギリギリ捻出できたそうで、自分達の費用しか揃えられなかった。


 法廷闘争、情報戦、買収工作に兵力差、不正。

 ロザムは、あらゆる手段を用いて試合前から私達に劣勢を強いていた。


 これを非難しようと意味はない。貴族同士の謀略は日常茶飯だ。事前工作や根回しでの対抗策を打てなかった私達が悪い。


 この屈辱と不公平を覆さなければ、私と彼の未来も、全て彼女に奪われる。

 掌に、無意識に力が入る。


「構いません。僕たちは、二人で勝ちに来ました」


 毅然とした態度で静かに言い放ったシプリーに、ハッとさせられた。遅れて、彼が私の手を握ってくれたことに遅ればせながら気づいた。

 私の拳を半分しか覆えないその手は、小さくとも体温が伝わってきていた。


 一度目を伏せた私は、令嬢を見据えて、淡々と告げる。


「いつの時代も、少数が多数を打ち破る方が盛り上がる。私達もまた、レース史の一部になるつもりだ」

「……へえ、そう」


 私とシプリーの返答が期待とは違ったらしいロザムは、無表情になって開始線に立った。シプリーとはまた異なるローブを身に着けた彼女の配下たちも並び始めた。


 空いた中央に、私達は立った。周囲の圧を意に介さないように、隣に立つ者の心強さを感じるように。






 号砲が耳朶を打ったと同時に、私達は走り出す。


 だが、一歩目すら踏み出させてもらえなかった。


 ザァッ!


 私とシプリーの足元が、銀色の光を放った。魔法陣が展開する。次いで、全身を痺れが襲った。それは、熱した千本の針で同時に刺されたかのような衝撃で、悲鳴を上げる暇もなかった。


 狭範囲に限定した麻痺魔法だ。 


「くっ!」


 シプリーが即座に防御魔法を試みるが、麻痺の侵食は早く、彼の魔法の才能も、この卑劣な先制攻撃には遅れをとった。


「ぐ、は、はあ。シ、プリー。身体は、動く?」

「はい。何とか。少しだけ、緩和しました」


 ようやく麻痺から解放され、片膝をつく。いち早く立ち直ったシプリーを見上げる。彼の額には、脂汗が浮かんでいた。


「事前に、仕込んでいたんだ」

「開始線に重なる魔法を敷いているのは、違反行為のはずでは、」

「無駄だよ。運営の一部まで手が回ってるんだ。それよりも、追わないと」


 ロザムたちが中央を空けていたのも、このためだったのだ。


 運営者の一人、号砲を鳴らした者は何食わぬ顔で無視を決め込んだ。その態度にシプリーは怒気を滲ませていたが、私の言葉で次第に落ち着きを取り戻した。


 身体の自由を奪われていた間に、ロザムのチームとは距離が離されていた。集団の隙間からロザムの傲慢な笑みが覗き見えた。先頭を走る十数名の私兵たちに指示を飛ばしている。


「ほら、シプリー。乗って」

「自分で、走りますよ」

「照れてる場合じゃない。恥ずかしくもない。私が背負った方が、魔法は撃ちやすいでしょ」

「……わかりました」


 相手の出方を窺うため数百メートルまでは隣り合わせで走る予定だったが、早々に崩れた。

 片膝をついて両手を後ろに伸ばし、前傾姿勢になった私へ、シプリーは遠慮がちに乗っかってくれた。


 気恥ずかしそうに赤面する彼を背負い、私は立ち上がった。

 去年よりも、彼の重さは増している。着実に成長していることがわかる。そのような場合ではないのに、私の頬は緩んでいた。


 魔力を脚に集中させ、地面を蹴る。一瞬で景色が後方へ流れた。背中の重みは確かにあるが、長年の訓練で慣れた感覚だ。私はシプリーを背負ったまま、馬車に負けないほどの速度で加速した。


