第17話

 王都第四区域、繁栄と叡智の街・オーセラ。ここは世界でも有数の魔法学を中心とした研究が盛んな街であり、多くの魔法学機関が立ち並ぶ。その中でも特に有名なのがここ、王立ルストーレ魔法学院である。


 教育理念としては、生徒の自主性や道徳心はもちろんのこと、調和の心でもって魔法を学ぶ者としての規律を正し、磨き上げた清らかな精神で日々魔法の本質を深く追求していくことを重んじている。


「……だ、そうだ」


 御者の受け売りで覚えたことを正門の近くで独り言のようにつらつらと並べる。


 ここに来るまでの道のりは思った以上に簡単なものだった。王都からの距離は少々あるものの、こちらまでの直通の馬車が出ているようで、ちょっと聞き込みをすれば、楽に捕まえられた。今は丁度入学シーズンというのも相まって、本数は普段の倍だそうだ。


 たどり着いたのは良しとしても、そううかうかしてられないぜ。むしろ大変なのはここからだ。


 なんせこれからイチタが行うのは華やかな学院生活などではなく、れっきとした潜入調査だ。いやもっと端的にいうのであれば、ただの不法侵入。しかし、今はなりふり構っていられない。


 欲しい情報だけ手に入れたら、さっさとずらかるつもりだ。


「ん?……うおっ!」


 橋を越えてぞろぞろとこちらに歩いてくる集団。あれは間違いなく学院の生徒達だ。ここにいると、何かとまずい。イチタは塀の裏まで走り、身を隠す。


「ふぅ、ひとまずオーケー。と、そうだ。シェニさんから渡された学生服を着ていかないと……」


 一緒に渡されたかばんの中から制服を取り出し、急いで着替える。本当はこっちに来るまでに着替えておけばよかったのだろうが、いろいろあってそれどころじゃなかった。



「よし。これでいい」


 まさか、こっちに来てまで学生生活を送るとは思ってもいなかったが、何はともあれ、準備は万端だ。


 制服を着用したイチタは他の学生に混じって正門から堂々と中へ入る。傍から見れば、何の違和感もなくその環境に溶け込んでいるが、本人の心境はそうはいかない。


 いつ何時呼び止められ、正体がバレるのではと内心はハラハラの連続。校内の空気感はとても清々しいもので、王都のごちゃついた雰囲気とは別の表情を見せてくれる。混じりけがないというか、本当に新鮮な気持ちでいられるのがすごい。ここはここで一つの世界だ。


 校舎も立派なものだ。歴史のあるところだが、外観は先日建ったばかりのように煌びやかで、見ているだけでも気持ちが引き締まる。本当にここの生徒なら勉学への意欲も増すのだろう。


 校舎の中へと入る。中もまた、とてもキレイなつくりだ。校内は多少複雑で、覚えるのは少し大変そうに思える。あてずっぽうに見て回るだけでは求めるところにはたどり着けない。


 ただ、まったくノープランで足を踏み入れた訳ではない。ここに来る前、シェニから色々と情報をもらっている。


 『君の撃ち出した魔法の特徴からすると、雷系統に類似する自然魔法基礎学。おおむねこれに該当すると思われるが、今回は勝手が違う。自然魔法を軸として派生する自然錬成魔法。その応用である錬成魔法応用学。ただ内容を深掘りするには基礎の知識も不可欠だから、合わせて受講することをおすすめするよ』


