事故、そして、愛。

――とある休日の昼下がり。


 ガラガッシャーーン!!


「な、なんだ!?」


 突如響いた耳をつんざく衝突音に、俺――木川達也きがわたつやは、一軒家の自宅リビングでぼんやりと眺めていたテレビを消して、音の正体を確かめるべく外へと飛び出した。


 そこで俺が目の当たりにしたのは――


「………嘘だろ………」


 事故現場だった。


 鼻腔を刺激する焦げ臭い匂いの中、原型を留めぬほどにフロント部分が無惨にひしゃげたシルバーの軽自動車が、信じられないことに俺の……、俺の家の外構フェンスにまるでモニュメントの如く深々とめり込んでいたのだ!


「…………………」


 言葉が出ないというのはこういうことなのかと、三十四歳にして知りたくもない知識を学んでいると、軽自動車――もとい、いまは事故車へと様変わりした車体の後部座席のドアが開き、ひとりの三十代前半らしい男がのっそりと出てきた。


「……はぁ、外に出れた。運転席のドアが完全に歪んで開かなかったから、閉じ込められたかと思った」


 なんて目の前の惨状さんじょうが目に入っていないのか、そんな呑気のんきなことを独りごちていた。


(こいつ、なに悠長ゆうちょうなこと言ってんだ!!)


俺は苛立ちを隠さずズカズカと近づいていき、感情そのままに声を荒らげた


「おい、アンタが運転手か!? どう責任取ってくれるんだ、うちのフェンスをメチャクチャにして!」


「この家の人ですか? まぁまぁ、落ち着いてください。まずは自分が無傷という奇跡を記念して、一緒に祝賀会しゅくがかいを開きませんか?」


「事故直後の加害者と被害者が、いったいどんな顔を突き合わせてそんなおぞましい祝賀会を開くんだよ!」


「なら、祝宴会しゅくえんかいに変更しますか?」


「天地がひっくり返ってもパーティーなどしないから、直ちに狂った脳内からその発想を叩き出せ! それにいいか、お前は事故を起こした張本人なんだぞ! まず俺に対して言うべきことがあるだろうが!」


「……そうでしたね、すいません。まず最初に言うべきでした。……トイレ、借りてもいいですか?」


「凄いなアンタ! 今この修羅場で、家主がキレ散らかしてる目の前で、よくそんな図々しいことが言えたもんだな!」


「まぁ、それほどでも」


「なんで少し誇らしげにしてんだよ! ったく、しょうがない、トイレは玄関から入った廊下の突き当たりにあるから、早く行ってこい!」


「ありがとうございます! あ、それとこちらのトイレってウォシュレット付いていますか?」


「トイレを借りる奴が一々いちいちそんなこと気にすんな! さっさと用を足してこい!」


「わかりました。いやぁ〜、助かったぁ! トイレ我慢しすぎて、運転どころじゃなかったから」


 ここで!? というタイミングで事故原因をさらりと暴露した男は、こちらから見るかぎり悪びれた様子など微塵もみせず、自らが事故を起こした家の中へと堂々と入っていった。


「……近頃非常識な人間が増えたっていうけど、アイツはきっとその最高峰だな……」


 一人事故現場に残された俺は、百パーセント悪い意味で人間国宝に認定したいほど無神経なあの男に向けて、呆れと唖然あぜんがない交ぜになった気持ちで、呆然と呟いた。


 ――それから待つこと八分。


「アイツ、いつになったら戻ってくるんだよ!」


 いつまで経ってもトイレから帰ってこない非常識最高峰ひじょうしきさいこうほう男に、俺は再び心の奥底から怒りの感情が噴火寸前のマグマの如くフツフツ沸き立ってきているのを感じていた。


「あぁ、もう! どうして俺ばっかりこんな酷い目に遭わなきゃならないんだよ!」


 色んな思いが胸中でグルグルと渦を巻き、イライラ感が限界のその先へと突き抜けようとした、その時――


 ドタバタと小うるさい物音を撒き散らしながら、男が戻ってきた。


 そして俺の前に立ち止まると、どこか興奮した面持ちで尋ねてきた。


「もしかしてアナタ、木川達也先輩ではないですか?」


 ? どうしてコイツが俺の名前を知っているんだ?