「彼らの跡をなぞるように行きましょう。他にも、仕込まれている魔法がそこかしこにあるかもしれません」

「わかった」


 シプリーの推測は間違っていないだろう。現に、百メートル先の集団は直っすぐ走っているようで、何もないはずの石畳の上を、ところどころ飛び越えるようにして進んでいる。

 五キロの道程に、どれほどの魔法が敷き詰められているのか、想像もつかない。安易に横から抜かそうとすれば、何かしらの魔法陣を踏み抜くのだろう。


 出遅れたが、まだまだ序盤だ。多勢に無勢だろうと、俯いている暇はない。


 駆け出した私達の遥か前方では、ロザムチームが配置を整えていた。

 私兵や使用人、そして用心棒たち十数名が織りなす、分厚い人の壁が展開されていた。

 チーム人数の半数を用いて移動式障害物となった彼らは、速度を少し緩めたかと思えば、手を突き出し杖を取り出し、各々の武器で私達に照準を合わせた。


 横一線を描くように、十数の光が瞬いた。


 火が爆ぜ、水泡が弾け、岩石が飛来した。多種多様な魔法は、硬い土の表面を削り石畳を剥がす。


「アマルさん!」

「大丈夫! シプリーは!」

「大丈夫です!」


 私達に、被弾はなかった。

 自慢の脚でウサギのごとく跳ね回り、照準を定まらせない。自分だけでなく、背負う少年にも当たらないよう回避していく。一つ一つは大した威力ではないが、無駄に傷つく必要はない。


 避け切れないものはいくつかあった。それらには、半透明の障壁を展開したシプリーによって防がれている。

 まるで、少年の馬として戦場を駆けている感覚だった。


「脚には防護魔法をかけておきます!」

「ありがとう!」


 ぬるま湯に浸けられた布で包まれたように、温かく柔らかな光が両脚に張り付いてきた。

 これならば、敵の攻撃がいくらか当たろうとも痛みは軽減される。


「馬車を出しなさい!」

「はっ!」


 攻防を繰り広げる先では、令嬢の号令と共に専属の魔導士が魔法を発動した。瞬く間に、魔力で編まれた透明な光を帯びた馬車が虚空に現れ、ロザムはそれを玉座のように見下す形で乗り込んだ。


 別の魔導士が生み出した二頭の馬もまた、光の粒子が形を成した幻影の存在で、その馬車を軽やかに引いている。本物の速度は再現できないまでも、労せずして、ロザムは戦場を見下ろす特等席を確保した。


 馬車の前後、そして左右には、同様の手法で現れた頑丈な荷台が並ぶ。それらにも数名の魔導士が乗り、こちらに背を向けず、進行方向とは逆向きに立っていた。壁を形成していた者達は、続々と荷台へと飛び乗っていった。


 人の壁から荷台の壁へ。私達の眼前では、物量の障壁が展開された。


 ロザムの馬車のみを最前線へ残し、それ以外はコースの幅を埋めるように並んでいた。

 魔法で生み出された馬車は、速度を重視していない。指揮官の上方視界を確保し、その周囲に魔導士を固定した陣を敷くためだ。ロザムチームの最大の戦術は、人の壁と持続的な魔法の投射による進路の圧殺だ。


 前に出た状態で私達を遅延させることに主眼を置いており、チーム全体が最高速度でゴールを目指す必要が無い。膠着を維持してもよし、じわじわと追い詰められる私達が焦ってミスを犯すまで体力を削ってもよし。


 前方で展開されるロザムの盾は、時折、僅かに列を離れて何かを避けるような挙動をする荷台があった。仕込んだ罠に引っかからないためだろう。

 こちらの機動力ならばその隙を突けるかもしれないが、当然敵は警戒している。

 加速は可能だが、勝負所を見極めた上で突っ込んだ方がいいだろう。


 


「立ち塞がる壁は、高そうだ」

「僕らなら、乗り越えられます」


 密着した彼の言葉は吐息が聞こえるほどに近く、そして力強かった。

 口端が、にわかに上がってしまう。


「撃ちなさい!」


 二キロを通過したところで、にやついていたロザムが声を張り上げた。

 勝利を確信したかのような彼女の号令に、横殴りの雨が視界を埋め尽くすように降り注いだ。彼らが放つ魔法は、緻密さよりも量に特化していた。


 断続した投石に、足場を無くすような火炎の絨毯や濁流。突如として出現する土壁に、視界を遮る幻影の霧。シプリーが一つを砕こうと、別の方向からすぐに二つ、三つの障害が立ち上がる。