 言われた通り、まずは錬成魔法に関する講義を受けたいところだが……。


「……どこだ?」


 この入り組んだ校舎の中。目的の場所がどこだろうと、一つひとつ目を配らせていくだけも重労働だ。かと言って、どこから探していけばいいか……。


 規模が規模なだけに、迷いが生じる。どうしよう。


「ん? そこの君。何をしているのですか? もう授業が始まる時間ですよ」


 振り返ると、いかにも気の強そうな女の人がそこにいた。タイトなスーツを身に包み、手には分厚い本を抱えている。大方、この学園の教師で間違いない。


「ええっと……俺は」


 その妙な気迫に、イチタは一瞬たじろぐ。


「もしかして、新入生の方ですか?」

「そ、そうです!」


 ナチュラルに口をついて出た嘘。しかし、挙動不審で正体がバレよう『俺は新入生だ』とイチタは内心自分に言い聞かせる。


「あなた、専攻はどちら?」

「せ、専攻? えっと……ま、魔法学です。魔法基礎学の講義を受けたくて」

「それでしたら三階の三〇二教室です」

「分かりました。ありがとうございます」

「急いで行きなさい」

「はい、失礼します」


 イチタは三階の三〇二教室に向かった。シャレた手すりが沿う幅の広い階段を駆け上がり、向かって右から二番目。おそらくはここだ。


 扉を開けると、大勢の生徒がそこにいた。机に突っ伏して居眠りしている者や真ん中で談笑する複数のグループ。隅でもくもくと勉学に勤しむ者。筆記用具の物音と合わさって、非常にざわざわとしている。喧噪具合としては、あの竜炎亭の酒場にも匹敵する。


 教室内をじっくりと見回す。階段型教室と言えばいいのだろうか。二席ワンセットのいかにも高級そうな木製机が段々になっている。イチタは生徒の間をすり抜け、一番後ろの窓際の席に座った。ここならば、変に目立つことも少ないだろう。


 何気なく、イチタは大窓から外の景色を覗く。ここが三階というのもあるのだろうが、景色も申し分ない。校内の設備といい、これだけ素晴らしい環境下で学べるにも関わらず、ここの学費は国が全て負担してくれるという。その反面、学生側には入学前の魔法適正と卒業後優秀な魔術師として国に多大な貢献をもたらすことが要求される。


 着席してすぐ、時の節目を告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。同時に教師も教室に入ってくる。勉強していた生徒はもちろん、騒いでいた生徒も一斉に席に着いた。


「えー、今日は魔法学の中でもっとも基本とされる自然魔法。その中でも特に基本とされる炎魔法と土魔法について……」


ーータッタッタッタッタ。


「ん?」

「その流れと必要な魔力量の調整を……」

「ごめんなさーーーい!」


 な……なんだ?


 ガラッっと勢いよく扉を開け、大声を上げる一人の女の子。肩で息をしながら、ひどく疲れた様子でいる。皆の視線が彼女に注がれる。そんな彼女に、女性教師は一喝する。


「あなた、もう授業は始まっていますよ。早く席に着きなさい」

「は、はい! えーっと……」


 一杯の席を見回しながら、どこに座ろうか目を配らせていると、女性教師が指示した。


「ああ、丁度彼の隣が開いています。早く座りなさい」

「はい!」

「彼の隣……?」


 その少女は段を上がって後ろの列まで行くと、窓際の席に座るイチタの隣に流れるように着席した。


 山吹色の長い髪と、一目見て分かる純真な瞳。着ている制服は皆同じだが、だからこそその麗しさが際立って見える。姿勢正しく座るも、どこか落ち着きのないその挙動は、まるで飼いならされたリスのようだ。


「では、教科書の二百二十一ページを開いてください」


 イチタはかばんの中から集めの教科書を取り出した。これも、シェニからいただいたものである。指定されたページを開いて待機していると、横からガサゴソと慌ただしい物音が聞こえた。 


「あれ……あれれ?」


 必死にかばんの中を漁る少女。もしかして、教科書を忘れてしまったのだろうか? 


 しばらく探してはいたが、相変わらず見つからないようなので、一応声をかけてみる。


「あの……良かったら見る?」


 少女はハッとしてこちらを見ると、目をうるうるとさせた。


「い、いいんですか?」

「まぁ、減るもんじゃないし……」

「ありがとうございます!」


 身を乗り出す勢いで、少女は礼を述べる。


「あはは」

「そこ、静かに!」

「「は、はいっ」」


 話し込んでいると、案の定教師に注意された。目立たないようにとこの席を選んだというのに、これじゃまるで意味がない。


 気持ちを切り替え、講義に集中する。注力して耳にすべきは青白い稲妻。それと、セリカを目覚めさせたあの謎の光。後者についてはまだ情報が揃っていないので何とも言えない。ここでそれらが手に入るのであればありがたいが、今はまず、例の力を制御する方法を見つけるのが先だ。


 教師は口頭で話す内容に合わせて、要点を後ろの黒板に記していく。イチタもまた、解説している部分と開いた教科書を照らし合わせながら頭に叩き込んでいこうとするが、ここで重大な事実を見落としていたことに、イチタは気づく。


 ん……? んんっ!?


