お茶に奇譚

櫻庭ぬる

第1話 ベビーカステラ

 家から5キロほど離れた場所に、お気に入りの図書館がある。頻繁ではなく、1,2カ月に一度行くくらいのものである。


 その帰りのことであったが、地域の祭りをしていた。

 寄っていくと、にぎやかな声のほうも近づいてきた。


 掛け声とともに、提灯を揺らしながら地車が引っ張られてくる。中では男たちが太鼓や金物を鳴らしていた。


 人の多いところへ出向くのは好きではないが、こうして行き会ったものにはなにか惹かれるものを感じる。

 そこへ、甘いにおいがしてくる。ずいぶんなじみのある匂い…。ベビーカステラだ。

 幼少の頃よりベビーカステラには目がない。

 大体が大・中・小と売ってあって、子供のころは帰って家族にも食べさせたく、かといって大を買う思い切りもなく、「中」を買って帰ったものだった。


 自転車を端に止め、ベビーカステラの屋台に向かう。屋台の前には10人ばかりの列ができていた。

 祭りではたまに、屋台にこういう大盛況の行列ができているのを目にする。それはほとんどの場合ベビーカステラ屋であった。


 並ぼうとした、いや、もう並んだといっても良い列の最後尾に立ったところで、すっと前に入られる。

 一瞬、怒りの感情が沸く。が、こうしたときは相手は人間一周目なのだと思うようにしている。わたしは記憶こそないが、人間何周目かだから、尊大な気持ちで許してやろう。われわれ人間のルールは1周目ではわからないくらい複雑なのだから。

 そういう気持ちで、改めて順番がくるのを待つ。


 その間、なんとなく隣の誰も並んでいないりんご飴屋に申し訳なく思う。しかしわたしに非があるわけではないし、食べたいと思っていないりんご飴を買うわけにもいかない。如何ともし難いものだ。


 ようやく順番が来て、強面だが愛想の良い店の店主に、「中」を頼む。


 もちろん「大」を買えるほどには大人である。「中」を頼んだのは思い切りがないからではない。一人で食べるとさすがに多いことをわきまえるほどには大人になったのだ。もうプリンのお風呂に入りたいとは思わない。

 注文を受け、「あいよぉ、中一つ」と、店主もこの盛況で興が乗っているのか、ラーメン屋のような威勢の良さである。巧みなピックさばきで、ベビーカステラを淀みなく飛ばすように袋に入れていく。

 ありがたいことに、少し前に焼かれた分は全て前の客で終わり、わたしのところから新しく焼きあがったカステラになった。

内心ほくそ笑む。わたしの前に割り込んだ人も、自分の直後から焼きたてに変わることを知って悔しそうな背中をしているように思う。

 ほかほかのベビーカステラの紙袋を持って沿道に立ち、地車が通り過ぎるのを眺めながら口に放り込む。


 その時、視界の隅に、小さな人影がじっとこちらをみているのに気が付く。


 見ると、法被を着せてもらった5歳くらいと見受けられる女の子が見ていた。じっとこちらを。このベビーカステラを…。


 とはいえ、「知らない人から食べ物を貰ってはいけない」という常識はわたしのこどもの頃にすでに浸透していた。無論こちらも「知らない子供に食べ物をあげてはいけない」のである。


 少なくとも、この子の親の許可が必要なはずだ。アレルギーなんかも気にしないといけないのかもしれない。


 わたしは女の子の目を見ながら笑みを作ってみせた。

 声にこそ出さないが、「こんにちは、法被かわいいね。保護者の人のところに行っておいで。じゃあね。」と伝えたつもりである。そして視線を地車にもどす。 


 しかしわたしの無言の言葉はまったく伝わっていないようで、女の子はこちらを見続ける。察しの悪いことであるが、仕方ない。まだ幼いのだ。


 今の状態では、気持ち的にベビーカステラは食べ続けられない。しかし、このままこの場を立ち去るのもなにか悪いような気がした。

 もちろんこの子たちに気兼ねをする必要など一切ないはずではある。する必要のない配慮をするところが、私の長所であり、短所でもある。


 ベビーカステラの紙袋には20個入っている。別段この子に数個あげるのは問題ない。


 ただ、あげるにしても、この近くにきっと保護者がいるだろうから、食べさせていいのかだけ確認したい。

 そう思っていると、突然、紙袋が引っ張られた。

 驚きながらみると、女の子がベビーカステラの袋に手を突っ込み、次々と口に放り込んでいく。


「わっ、ちょ…」


 と、動揺している間にもどんどん口に放り込んでいく。


 ほお袋でもあるのか、君はリスか、と問いたくもなっていると、その子の鼻先がどんどん前にせりだし、耳は位置を高くし、顔に短い毛が生えてくる。


 暗くなっていく空の下、明るさを増す提灯の明かりが、その大きく黒い目に映る。

 女の子はリスになっていた。


 法被を着たリスは、もう入らなくなったのか口がぱんぱんになると(よくもまぁそこまで入ったものだと感心した)、わたしから離れ、こちらに背を向けてしっぽをふりふり、歩いて行った。


 最後にこちらをちらりと見た顔はすっかり最初の人間の少女である。そのまま振り返ると、ほっぺを精一杯膨らませて、にぃと笑った。


 人間1周目、前世がリスなのかもしれない。

 ふとそんな考えが頭を浮かんだ。

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