 防ぎ、回避し、攻撃に転じようと、敵もまた半透明の障壁を展開して弾く。


「シプリー! 仕掛けられそうなときは、」

「はい! 思いっきりやってください!」


 道の破砕音が轟く中、私達はその時を待った。


 膠着状態が続き、コースの半分を過ぎた。







 残り二キロに差し掛かろうとしたところで、戦況は変わっていた。


「がっ!」

「うあ!」

「ぶっ!!」

「何を……何をしているの!?」


 矢で射貫かれたように、眼前の敵が一人、また一人と倒れ、荷台から落ちていく。

 令嬢の驚愕が、風に乗って聞こえてくるようだった。


「まだ仕留められないの! もっと撃ちなさい!」


 先ほどまでの優越感が消え失せたロザムは、責めるようにして配下に指示を下した。


 再度の一斉射撃を、私達は捌いていった。

 狙いすまされた攻撃は最小限の動きで躱し、足場を焦がすような火や水流はシプリーが地面から作りだした足場をもって跳躍し、霧や壁は突風や私の足蹴りでもって攻略した。

 私達は、敵の攻撃のリズムを掴み取っていた。


 走り方に緩急をつけて進みだした私に、敵は照準すらままならなくなってきたようで、回避が容易になってきた。防御に徹する必要の無くなった少年は、高密度に圧縮した魔力弾をもって、次々と敵を撃ち抜いていった。それらは光の軌跡を引かず、敵の防御障壁の僅かな隙間を縫って急所に命中した。