 教科書に羅列した文字を二度、いや三度見直して執拗に確認する。その行為は見間違えであってほしいという彼の切実な思いそのものであった。


 書かれた文字は、まるでルーン文字のような線を繋いだものや地図記号のような図形染みたものが混じり合った、日本語とはだいぶかけ離れた文字が記載されていた。青天の霹靂とはまさにこのことか。


 ど、どうしよう……。


 いっそ板書はせずに、話だけ聞いて必要な部分をメモするか。


 そこからしばらく、教師の話に耳を傾けていたイチタだが、時間が経つに連れて限界が生じてくる。


 この専門用語飛び交う教室の中、集中すればするほど深掘りしたい部分が多々出てくる。そんな時はもちろん教科書を見返すのだが、書いてある内容が理解できないというのはどうにも不便だ。


 悪戦苦闘していると、右肩をトントンとつつかれる。


 隣の席に座る少女が身を少しかがめ、抑え目な声色でイチタに声をかける。


「あ、あの……大丈夫?」

「え?」

「いや、その……何か、苦しそうにしてたから」

「あ、ああ……」


 体を小刻みに震わし、血眼になりながら教科書を覗くそのあきらかに異様な行動を見てか、流石の彼女も無視できずにいた。ここまで来たら、もう正直に話すしかない。


「じ、実は……文字が読めなくて」

「文字?」

「おかしいよな。文字も読めないくせして、この学校の授業受けてるなんて」

「そ、そんなことないよ……そうだ、良かったらあたしが教えてあげる」

「えっ、マジで?」

「うん。教科書見せてくれたお礼」


 少女は笑顔で快諾する。


「いやぁ、助かるよほんと。ありがとう」

「えへへ」

「そこ、うるさい!」

「「は、はいっっ」」


 授業が終わると、丁度昼休憩の時間に入った。腹の虫もいい感じに鳴る頃。せっかくならここの学食を頂いてみたいと、一階の食堂へ向かった。


「あ、あの……」


 途中、階段を降り進んでいると、後ろから呼び止められる。


「君は……」


 そこには、さっきの遅刻少女がいた。後ろ手を組みながら、目線を背け、やけにもじもじとしている。


「その……一緒にどうかな? お昼」

「え?」


 そう言って、先ほどまで体の後ろに隠れていた大きな包みをこちらに見せた。


 二人は二階のテラスへと足を運ぶ。テラスにはテーブルと椅子のセットが複数設置してある。この時間、多くの学生は食堂へと移動しているため、この辺は随分と静かだ。大っぴらなとこに堂々と存在しているが、ある意味では穴場だ。


 少女はイチタの向かいに座ると包みを開く。布の内側にはおしゃれなバスケットがあり、ふたを開けると色とりどりのサンドイッチが並んでいた。


「す、すげぇ……」


 挟まれた具材は、パッと目にしただけでも十数種類はある。その豪華さに、イチタは生唾を飲み込んだ。


「今朝、お母さんと一緒に作ってきたんだけど、張り切って作りすぎちゃったんだ。良かったら食べて」

「い、いいの?」

「もちろん」

「じ、じゃあ」


 数あるサンドイッチの中から、イチタはひとつ選んで口に運んだ。シャキっという野菜の歯ごたえと、ジューシーなハムの味わいが舌上を乱舞する。


 モグモグと咀嚼を繰り返す中、少女は様子を窺うようにじっとこちらを見つめてくる。もしかして、味の感想を待っているのだろうか?


「ど、どうかな?」


 口にあるものを胃に納めると同時に、その言葉は来た。イチタはすぐさまそれに応える。


「美味い」


 単純だが、なんだかんだでこれが一番の本音だ。単純な感想だからこそ、抑揚とそれに見合う表情でもって、全身全霊でその意を伝える。


 それだけで、彼女には真に伝わったのだろう。そちらもただ一言「よかった!」と満面の笑みで返してくれた。


 食事を終えると、少女は自己紹介をし始めた。


「あたし、アリア。魔法学専攻の一年生……ってそこまでは言わなくても知ってるよね」

「俺は、イチタ。よろしく」

「よろしく、イチタ」

「それはそうと、さっきはありがとう。君が字を教えてくれたおかげで、少しずつだけど授業の方も理解できそうだよ」

「えへへ、よかった」

「にしても初めはびっくりしたな。静かな教室にいきなりガララァって入ってきてはごめんなさーいって……」


 その時を振り返ると、アリアは顔を真っ赤にして手をブンブンと振った。


「わわわっ、やめてってばもー」

「あはは、悪い悪い」


 アリアは思い出し恥ずかしさで慌てふためく。そして、すぐに落ち着きを見せると、彼女は学院に来るまでの経緯を語った。


「あたしね。生まれは王都よりもずっと東の海沿いにある村に住んでいたんだけど、小さい頃に絵本で見た魔術師に憧れてて……いつかその夢を叶えたいと思ってたんだ。だから、頑張って勉強して、この学院を目指していたの。だから、入学が認められた時、本当に嬉しかった」