「……そうだけど。ん、待て。?」


「そうですよ、先輩! 俺ですよ、俺! 高校時代にサッカー部の後輩だった田山祐一たやまゆういちですよ!」


「田山! あの田山か! いや、懐かしいな! 会うのはもう十年ぶり以上か!」


「そうですよ、先輩! まさかこんな形で再び会えるなんて、嬉しいですよ!」


「嬉しい!? おいおい、馬鹿も休み休み言ってくれよ! 俺は全然嬉しいとは思っちゃいないぞ! なんだって高校時代の後輩にフェンスをブチ壊されたんだからな!」


「またまた。冗談でしょう。ほんとうは嬉しいくせして!」


「事故った張本人が、何の根拠もなく冗談と断言する、その配慮はいりょの無さよ! ……ていうか、待て。田山、よく俺がわかったな。表札も出していないのに」


「はい。トイレを貸してもらった大人の礼儀として、ちょっと先輩の家を見学していたら、宅配物を見つけまして。そこに先輩の名前がバッチリ書いてあったので気づいたんです」


「……それは礼儀じゃない。ただの犯罪だぞ……」


「あ! そういえば噂で聞きましたよ。先輩、高校時代にサッカー部の女子マネージャーだった水本さんと結婚されたんですよね? やっぱり先輩はすごいなぁ! あんな美人マネージャーと結婚できるなんて、羨ましい限りですよ!」


「……………………」


「そういえば、家の中に水本さん――じゃないか、奥さんの姿が見当たらなかったんですけど、どこか出掛けているんですか?」


「……出て行った……」


「え、なんですか? 聞こえなかったんで、もう一度いいですか?」


「……出て行った……!」


「屁で痛ったぁ? それってなんですか?」


「出て行った、だよ! お前は頭だけじゃなくて、耳も悪いのか!」


「まぁ、それほどでも」


「だからなんで少し誇らしげにしてんだよ、お前は!」


「でも出て行ったって。なにがあったんですか?」


加奈子かなこが――妻が、他に男を作って、そいつのところに行くって言い残して、つい先日勝手に家を出て行ったんだよ!」


「そ、そんな。あんな清純だった水本マネージャーが……。それで、先輩はこれからどうするつもりなんですか?」


「……どうするつもりって、何がだよ?」


「このまま、水本マネージャー――、いや、奥さんをその男に取られたままでいいんですか、ってことですよ!」


「……しょうがないだろ。加奈子がもう俺とは一緒にいたくないって言って、出て行ったんだから……」


「! 見損みそこないましたよ、先輩!」


「……田山……」


「先輩の家のトイレ、ウォシュレット付いてないじゃないですか! 見損ないました!」


「いまそれ、どうでもよくねぇ!」


「先輩にとって、奥さんに対する愛情とはその程度のものだったんですか!」


「そ、それは……」


「高校時代、サッカー部の後輩からケチで、傲慢で、ナルシストなんて散々陰口を叩かれていた先輩を、この世でただ一人、本気で愛してくれたのが奥さんじゃないんですか!?」


「……その後輩から陰口を叩かれていたというデリケートな思い出は、青春の1ページにずっとしまっとけ。今さら引っ張り出されても心が傷付くだけだから……」


「そんな大切な人との繋がりを、先輩は簡単に断ち切るっていうんですか!?」


「……でも、今さら……」


「今さらって、なんですか! ボクら後輩が先輩に抱いているイメージは、今となってはどう足掻いても改善しませんけど、でも奥さんはまだ間に合うんじゃないんですか!?」


所々ところどころでさりげなく罵倒されてる気もしないでもないが……。でも確かにお前の言う通りだ! 俺は……俺はまだ加奈子のことが好きだ! 愛しているんだ!」


「なら今すぐ、奥さんを迎えに行ってあげてくださいよ!」


「でも、いま加奈子がどこにいるのかわからないんだよ……」


「そういうことなら、ボクに任せてください!」


 田山はそう力強く言い切ると、なにを思ったのか、突然その場で膝をつき、両手を大きく広げ、目を閉じたまま天を仰ぐという、理由も意図もまったく検討がつかない、奇妙極まりない姿勢を取った。


「た、田山……。急になにしてんだ?」


「シッ! いまラキアノシホ様と交信しているので、黙っていてください!」


「ラ、ラキアノシホ様? 誰ですか、その方?」


「はい、はい。わかりました。そこに加奈子さんはいるんですね。教えていただき、ありがとうございました、ラキアノシホ様……。先輩、加奈子さんの居場所がわかりましたよ!」


「いや、今のでどうやって加奈子の居場所がわかるんだよ! わかったのは、俺が知ってる後輩があからさまにヤバい奴に変貌したってことだけだぞ!」


「先輩、そんな無駄話をしている暇はありません! 早く奥さんを迎えに行かないと、もう二度と会えなくなりますよ!」


「えー! 不信感しかないのに、なぜか行かなきゃ駄目な雰囲気になってる! でもとりあえず行くだけ行ってみるから、加奈子がいるっていうその場所を教えてくれ!」


「わかりました! その場所は――」


 俺は田山から加奈子がいるらしいその場所を聞くと、


「わかった、それじゃあこれから行ってくる!」


 田山にそう告げると、そのまま全速力で走り出しだ。


 頭の片隅でもう一人の自分が「いや、この展開はどう考えてもおかしいだろ?」と冷静にド正論を述べているが、そんなの関係ない!


 人間。どんなに怪しいといぶかしんでも、一度乗ってしまったその場の流れからは逃れなれないのだから!


「待ってろよ、加奈子!!」


 俺はありったけの叫び声をあげながら、住宅街を走り抜けるのであった。



―――完―――

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