第4話 ちいゆめさま(ちいさくてかわいそうな夢神様)

変神


今日は年に一度の村の秋祭り。からりと晴れた空に、田んぼは黄金色、おみこしの金の鳳凰飾りも輝いています。


「いらっしゃい、いらっしゃい! 焼きそばどうだい!」

「金魚すくい、やってかない?」

「わぁ、綿あめ欲しいな!」


村の真ん中広場には屋台がずらりと並び、提灯が風に揺れています。

太鼓の音に合わせて、法被を着た若者たちが掛け声をあげ、子どもたちが後をついてまわっています。


いよいよ夜になり屋台の数が増えました。射的の屋台では、大人たちも夢中になってキャラメルの箱やぬいぐるみが倒れるたび大歓声。かき氷の屋台では、色とりどりのシロップが提灯のオレンジの光に照らされ、きらきら光っています。

焼きそば、イカ焼きの煙、りんご飴の甘い匂い、祭りばやしの賑やかな音。


村人たちの笑い声が、秋の夜空に響くそんな日です。


その賑やかさから少し離れた、村はずれ。ひっそりと立つ古い木に、色とりどりの短冊が吊るされて揺れています。


祭りに来た人々は、楽しそうに屋台を回っていますが、ときおり、誰かがふっと列を抜けて、あの木へ向かいます。

短冊を結ぶと、まるで何事もなかったかのように、そそくさと祭りの人混みに戻っていくのです。


「一円拾えますように」

「ふりかけご飯を食べるのが夢!」

「明日から一週間の内、一日でも晴れますように」


これは年に一度の秋祭りに欠かせない、『ゆめ短冊』という伝統行事です。しかし、短冊に書かれているのは、妙に小さな願いや夢ばかり。

わざわざ願わなくても、いとも簡単に実現しそうなことです。


そしてこの行事には、村人だけが知っているひそかな秘密がありました。

村人たちの願いを叶えるのは、村の守り神の一人『ちい夢様』。誰も見た人はいませんが、吹けば飛ぶような、小さな神様だとされていて、大木の横の大変小さな祠に住んでいるそうです。


村人たちはこう信じていました。ちっこいちい夢さまに、大きな夢をお頼みしたのでは、ちい夢様が大変だ、もしかしてあの小さなお体が壊れてしまうかもしれない。

そこで、村人たちは短冊には、小さな願い事を書くようになったのです。

ただしこの祭りごとを、いつ、誰が始めたかは何も資料が残っていません。


そしてもう一つ、ちい夢様の伝説にはこんなうわさがあります。うわさではありますが、村人みんなが信じています。それは、ちい夢様は夢を叶える代償を求めるというものです。