「へぇ……そいつは確かにめでたいな」

「うん! なんだけど……」


 アリアは頭を抱えながら、テーブルにペタンと顎先を乗せた。


「ううう……どーして入学して早々に寝坊するなんてー」


 しくしくと、今朝のことを憂うアリア。気持ちは分からなくもない。何を隠そう、イチタもこちらに来る前は向こうでリアル現役学生でいたわけである。事細かに聞かなくとも、学生の気持ちというものは重々理解している。


 朝は辛いんだよな。朝は……。


 しみじみと、その思いに共感を示す。


 食後、アリアは個別の予定があるというので、一足先に校舎の中へ戻った。イチタはというと、次の授業が始まるまでは暇なので中庭のベンチにて一人空を見上げていた。


 流れゆく雲を見ながら、優雅な食休み。


「ふぅー、静かだなぁ……」

「う~ん、ほんとだねー」


 流れゆく白い雲の下に、白いもふもふ。まるで、今までずっといましたと言わんばかりのツラ構えで、ヤツはいた。


「……」

「ふぅ~、こんな日はのんびりお茶でも飲んで過ごしたい気分だよねぇ」

「……おい」

「あーでも、瑞々しい果実もいいねぇ。心が晴れ晴れする日にはぴったりだ。我ながらないすなちょいす」

「……っ聞けぇ!」

「わっ、なんだびっくり」

「びっくりはこっちだ! お前いつからそこにいた?」

「ついさっき」

「ついさっきて……お前なぁ、出てくるなら一声かけろって。いよいよ幻聴が舞い込んできたのかと思ったわ!」


 荒ぶるイチタの前で、平然と浮かびながら、謎の生物ニフィは小さな手をぱんぱんと叩く。


「ハイハイハーイ、ニフィはここにいますよー」

「こ、このやろ……」


 その小賢しい動きの一つひとつが、彼の神経を逆なでする。イチタはこんなマスコットキャラに振り回されてはと、握りしめた拳をゆるめ、気持ちを落ち着かせる。


「あ、そうだ。お前に聞きたいことがあるんだ」

「なに?」


 苛立ちも一瞬ばかし。すぐに別の感情が押し寄せる。そう、ニフィが来たということは、例の光の謎についてを尋ねる絶好の機会だ。


 イチタは森で起きた出来事を含め、その内容を話した。


「あー、それは精霊羽虫だよ」

「精霊羽虫?」


 驚くほどにあっさりと答えが出るも、聞き馴染みのない単語に眉を顰める。


「精霊の力を求めて、集団で行動する虫だよ。力を提供してくれた者に従属し、彼らの持つ思念伝達力を通じて提供者のために働いてくれる」

「じゃあ、あの時に起きたことは……」

「君がその女の子を救いたいって思いを彼らが受け取ったのだろうね。君が森で撃ち出した力に反応して現れたんだろう」

「そうだったのか……」


 聞けば聞くほどに、頭の中にスルスルと入り込んでくる。今の話を耳にして、すべて合致した。


 他の存在にまで影響を与えるこの力。ますます、この手で何とかせねばと深く心に刻んだ。


「なぁ、お前言ってたよな?」

「うみゅ?」

「これが、大精霊によって与えられた力だって」

「ふぅむ……」


 前のめりになり、膝に腕を乗せては手のひらをじっと見る。


「どうすれば、上手くこいつをモノにできるんだ?」

「それは君にしか分からない」

「分からないって……一応そっちの専門分野だろ?」

「君のもつそれは、ボク達のとは勝手が違う。そのまま同じやり方を伝えても、参考にはならないだろうからね」

「なんだよそれ……」


 期待が期待なだけに、イチタは分かりやすく落胆する。


「ハァ……おまえなら分かると思ったんだけどな。そしたら、わざわざここまで足を運ばずに済んだのに……」

「君がここで学ぶことにも、何らかの意味はあるはずさ。少なくとも、無駄にはならないと思うよ」

「ホントかよ」


