親友と、オーナーと、ラキアノシホ様
「……ここか」
朝。
俺――
そして目の前には、周囲の空気感とは明らかに一線を
「……ちょっと不気味すぎないか、この雑居ビル……?」
その二階建ての雑居ビルは、外壁のくすみや剥がれが妙に存在感を放っていて、どこか異世界の忘れ去られたダンジョン前みたいな雰囲気をまとっていた。
窓はすべて曇りガラスで無表情。こちらに興味ゼロなその沈黙っぷりは、まるでビル全体が「不用意に我と関わると、生命の保証はないぞ」と小声で警告しているようだった。
そんなできればお近付きになりたくないタイプの雑居ビルの一階に、ドアノブに『準備中』の札をぶら下げた一軒の喫茶店が、ひっそりと店を構えていた。
「……アイツ、ほんとうにこの喫茶店でバイトしてんのか?」
アイツこと――
ここでバイトしている、というメールをアイツから受け取ったのは、つい数日前のことだ。
「バイトが忙しいってだけで、一週間も大学に顔を出さないなんて……。アイツにしては不自然すぎるんだよな」
なにせ高校時代にアイツはインフルエンザで四十度オーバーの高熱を出しながらも平然と登校してきて、「四十度ごときで休むって選択肢、俺の脳内マニュアルのどこを探しても出てこないからさ」と、手足を情けないほどガクガクと震わせ、死霊みたいな青白い顔のままかっこつけていたという、誰も尊敬などしない馬鹿げた伝説を築いた男だ。
その人並み外れた川田のタフネスぶりに、先生はその場で膝をつき、「頼む、川田ァ! 今すぐ帰ってくれ!! お前になにかあったら、責任問題を問われてわたしの教師生命が終わってしまう!!」と、
その川田が、バイトぐらいで大学に来ないのは、どう考えても釈然としない。
「まぁ、アイツに直接問いただせば、全部わかる話だよな」
そう自分に言い聞かせ、俺は意を決して喫茶店の扉を開いた。
「お客さん、申し訳ありません。まだ営業前でして――って、大翔? お前、本当に来たのかよ」
ドアベルが軽くチリンと鳴り、俺がそっと店内へ足を踏み入れると、こぢんまりとした空間で
そんな隼人に、俺は軽く笑いながら、
「あぁ、行くってメールしたろ? それより、大丈夫か? 最近大学に来ないのが気になって、その話をしに来たんだけどさ。開店前なら時間があるって言ってくれたから来たけど、逆に忙しいんじゃないのか?」
「大丈夫だって。今って開店前だけど、同時に閉店直後でもあるからさ」
「ん?」
おやおや、俺の親友はいったいなにを言っているんだ。
「隼人、すまん。意味がいまいちわからんのだが……」
「あぁ、ごめん。説明不足だったな。この喫茶店、閉店から開店まで一時間しかないんだ」
「……え?」
おいおい。住宅街の片隅にぽつんとある喫茶店が、全国チェーンの牛丼屋みたいな
街角の喫茶店に、そんなハードな運営なんて誰も求めていないだろ!?
「まぁ、その狂気じみた営業時間については後で聞くとして。隼人、他の従業員はどうしたんだ? 店内を見回しても、誰の姿も見えないんだが」
「そりゃそうだよ。だってこの店、従業員は俺ひとりしかいないんだから」
「はぁ!? ちょっと待て。それ、どう考えてもおかしいだろ! それについさっきまで営業してたんだよな? なのに従業員が、お前だけってことは、まさか一日中お前ひとりで店を回してるのか?」
「そうだよ。ここは開店から閉店まで、俺ひとりで店を回してるんだ」
「なんだよそれ! 完全に
「落ち着けって、大翔。従業員はたしかに俺ひとりだけど、別に俺ひとりで働いてるわけじゃないんだ」
「は?」
またも、
「ひとりで働いてるわけじゃないって、どういう意味だよ? 従業員はお前ひとりなんだろ。他に働いている人がいるっていうならその人はどこにいるんだ」
「ここだよ」
そう言って、隼人は握り拳で自分の胸をトントン叩いた。
……ま、まさか。コイツ。
「……隼人。そんなわけないと思うが、胸の中にいるって言うんじゃないよな?」
「胸の中にいる? 大翔、さすがにそれはないぞ」
「そ、そうだよな」
「胸の中にいらっしゃるだよ」
「……………………」
丁寧語にバージョンアップしたぁ!!
「俺はいま、
「……………………」
誰ですかぁ! ラキアノシホ様って! ていうか、胸に宿しているって、その方はちゃんと住民票を取得済みなんですかぁー?