大きな夢を願えば、それだけ大きな代償を求められる。恐ろしや恐ろしや。


そんなわけで、短冊に書く夢や願い事は、誰も彼もが取るに足らないような小さな小さなものになったのです。



夢の様に賑やかな祭りから二週間が過ぎました。


「あ〜、財布忘れた!」

「またぁ? それ、ちい夢様の呪いじゃない?」


村唯一の食料品店の前で村人たちが笑っています。

本気で怖がっているわけではありません。

でも、ちょっとした失敗があると、つい口に出てしまうのです。


「昨日、買い物の帰り、卵が割れてべっとりだったよ」

「ちい夢様のせいだね」

「十円玉、側溝に落とした」

「ちい夢様の代償だよ」


まるで、季節の挨拶のように。



ちい夢様にも村人たちの声が風に乗って届きます。


「靴紐がほどけた。ちい夢様の呪いかな」

「牛乳こぼした。ちい夢様のせいだ」


違います。それは、あなたが慌てていたからです——


そう言ってはみましたが、声は届きません。

ちい夢様は小さな神様。

小さすぎて、誰にも見えないし、聞こえない。

つぶやいたって小さな声。

まるで虫のようなものです。


たとえば、去年はこうでした。

小学四年生の岬が書いた願い事。

「一円拾えますように」


ちい夢様は一生懸命、その願いを叶えました。

岬の家の本棚の後ろに、一円玉を転がしておいたのです。


「本棚の後ろを掃除してたら出てきたよ、ラッキー!」

岬は喜んでいました。

ちい夢様も嬉しくなりました。


でも、その三日後。

「わーん、学校で十円落としちゃったよ」


それは偶然です。ちい夢様は何もしていません。

でも、村人たちは言うのです。


「ちい夢様の呪いだよ」

「ちい夢様の代償だ」


「代償って?」

「願いをかなえるためには、何か払わないといけないんだよ」

「ふーん、ちい夢様は欲張りだね」


毎年、毎年、同じことの繰り返し。

小さな願いを叶えても、小さな不運が起これば、すべてちい夢様のせいになるのです。普段は気にならないようなことまで拾い上げて。


祭りから二週間が過ぎました。

毎年この時期、ちい夢様の木の下には誰も来ません。

呪いの期間、と村人たちは呼んでいます。


ちい夢様は、ため息をつき深い眠りにつきました。



村に雪が降り、春が来て、田んぼが青い季節になり、そして稲が実り、再び秋祭りの季節がやってきました。


ちい夢様は、初めて自分の願いを短冊に書きました。どうしてだか、今までそんなことは思いもしなかったのです。


「神様をやめられますように」

「誰かが代わってくれますように」


小さな、小さな文字で。

誰にも見つからないように、木の高いところに結びました。



そしてしばらくすると村で奇妙な事件が起こりました。

天狗の神隠しのような、不思議な出来事。


村人が一人、忽然と姿を消したのです。


「どこを探しても見つからない」

「まるで、消えたみたいだ」


村人たちは大騒ぎをして、山じゅうを捜索し、おびえましたが、やがて諦めました。神隠しだから、仕方ない——


あいつはのん兵衛だから、仕方ない。

地元新聞には「男性(42)行方不明 熊の被害か」という小さな記事が載り、警察の捜索も数日で打ち切られました。



その頃。

ちい夢様は、小さな風呂敷包みを背負って、村を後にしました。 足取りは軽く、鼻歌まで出ています。

「さあ、どこへ行こうかな。海? それとも山?」


長い長い間、この村に縛られていた日々。 ようやく自由になれたのです。

祭りの屋台の綿あめの甘い匂い、 子どもたちの笑い声。 太鼓の音。

もう、懐かしく思い出すこともないでしょう。

ちい夢様は、振り返ることなく歩いていきました。



村はずれの木の根元。男は座り込んでいました。

最初は、ただ気分が悪かっただけ。頭がぼんやりして、足に力が入りません。

「風邪か……?」

家に帰ろうとしても、足が動かず、気づけば、木の根元に座り込んでいたのです。


それから、男は食欲をなくしました。何も食べたくない。水も飲みたくない。でも、不思議と苦しくはなかったのです。

身体から顔へ虫が這ってきても男は何とも思わなくなりました。感覚が、遠くへ行ってしまうのを、ただ眺めているだけでした。


「おかしい……何かおかしい……」

そして、体が揺らぎ始めました。

ゆらゆらと。まるで陽炎のように。


触れようとした自分の手が、透けて見え、体の輪郭が、水彩画の絵具がにじむようにぼやけてあいまいになっていきます。

心も、揺らぎ始めたようです。自分が誰だったのか、どんな人間だったか。少しずつ薄れていく感覚。

人間だった記憶が、遠くなっていくのでしょうか。


「ゆらぎ」


それが、神になるプロセスだとは、男には知る由もありませんでした。彼が知るのは、自分が小さくなり、そして透明になっていくという事実だけです。


体は小さくなり、透けていき、やがて——

小さくなった男は、震えていました。 体は透けかかり、もう人間ではありません。


「なんで……なんで俺が……」


目の前には、色あせかけた短冊が風に揺られています。


「宝くじが当たりますように……いや、ダメだ。せめて、千円拾えますように……それも大きすぎるかな」

消しゴムで消した文字の跡が、短冊に残っています。


「どうせ、あいつはまともな夢なんて叶えられない。町の神様と違って。

しかたねぇな、1円……1円拾えますようにって今年も書くか」

そんなことをつい最近言っていたばかりなのに。


「祭りは神輿も面倒だ!なにがゆめ短冊だ。だがまぁ、酒が飲めるのはいい。浴びるほど飲めた」

怒っている間は、自分が自分でいられる、そんな気で男はいました。いつしかその怒りも手放すことになるのでしょうか。

「おい、誰かぁ、酒もって来いよぉー!!」


本当はお酒は飲みたいとはこれっぽっちも思えず、涙は出そうで出ませんでした。


生まれたばかりの新しいちい夢様は、膝を抱えて座り込みました。

その羽のような肩に小さな願い事が、重くのしかかります。まるで、蝶の羽に石を乗せるように。


自転車を押して歩く中学生たちが木の横を通りかかります。


「来年の祭りも楽しみだね」

「ちい夢様、ちゃんと願い叶えてくれるかな」

「小さい願いなんだから、大丈夫でしょ」


村人たちも、いつもと変わらず笑っています。

神隠しのこともう忘れられていました。


秋が深まり、村の小道のコスモスも揺れ、風が冷たくなってきました。小さな祠の中で、新しいちい夢様は震えています。

夕暮れ時、子どもたちの声がよく聞こえるように、耳を澄ませてみましたが、残った数枚の短冊が風にこすれる音しか聞こえてきませんでした。


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ちなみにもう少しホラー風にしようとモキュメンタリーホラー風に書き換えてもみたのですが、ファンシーなちい夢様と雰囲気が合わずにボツになりました。

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