 頼りになるんだかならないんだか、しばらくは心の中でこの白い生き物の観察日記をつけることになりそうだ。


「プッハッハ。おーいちび助。元気にしてるかぁ?」

「ん?」


 中庭に響く笑い声。校舎脇のところで、数人の生徒がたむろしている。正確には、カンジの悪そうな三人組が、一人の生徒を囲っているといった状況だ。


「聞いたぜ? お前また魔法実技でミスしたんだってなぁ」

「いや、その……」


 真ん中のいかにもキザな見た目をした一人が、気弱そうな生徒いびりつける。背後にいる取り巻きの二人も、小さな声でクスクスと笑う。


「やっぱり厳しいかぁ。才能がねぇってのはつれなぁ」


 押し固めたようなキッチリとしたオールバックヘアに撫で触れながら、気弱な生徒に渾身の嫌味を放つ。生徒のおたおたした反応を見て、取り巻きもケラケラと笑いこける。


 このような構図自体。特に珍しいようなことでもない。どこの世界にも、ああいうのは存在するってことだ。


 あの少年には気の毒だが、ここはあまり関わらないでおこう。自分がどうこうできるようなことじゃない。


「代わりといっちゃなんだけど。いいヒントを教えてあげるよ、イチタ」

「ヒント?」


 唐突に、ニフィが口をついた。


「そ。今後、君がその力を使いこなすためのいい指標になるはずさ」 

「……言ってみろよ」

「力の発現には、感情の起伏や思いの強さなんかも関係しているんだ。慣れるまでは、そのことを軸に考えるといい」

「感情の起伏……? どうやって?」

「つまりこういうこと」


 ニフィは大きく息を吸い込む。次の瞬間、ヤツはとんでもない行動に出た。


「おーい! そこのマヌケな三人組! そんなに自信があるなら、ちんけな愚行はやめてこのボクと勝負しろい!」


「あん?」

「なっ……」


 何をするかと思えば、ニフィは向こうにいるいじめっ子達に挑発以外の何物でもない言葉を飛ばした。


「ほーらほーらどうしたどうした! 負けてその自慢のカチカチアタマを台無しされるのが怖いのかい?」

「や、やめろって……」

「ざーこざーこ、口だけヤロウ、一人じゃなんもできない腰抜けどもー」

「やめろって言ってるだろ!」

「おい……」

「あっ」


 気が付くと、例の三人組に囲まれていたイチタ。三人とも鬼の形相で睨みつけ、一瞬のうちに逃げ場のない展開に持ち込まれた。


 この状況を招いた当の本人は、いつの間にかこの場から姿を消している。ヤツが強引に作り出した最悪の状況。その後始末は、何もしていない彼に託された。とばっちりもいいとこである。


「随分とナメた口きいてくれるじゃねぇの。なぁおい」

「いえ、その……聞き間違いです多分」

「そっかそっか聞き間違いかぁ。なら仕方ねぇなぁ」

「ええ、ほんと」

「んなわけあるかぁ!」

「ひいい」


 キザ男はイチタの胸ぐらを掴み、立ち上がらせた。


「カチカチアタマだ? 腰抜けだ? 上等だぜおい。このヘアスタイルの良さが分かんねぇなら、その体にたっぷりと教えてやるよ」


 あの白い獣の挑発のせいで、怒りが頂点に達した男はイチタに向かって拳を振り上げた。反射的にイチタは目をつむる。


 緊張、焦燥、恐れ。様々な感情がイチタの胸を巡った。その刹那……。


ーーバチッ。


「あ……? どわぁっ!」

「うぅ……え?」


 ……痛くない。片目をゆっくりと開け、目の前の状況を確認する。


 何が起きたというのか。映し出される光景に、目を疑う。どういう訳か、キザ男は五メートルほど先まで吹き飛び、地面に尻もちをついている。


 仲間に介抱され、ようやく立ち上がると、今ので完全に火がついたのかキザ男は再度イチタに食らいついていく。後ろの二人も加わり、仲間のためにと拳を鳴らす。まさに多勢に無勢。