「馬車の速度を上げなさい!」


 ロザムの馬車が、それまで並行していた荷台を置き去りにするように加速した。

 先んじてレースの目的に合致した判断であり、賢明とも言えた。


「シプリー! いくよ!」

「お願いします!」


 このままでは敵の防御網を削りきる前に、ロザムの馬車がゴールしてしまう。

 判断した私の掛け声に、少年は快く答えてくれた。


「おおお!」


 背負っていたシプリーを両手で大きく担ぎ上げ、そのまま全身のバネを使って私は真上へ持ち上げるように加速した。地面を踏みしめた足が、硬い土を更に深くえぐった。


 進行方向の上空に向けて、少年を投げた。


「わあ  あ  あ  たっか  ああ  い!」


 私の腕から射出された砲弾少年は、ぐんぐんと高度を上げていった。風切り音とともにローブをはためかせ、周囲の木々をあっという間に見下ろせるほどになっていた。

 ゴールまでの状況を一望できるほどの浮遊感を味わう彼は、声色の明るさからして、全く恐怖を抱いていない。それどころか、歳相応の無邪気さを見せていた。


「何だ、奴らは何を」

「上から魔法を撃つ気だ!」

「障壁を展開しろ!」


 シプリーの奮闘により十数名にまで数を減らしていた敵は、空へと投擲された少年に注意を向けていた。

 魔法の射程距離が到底及ばない頭上の天才少年には、防戦を敷く。それでいて、地上で相対する私には数名ほどが注意を向けていた。


 彼らの目的は、私たちの打倒ではない。時間を稼ぎ、主の勝利に貢献することだ。


 ロザムの集めてきた者たちとはいえ、役割に徹する姿には感心を抱かせる。

 こうしている今も、あの令嬢はゴールまでの距離を縮めているのだろう。

 悠長なことをしてはいられない。


 足を動かしながら一瞬だけ瞼を閉じた私は、体内の魔力に意識を向ける。腹の底から絶えず生成されるエネルギーを、全身、特に両脚の細胞一つ一つへ集中させた。


 私の魔法は、身体強化のみ。ただ、それだけを鍛えてきた。

 大半の人間が多様な魔法を習得する中で、私は一つだけを研磨し続けた。人生の大半を費やした研鑽の末に、拳の一発で壁を穿てるほどに成長した。


 鋼の鎧を何重にも着せたような肉体で、体当たりに出ればどうなるか。

 私は顔の前で両腕を交差させた。同時に淡い光が全身を覆う。太股、ふくらはぎ、脛、足首、足の指先の細胞に至るまで、力を込めた。




 一蹴りで、音を置き去りにした。


「消えた!? 姿が、見えなく」

「お前ら、上の奴じゃない! あの女を狙い……」


 爆砕の足跡が、轟いた。


 一歩、一歩。踏み込むごとに石畳が爆ぜ、土煙が舞う。大気を切り裂く速度は、動体視力では捉えられない。魔導士たちの反応は遅れた。


「がああ!」


 咆哮とともに、人が弾け飛んだ。衝撃波が集団を襲い、絶叫に轟音が重なった。

 人間砲弾となった私は、築き上げられた壁を穿ち、粉砕した。


 立ちはだかっていた者達はまるで時が緩慢になったように宙を舞い、荷台とともに地に落ちていった。

 そんなことには目もくれず、空を見上げた。背後とは別に、少年は落ちてきていた。落下地点を予測し、勢いを少々緩めて足に力を籠め跳躍し、横抱きにキャッチする。


「上手く、いきましたね」

「うん。結構ボロボロだけど」


 私達の作戦は想定以上に上手くいった。


 それまで魔法の才をまざまざと見せつけていた少年を投げる。奇行とも取れる行動に、敵の混乱は読めていた。

 シプリーは特に何もしない。相手の注意を引くだけでよく、その間に私が蹴散らす。


 生身で突撃した反動で手首と腕に鈍い痛みが走るが、それ以上に、全身の骨が軋むような激しい波があった。それでも、障害は無くなった。


「腕が、こんなに。すぐに治癒を掛けます」


 シプリーが触れた私の腕は、一見しただけでは分からない内出血と、無理やり強度を引き上げた反動による疲労に震えていた。

 地に降り立った彼は、差し出すようにした私の腕に両手を当て、魔法を発動する。

 パアアアッ、と眩しくもない発光が数秒ほど起こると、波が引くように痛覚が消えていった。


「ありがとう」

「足は、脚は大丈夫ですか」

「平気。攻撃も当たってないし、突進のときも腕を前にしたから」

「あと一キロもありません。急ぎましょう」

「うん」


 勇壮な眼力を向けてくる彼に頷き、もう一度背負い直す。瞼を閉じたシプリーは、僅かな時間でも休息に充てるそうだった。


 治癒魔法を掛けられた両腕で背に抱える少年は、額に脂汗を滲ませるほどに疲労が色濃く浮かぶ。防御と支援、敵の隙を突いた攻撃までこなしていた彼は、歳を言い訳にしない勇猛ぶりを発揮したのだ。


 背や腕に伝わる重さは、彼の成長が如実に感じられた。身長だけではない、肉体的も去年より増している。


 六年前、初めて出会った時は、私の膝ぐらいしかなかったのに。

 ふと、当時の事が思い出される。


 雲間から僅かな光が覗くような大空の下で開催された、屋外での社交パーティー。湿気と混ざった甘ったるい香水と、私を避ける貴族たちの視線が充満していた。

 数少ない友人さえ参加していなかった催しで、私は孤立していた。


 齢十二で既に成人女性を越えるほどの上背を備えていた私は、目尻の上がった眼光も相まって、同年代の子息や令嬢に気味悪がられ、怖がられてもいた。遠巻きに囁かれるばかりで話しかけられるはずもなく、内向的だった私が彼らに近寄ることもなかった。



『私と、お話ししてくれませんか?』



 足元から上がった声に驚くと、そこには可愛らしい顔があった。

 生を受けて六年目だった彼は、緊張に唇をキュッと閉めていた。まるで人形のように肌白い手足を正装から伸ばし、くるっとした瞳で見上げてきた。その高い声音に、始めは女の子かと思ったほどだ。


『……私でよろしいのでしたら』


 それが、彼との初めての会話だった。

 自分より何倍も大きな女へ怖がる素振りも見せず、覚えたばかりのマナーや紳士道を駆使して、拙いなりに頑張っていた。


 たどたどしく、年端もいかない舌を必死に回してくれたあのとき。そのいじらしい姿に、いつの間にか私の頬も緩んでいったことを、よく覚えている。


 それから、両家での交流が少しずつ増えていった。


 手紙には語彙と品が綴られるようになり、贈られる花には色と本数にメッセージを込めるなど、日増しに成長していく彼に私も負けていられなかった。お互いがお互いを引き上げるようにして切磋する日々。歳月に比例して、私達の仲は深まっていった。