「だからそんなに心配することなんてないんだぜ、大翔」
「余計に心配するわ! それになんなんだよ、そのラキアノシホって!」
「……“様”を付けろ、大翔。無礼だろ」
隼人はカッと目を見開き、
「そ、そうだな。確かに失礼だった。すまん。で、改めて聞くけど、ラキアノシホ様っていったいなんなんだ?」
「うん。ラキアノシホ様というのは、偉大で、
「……へぇ〜」
「ほんと、ラキアノシホ様と巡り合わせてくれたこの店のオーナーには、感謝してもしきれないよ!」
「なに!? じゃあ、そのラキアノシホ……様って、この店のオーナーが教えてくれた存在なのか?」
「そうなんだよ! 以前、道を歩いてたら突然『キミはラキアノシホ様に選ばれし運命の子だ!』って声をかけられてさ。その
「それはもう、宗教の勧誘じゃないのか?」
「俺はオーナーから“ラキアノシホ様に選ばれし運命の子”の使命を徹底的に教わってさ。その導きに従うために、オーナーが経営するこの喫茶店でバイトすることにしたんだ。時給320円で!」
「使命ってなにさ!? そしてなにより時給安っ!!」
「時給は安くても、ラキアノシホ様ポイントが貰えるから、稼ぎはいい方なんだぞ」
「知らんポイント出てきた! てかそのポイント、地球上で使える店なんてないだろ!」
「いや。このポイントはいずれ世界が奪い合うほどの価値になるって、オーナーが断言していたぞ」
「んなわけあるか! なんなんだそのオーナーは、相当ヤバいヤツじゃないか!」
「そうなんだよ! あの人、ヤバいくらいかっこよくてさ! 実は俺、オーナーみたいな大人になりたくて、その背中を追いかけてるんだ」
「……追いかけているって……」
高校生の頃、一緒に甲子園を目指して白球を追いかけていた友が、いまは
時の流れとは恐ろしい。
「隼人……。お前、本当にこのままここでバイトしてて大丈夫なのか? 大学はどうするつもりなんだよ」
「ん〜、そうだな。もしかしたら退学するかもな」
「マジかよ!? 時給320円のバイトのために大学やめるって正気か!?」
「だからラキアノシホ様ポイントもあるって」
「そのポイントはこれからの人生に一ミリも役にも立たんから! ……なぁ、隼人。悪いことは言わん。このバイト、今すぐ辞めろ」
「なに言ってんだよ大翔!! 俺はここのバイトに――いや、“ラキアノシホ様に選ばれし運命の子”として、その使命に生涯を捧げると誓ったんだぞ!!」
「……隼人。言ってることがもうカルト宗教団体みたいになってるんだけど。ここはただの街角の喫茶店だぞ?」
「……いいか大翔。お前が何を言おうとも、俺はラキアノシホ様とオーナーの星野さんのことを信じるからな」
「星野さん? それがここのオーナーの名字なのか?」
「そうだ」
「星野……。ラキアノシホ様……。隼人、もしかしてそのオーナーの名前はアキラじゃないのか?」
「そうだよ! 凄いな、大翔! どうしてオーナーの名前が分かったんだよ!」
「……だって、さ」
星野あきら――ホシノアキラ。
そしてラキアノシホ様――って、単純に自分の名前を逆さに呼んだだけじゃないか!!
「隼人! お前やっぱりこのバイトから手を引け! ここのオーナーはペテン師だぞ!」
「大翔!! 恩人のオーナーを
「待てって隼人! 俺の話を落ち着いて聞いてくれって!」
「うるさいなぁ! 俺はこれから――って、ちょっ……! 今、ラキアノシホ様のお告げが降りてきた!!」
そう興奮気味にまくしたてると、カウンターの向こうにいた隼人はその場でいきなり膝をついて跪いた。
そのまま両手を大きく広げ、目を瞑って天を仰ぐように顔を上げた。
親友よ、突然どうした!? そんなお前の姿、俺も、お前の両親も、見たくはないぞ!!
「……はい、はい。でも本当に、それでよろしいのでしょうか? それは最重要機密のはずですが……。なるほど。はい、承知しました。すべてはラキアノシホ様のお導きのままに」
「……………………」
お〜い隼人。お前、誰と話しているんだ? 心のざわめきが一向に収まらないから、そろそろ独り言はやめてくれないか〜。
「……よかったな、大翔。ラキアノシホ様から、お前の疑いを晴らすお
「お示し? なんだよそれは」
「……ちょっと待っててくれ」
そう言うと、隼人はスタスタと店の奥へ消えていった。
そして数分後――戻ってきた隼人の両手には、アタッシュケースほどの大きさで、やけに重たげな銀色のアルミケースが抱えられていた。
「? なんだそのアルミケースは?」
「これがお前の疑いを晴らすお示しだよ」
ドンッ! とアルミケースをカウンターに置くと、隼人はその錠前をカチャリと外し、ゆっくりと蓋を開いた。
――そして中から現れたのは……。
「……嘘だろ……」
アルミケース一杯に敷き詰められた金塊だった。
なんで街角の喫茶店から国の予算みたいなものが出てくるんだよ!
てかこれ、どういう展開!?
「これがラキアノシホ様の神通力であり、ラキアノシホ様ポイントの実体だ。そして、オーナーを信用する何よりの証でもある。……いいか大翔、このことは絶対に他言無用だぞ」
あんぐりと口を開けたまま固まる俺に、隼人は念を押すようにそう告げると、金塊の詰まったアルミケースの錠前をカチリと戻し、再び店の奥へと姿を消した。
そして数分もしないうちに戻ってきた隼人に、俺はさっきまでの否定を誤魔化すようにわざとらしく咳払いし、妙に丁寧な口調で言葉を発した。
「……その、なんだ。なんだが俺が勘違いしてたみたいだな。それで、その……」
「オーナーに紹介してくれないか、だろ?」
「! な、なんで俺の考えてることがわかったんだよ!」
「なぜって、それは――」
隼人は握り拳で胸を叩き、
「ここにラキアノシホ様が宿っているからだよ」
「お、おぉ……! す、すげぇ……!」
さすがラキアノシホ様……! これはもう信じるしかないだろ……!
「じゃあ今からオーナーに連絡入れるから、そこで少し待っててくれ」
「連絡って……。普通に電話するのか?」
「まさか! ラキアノシホ様を
「や、やっぱりそうなのか! ラキアノシホ様って本当に想像以上のお方なんだな!」
「そうなんだよ! 大翔、これからはオーナーとラキアノシホ様を信じて、共に歩もう!」
「あぁ、そうしょう!!」
――こうして俺たちは、高校時代に白球を夢中で追いかけていた頃と同じ勢いで、ラキアノシホ様のお導きに従って、胡散臭いオーナーの背中を追いかけることになってしまったのだった。
―――完―――
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