「こ、この野郎……」

「うっ……」


 この脅威を退けたい。イチタの心の中で、その思いが強まった。


「ぐはっ」

「ぶへっ」

「うごっ」


 一斉に飛びかかる三人。だが、拳が触れる寸前。イチタとの間に謎の閃光が走った。すると、またしても彼に触れることないまま、三人は同じように後方へと吹き飛んだ。


 イチタも一瞬、何が起きていることが理解できなかったが、すぐにとある記憶が蘇った。


『力の発現には、感情の起伏や思いの強さなんかも関係しているんだ』


「まさか……」


 ニフィのあの言葉。それはまさしく、今の浮かび上がるこの疑問を解き明かすに相応しい一文だ。


「うっ、うわあああああああっ!」


 キザ男はその実験に失敗したかのような頭を押さえながら走り去っていった。


「ま、待ってくれよぉ……」


 遅れて取り巻きの二人も逃げるように走り去る。


「ふぅ……助かった」


 難を逃れたイチタ。安心感からか、体の力が一気に抜けていく。今この場において、彼に干渉するものはいない。ただ一人を除いては……。


「す、すごい……すごいすごいすごい!」


 横で見ていた、あの気弱な少年が感歎の声を上げる。さっきまでいびられていた時の様子とは大違いなハキハキとした振る舞いだ。居ても立ってもいられないようで、その場で小さくぴょんぴょんと飛び跳ねている。


 少年は子犬のようにタタタとイチタの元まで走り寄る。ボリュームのある外ハネした茶髪にやせ形で小柄な体格。どことなく、アルフィンと似た雰囲気を感じる。


「ねね。今の、どうやったの? 初めてみる魔法。どこで教わったの? よければ、もう一度見たいな!」

「えと、あの……」

「あぁ……そうだった。ごめんね、急に舞い上がっちゃって。まずは、お礼の言葉が先。助けてくれてありがとう!」

「いや、俺は別に……」 


 少年はただ一言、その言葉をイチタに伝えた。元はと言えばニフィが切り出したことなのだが、少年の感謝の言葉を聞いて、この労力も無駄ではなかったなと、彼はひそかに感じていた。


「それはそうと。何なんだ? さっきの奴らは。随分と気性荒い生徒だったけど」


 イチタがそう尋ねると、カリムは気落ちしたような声色で静かに話し出した。


「あぁ……彼らのこと? 所謂、特待生ってやつかな。真ん中にいた子とは同じ街出身なんだけど、入学試験の時も好成績で突破したって話だし、受ける授業も僕ら一般コースとは違う、より実践的で高度な魔法技術を学ぶんだ」

「へぇ。そんな優秀な人材でありながら、なんで同門いびりみたいなことを……」

「街の人は、皆あの子に期待しているからね。僕もいつかは認められたらって……そんな日を夢見てはいるけど」


 込み入った話に、深入りしてはとイチタは口を閉ざす。


「ああ、ごめんね。変にしんみりしちゃって。僕はカリム。魔法学専攻の一年生。もしかしてだけど、君も同じ一年生?」

「……まぁ」


 目を背けつつ、イチタは小さく返事をした。そんな彼とは対照的に、カリムは声を大にして彼の手を握ると、ぶんぶんと激しく振った。


「わぁ、うれしいなぁ! 僕、入学してからずっと一人だったから、こうして誰かといっぱいお話しできるの初めてだよ」

「そ、そっか……」

「ご、ごめん。会ったばかりでこんな……迷惑だったかな?」


 悪びれてはさりげなく向けられるその上目遣いに心が痛む。


「いや、そんなことないぞ! 俺も友達は多くねぇし。まぁ、なんだ。同じ一年同志よろしくな、カリム。俺はイチタ」

「イチタだね。ちゃんと覚えたよ。これからもよろしく!」


 その時、昼休みの終了を告げるチャイムがなった。


「あっ、いけない。もうすぐ次の授業が始まっちゃう。行こう、イチタ」

「おう」


 急いで校舎の中へと駆け込む彼の後ろ姿を、イチタはじっと見つめる。


 何というか、あの純真無垢な振る舞いを見ていると、こちらが騙しているような気分になる。これだけ気持ちのいいやり取りを交わしているというのに、後味はどうにも優れない。イチタがここにいられる時間は、彼らが思っているほど長くはない。


 ただ、久しく忘れていた。アリアと出会い、カリムと出会ったことでイチタは思い出す。


 ああ……確かにこういう感じだったな。学校っていうものは。


 かつてを懐かしむと、イチタは静かに笑って校舎へと戻った。


「うし。気合入れていくか!」


 それから、イチタは校内での暴力行為、および許可のない魔法の使用というれっきとした校則違反によって、教師達にこっぴどくお灸をすえられるのだった。

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