 白い歯が覗く彼の笑顔は、どのような時でも眩しく、私を照らしてくれた。



 そして、二週間前。連れられた庭園で、片膝をついたシプリーに婚約を申し込まれた。その先をも前提にした言葉は、端正な顔立ちに緊張を纏い、揺れていた。


 その姿すら愛おしく、驚喜が胸に広がっていた私は、小さく頷いた。


 感情を爆発させた貴族少年は、悍馬を彷彿とさせる力で、抱擁してきた。細身ながらも確かな力で抱きしめられ、一瞬息が詰まる。顔を埋めた彼の身体からは、熱い歓喜と、これから私を守るのだという固い決意の念が伝わってきた。


 少年から青年へ、青年から大人へと向かう過程にあることを、私に改めて抱かせた。


 メルシオール家の邸宅にて両家が顔を合わせ、家長の了承をもらい、私達は結婚に向けた第一段階を終えた。

 まだ正式な発表はしていない。直前になって、ハーヴェイ家の攻撃が始まったためだ。


 


 今日までの事を思うと、感慨深い気持ちにさせられる。

 この六年は長くもあり、またあっという間だった。


 膝下ぐらいしかなかったシプリーが、今では私の胸元ほどにまで身丈を伸ばしている。もうあと六年もすれば、追い越されるかもしれない。

 中性的だった顔も、段々と男性の顔つきになっている。



 今はだいぶ少なくなったが、二年前までは会うたびに脚に抱きついてきたものだ。

 初めて膝枕をしてあげた時は、気絶するように眠ってしまったものだ。まるで安らかな眠りについたように深い眠りで反応に乏しく、どれだけ揺らそうと起きなかったときは、本当に少なからず焦ったものだ。


 ん? そういえば、今日もやたらと……。


「ねえ、シプリー」

「もう、ハーヴェイさんが見えましたか」

「ううん、まだ……こんな時にとは思うけど、聞いていい?」

「どうしました? そんなにもったいぶらずとも……もしかして、脚に何か違和感が? 治癒魔法を掛けましょうか?」

「ううん、そうじゃなくて、」


 顔だけを後ろへ逸らし、覗くようにする。美麗な瞳を伏していた彼は、脚のことになると目を開いて饒舌になった。


 やっぱり、脚の事となると途端に口数が多くなる。

 休息の邪魔をしてしまうことに申し訳なく思いつつ、地を駆けながら続けた。


「シプリーって、私の脚が好き?」

「………………え!?」


 背中の少年が、一瞬硬直したのが分かった。布越しでも伝わる体温の上昇に、肩に置かれている手が微かに震えた。見開いた彼は何か言おうとして、少しの間唇を上下に動かしていた。


「あの、どうしてそんなことを?」

「いや、なんとなく」

「あ、はは。何故そう思ったのかはわかりませんけど。あはは」


 動揺していることは、容易に見て取れた。

 とぼけるように睫毛を逸らした彼に目を細めた私は、大きく息を吸い、一息にまくしたてた。


「舞踏会に向けた練習のとき、『ステップを覚えるため』って言って、私の足をずっと観察していた。乗馬訓練時、馬を見ているのかと思ったけど、目線が私の脚に注がれていたような。数年前から始めたお互いの肖像画も、確か足元は凄い細かく描かれていた気が」

「わ、わわ、もう、もういいです。いいですから!?」


 思い当たる節を羅列していった私に、慌てて制止させようとしてきた。

 今日一番の動揺を顕わにして、少年は俯いた。白い耳が、火が吹き出そうなほど赤らんでいた。


「~~~~そうです! 好きです! 大好きです!」


 観念したように柔らかな唇を大きく開いたシプリーは、赤面しながらでも続けた。


「鍛え上げられた肉体美、鞭のようにしなる柔軟さ、その健康的な曲線美も、全部好きです!」

「お、う、うん。ありがとう?」


 歳を感じさせない貫禄を宿していた彼が……冷静沈着を紫紺のローブにさえ染み込ませていたような少年が、今や手で顔を覆い隠したいのを我慢しているように、恥ずかしそうに声音を上擦らせていた。

