第2話 ゴールデンレトリバー
夕方近く、家の周りを歩くと、三回に一度は同じ犬を連れたご婦人に会う。
年齢を推察するのは失礼なことではあるが、50歳くらいかと見受けている。いつも周囲に広めの縁のある帽子を被っている。
犬の方は種類はわからないが、真っ白で耳の垂れた小型犬で、決して珍しい種類ではない。
いつも先に犬の方と目が合い、次に犬が頭でわたしを追い、そして体もわたしのほうに寄ってくる。それで気づいて、飼い主もわたしの方に視線をよこし、にっこりと笑う。
犬の方はいつも舌を出し、尻尾を振ってこちらに来てくれる。犬の方はそうであったが、最初のうち、わたしは少し犬と距離を取ったまますれ違っていた。
今の時代、犬も飼い主の許可を得ないと触れないのだ。
わたしは動物は好きだが、人間とのコミュニケーションいうものが苦手である。
犬とは視線が合わせられるが、人間とは合わせ難い。触ってよいか聞くなど言語道断。
それもあって、最初のうちはすれ違うだけであったが、2回も会えばこちらでは前の犬と飼い主である、と認識するし、向こうでも3回目か4回目では確実にこちらのことを認識したようで、4回目の時には飼い主のほうから「こんにちは」と言ってくれた。
それでこちらも「こんにちは」と返す。
飼い主の、知らない人間に対してあいさつをしようというその心構えをありがたくもうらやましくも思う。おまけに、警戒を感じさせない、満面の笑みで言ってくれた。
わたしは飼い主側からの歩み寄りに便乗させてもらうように「触らせて頂いてもいいですか?」と尋ねる。
「いいですよ」と即座に許可が降りる。
それでわたしは、犬のそばにしゃがむとこの犬をいっぱいなでた。
犬を触るのは久しぶりのことである。
わたしがたまに散歩に行く公園も犬連れこそ多いが、それでいてなかなか近づくきっかけというものがない。
「犬、お好きなんでしょうね」と飼い主。
まぁこれだけ撫でまわしたらそう思われるだろう。
「はい。まぁ…。飼ったことはないんですが…。」
腹を見せてくる犬のその腹を撫でながら答える。
「いつもにこにこしてうちの子みたはるから」と夫人は言った。
そんな顔をしていたかと、少し恥ずかしくなる。
「犬好きな人は見たらわかりますよ。犬の方でもわかるみたいやし」
そうですか、と、少し照れもありつつ、飼い主の方を見上げると、飼い主の顔が犬のように、いや、正真正銘の犬に変わっていた。帽子の下に、金の毛が風に揺れた。うるんだ黒い瞳と目が合う。ゴールデンレトリバーである。
ずいぶんと嬉しいのだろう、後ろでぶんぶんと揺れるものがあると思ったら、尻尾まで出ていた。
一瞬、撫でたい衝動にかられたが、いや、こちらは人である。人であるはずである。
先日から、どうも人の前世が垣間見えるようであるが、これもその現象か。
小さい方の犬に存分に匂いを嗅がれ舐められ、こちらも気のすむまで頭も身体も撫でた後、「ありがとうございました。癒されました」といい、それぞれの方向に歩いて行った。
「では、また。」ご婦人も満足げであった。
去る頃には、姿は人に戻っていた。
ご婦人も人との交流が好きなのだろう。
こちらのほうでも、人好きなのはわかるものである。
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