 頬を紅潮させて言い切られた彼の気迫に、私も若干押され気味だった。


「気持ち悪いと思いますよね。今、引きましたよね!」

「ううん、別に構わないけど。シプリーが好むなら、むしろ嬉しいけれど」

「誤解しないでください。足は確かに好きです。けど、それはアマルさんだからです! アマルさんを愛しているからであって、だからアマルさんの脚も好きなんです!」

「……ふふ、ありがとう」


 威勢のままに押し切った彼の必死な形相に、思わず笑みが零れた。

 それほどまでに信頼と敬愛を寄せられるならば、応えてみせなければならない。


 全身に力がみなぎる。更に足先へ魔力を込めた私は、先ほどまでよりも深く、硬い土をえぐるように踏み込みを強くした。背中の彼へ誓うように、その速度は一段と増した。





 一分ほど快足を飛ばせば、標的が視界に捉えられた。


「もっと、もっとスピード出せないの!!?」

「これ以上は無理です!」

「この役立たず!!」


 配下を責め立てる令嬢は振り返って私達を視認すると、目を見開いて顔を歪ませ、歯をむき出しにした。


「来るんじゃないわよ!」


 怒号を発したロザムが、馬車から乗り出すように魔法を放ってきた。残りの魔導士数名も、呼応するように撃ち込んでくる。


 激しい雨をかいくぐってきた私には、それらは道端の小石程度にしか感じられなかった。ステップを踏むように躱していき、更に距離を縮める。


 ゴールまで、あと三百メートルもない。馬車までの距離は、あと五十メートル。


「来るな、来るな! こ、来ないでぇ!」


 虚勢が剥がれ、半泣きになったロザムは、自らが知る限りの魔法を、闇雲に投射した。その姿は、じりじりと迫りくる狼に、尻餅をついて雪玉を投げつけるようだった。


 そこで、私の背から光が射出された。こぶし大のそれは、空に放物線を描き、ロザムたちの馬車より前方に落ちて、一抹の火花となって弾けた。


「ぎゃ、あ、ああ!!」


 突然の嬌声に、馬車が静止した。

 足は止めないまでも戸惑いを隠せなかった私は、一瞬だけシプリーを見た。彼は、口角を上げていた。


「足止めは、しました」

「さすがだよ、シプリー」


 少年の魔法により、令嬢たちは全身を微弱に揺らしていた。それはまるで、スタート時の私達のように、痺れが襲っているようだった。


 罠にかかった獲物が藻掻く場所まで、あと十メートルもなかった。

 猛々しい私の眼光に、ロザムは肩を震わせていた。


 麻痺によるものか、恐怖によるものか。どちらでもよかった。 


「ぶべえ˝ぇぇぇあ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝!!!」


 衝撃に風圧が伴って、ロザムたちは虚空へ吹き飛んだ。


 魔法で生み出された馬車に馬は、細かな粒子となって霧散した。





 *





 対戦相手全員が、白目を剥いた。


 最後は力を入れ過ぎたせいか、はるか後方で仰向けになる令嬢は、衣服のあちこちが破けてしまっていた。魔力鏡を通してあられもない姿を晒してしまっているが、私達は放置して先を歩いていた。


「終了の合図は、ないですね」

「あと二百メートルもないし、ゴールしろってことかな」


 前方に見える城門の周囲では、観客の喧騒が私達を待っていた。既に雌雄は決したが、観客は凱旋を望んでいるのかもしれない。

 シプリーを下ろし、そっと手を繋ぎ、ゴールを目指す。

 再起不能にした者たちを振り返ることもなく、悠々と進む。


 私は少しふらつき、片膝をついた。全身の筋肉が断続的に痙攣し、身体強化を解除した脚は鉛のように重い。


「アマルさん!」

「ううん、大丈夫。ちょっと。無理しすぎただけ。すぐに立つ……脚が、動かない」

「……僕に、任せてください!」

「きゃ、ちょっ、と」


 彼は、その華奢な腕を私の背中と太脚に回したかと思えば、横抱きに担ぎ上げた。

 驚く暇もなく持ち上げられた私は、全身に妙な緊張が走っていた。


 まさか、自分が姫のように抱かれるとは。


「無理しなくても、」

「していません……情けないですけど、ちょっとだけ、身体強化魔法を、使っています」


 魔力だって残り僅かだろう。しかし、身を委ねることにした。若干おぼつかない足取りだろうと踏ん張り歩き出した少年の、我儘にも似た意思を尊重することにした。


 目線を私に合わせるシプリーは、瞼の縁に生えるものを垂らすようにしていた。


 いつもは見上げられる存在に、見下ろされている。自然と、私も上目遣いになってしまう。


「私、重いよね」

「比重の大きな金は、抱えたくなる美しさがありますから」


 そのような言い回しはずるい。いつの間に覚えたのか。

 上昇した顔の熱に唇をもにょっとさせた私に、彼は長い睫毛を開き見つめてきた。


「いずれは、魔法に頼らずしてみせます」


 間近にある顔は、土埃や汗に汚れていた。それなのに、その純真な想いは、この世界の何よりも眩しく見えた。

 ついこの間までは膝下ぐらいだった男の子が、逞しくなった。


「貴女の隣で、ともに駆けます。これからも、この先も」


 真剣な眼差しは、この場、この瞬間でのまぎれもないプロポーズだった。


「――貴方と、歩きます。これからも、ずっと。この先も、ずっと」


 誠心誠意をもって、私は答えた。彼の背中に腕を回して抱きつき、耳元でささやく。


「凄い楽しみだよ、貴方の成長が」

「はい! 期待してください!」


 ようやく。今更ながら。私は彼を、君付けから脱却できそうだった。


 まだ小さいながらも、その内に秘めたる力と信念は、誰にも見劣りしない。

 これからの成長によっては、やがて身長や体格も追い抜かれてしまうのだろうか。

 そんな日もまた、待ち遠しい。


「これから大変だよ。レースの報酬が入って、婚約の正式発表をして……どうせなら結婚の日取りも決めようかな」

「いいですね、明日式を挙げましょうか」

「婚約発表もまだだよ」


 あと、二十メートル。


 魔力が枯渇してきたのか、シプリーの呼気は少しずつ乱れてきていた。

 降りようと思ったが、それでは彼の矜持を傷つけてしまいそうな気がして、結局そのまま運ばれる。


 満身創痍にある彼を労いたい。彼を癒せる最大限のものは何だろうか。

 疑問と同時に、答えは思い浮かんでいた。


「あとで、膝枕してあげる」

「……熟睡できそうです」

「そのまま、一緒に寝よっか」

「それは、まだ早い気が……いえ、アマルさんがいいなら、僕は」


 言いかけた少年が顔を赤らめ、私も口を閉ざす。



 ひとときの沈黙が流れた。

 その間も、私達は見つめ合っていた。


「シプリー、大好きだよ」

「愛しています。アマルさん」



 そして私たちのゴールは、喝采をもって迎えられた。

 歓声は爆発となって城門を揺さぶり、見上げた先では、威厳に満ちた国王陛下が、ゆっくりと、しかし確かな拍手をもって立ち上がっていた。



 おもむろに下ろしてくれたシプリーと、隣り合う。

 指を絡ませ、両手を掲げて喜びを顕わにする。一段と歓声が大きくなった。



 万雷の拍手は、私達の未来を祝福しているようだった。









 




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少年×年上女性を描きたくて描きました。描いていると思った以上に筆が進み、五千文字を予定していたはずが、二倍以上に膨れ上がりました。


これからもちょくちょく 少年×年上女性 の組み合わせを描いていこうと思います。


もちろん、現在連載している作品を止めるつもりはありません。時間がかかろうと必ず完結させます。





ちなみに、シプリーは脚フェチです。六歳の時にアマルさんの肢体に目を奪われました。



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最愛の彼とともに、私は壁を吹き飛ばす ~全てがレースの勝者に委ねられる王国で~ 蛇頭蛇尾 @hehebi

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